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シリーズ 「命の終わりに寄り添う—『食べる力』を守り抜く」

序章:「食べること」の意味を再考する
・高齢者にとって「食べること」は命をつなぐ最終的な力


 歳を重ねると、身体にはさまざまな変化が訪れます。歩行が困難になれば杖や車椅子を使い、視力が低下すればメガネをかけ、聴力が衰えれば補聴器に頼る。排泄の問題が出れば下剤を使用することもあります。これらは「老化」という避けがたい現実かもしれません。しかし、こうした変化の中で最もつらいと感じることは何かと考えると、それは「好きなものを自由に食べられなくなること」ではないでしょうか。食べることは、人生の最後まで守りたい大切な楽しみであり、生きる力そのものだと私は思います。

 ところが、現代の「食べること」に関する話題で注目されるのは、何を食べるべきか、あるいは食べるべきでないかといった話ばかりです。「糖尿病や脂質異常症には炭水化物の制限が必要」「高血圧や慢性腎臓病には塩分を控えるべき」「癌予防や老化防止には抗酸化作用のある食品を摂るべき」など、科学的に裏付けられた知見が多く語られます。しかし、これらの議論は「食べる」という行為そのものではなく、「食べ物」に焦点が当てられています。さらには、炭水化物ダイエットの流行に見られるように、稲作を基盤とする米や穀物中心の文化そのものを否定するような考え方も広がっています。

こうした情報に「なるほど」と納得しつつも、救急医療や在宅医療の現場に身を置く中で私が感じてきたのは、まったく別の問題です。それは、「自分の口で食べ物を摂る」という人間本来の根源的な「生きる力」がどのように失われていくのか、そしてそれをどうすれば守り続けられるのか、という問いです。

 私たちはこの世に生を受けたとき、まず母乳やミルクを吸うことから始まります。その後、歯が生え、噛む力と飲み込む力が育ち、消化の主役である腸の環境が整い、排泄機能も発達していきます。しかし、年齢を重ねるにつれて、こうした成長のプロセスは逆戻りしていくのだと、改めて実感します。老化とは、成長の道筋を辿り直すようなものだと気づかされる瞬間です。

 ここで、高齢者が置かれた現状を考えてみます。自力で水分や栄養を摂取することは、生きることの本質そのものです。しかし、それができなくなったとき、点滴やチューブによる補給といった「外からの生命維持」が行われます。この方法には、「生かされている」という不自然な感覚が伴うことも少なくありません。そのため、近年では「自然な生のプロセス」を選び、自分の力で命を閉じることを望む人が増えています。それが「看取り」という考え方です。この選択には、誰もが辿る老化を無理に逆行させるのではなく、自然に任せることが良いという価値観が背景にあります。この考え方が正しいのか、それとも別の道があるのか。その議論はさておき、私は疑問を抱きました。それは、「老化という自然なプロセスを、本当に正しく理解しているのだろうか?」「そもそも、それは本当に避けられないことなのか?」という問いです。

 もし、高齢者や怪我人、病人、障害者が、自力で食べられなくなった時点で「生きることを諦めなければならない」としたらどうでしょう。その現実に直面したとき、私たちは「自分で食べ続けるために何をすべきか」という課題に向き合わざるを得ません。そのためには、「食べること」に関わる身体のシステムをどのように維持するかを考える必要があります。さらに、この問題は医療だけに限らず、経済的な背景とも密接に関わっています。「食べること」は命をつなぐための究極的な力であり、条件そのものです。これが現代社会における現実であり、だからこそ「食べること」を支える生活や医療の在り方が、いま求められているのです。

つづく。

2024年11月27日

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