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はじめてレッズをみた日

あれは私が小学校1年生の頃、京都の街は祇園祭の熱気にあふれとても蒸し暑い夏の日だったと記憶している。
人生で初めての夏休み間近の高揚感、それと同じかそれ以上の胸の高鳴り、なぜなら今日は人生で初めてレッズの試合を観に行くからだ。

前年から京都パープルサンガ(京都サンガFC)がJリーグに参入し小学生の間でも発足したばかりのJリーグが、しかも我が街のチームとあってその話題が多かった。
休み時間学校でサッカー好きの友達とJリーグの話となれば1人が「みんなJリーグどこのファン?まあ京都やし聞くまでもないか」とこのような感じである。

小学生の僕には何とも複雑な心境であったがJリーグ発足当時から父親の影響で僕は生粋のレッズサポーターなのだ。父親にはいつも怒られてばかりだった。
レッズの試合結果に一喜一憂し、勝っても負けても躍動する赤いユニフォームの選手達を応援する。生活の中にレッズがあった。

1997年7月12日(京都パープルサンガ戦)
そろそろいこかー。ついにきた。
麦茶を一気に飲み干し家を出る。

蒸し暑さの中、西京極駅に着いた頃には大勢のレッズサポーターが目の前にいた。
「これがテレビで観ていたサポーターか、どんな応援をみせてくれるのだろう、あの応援歌が一緒に歌えるのか」ワクワクで一気に僕の胸の鼓動が早くなった。

西京極競技場のカクテル光線に照らされてテレビで観るよりも数倍大きい選手が入場してくる。
周りを見渡してもほとんどが赤。
スゴい…僕は思わず何かを大声で叫んだ。何を叫んだかは全く覚えていない。とにかく叫んだ。
しばらくすると選手のユニフォームが赤く光って見えた。

試合が始まり押しつ押されつの均衡状態で試合が進んだ。応援歌を歌って選手に届けなければ。
小学生ながら応援歌は全て歌えた。
いや、全て歌えるはずだった。全く歌えない…
僕のすぐ側でプレーするレッズの選手の激しさやサポーターの応援の声の大きさに圧倒されて歌詞が出てこないのだ。
観客席からもわかるブッフバルト選手の眼光、福田選手のカリスマ性やオーラ、永井選手の足の速さとかっこよさ、本当に全てにおいて小学生の僕は圧倒された。
それと同時にこれがレッズなんだ!僕の応援しているチームなんだ!ととても誇らしく思えた。

試合は延長戦でも決着がつかず、1-1でPK戦までもつれた。21時を回りいつもならもう寝ている時間だが全く眠くなかった。
それよりも初めてにして1番長い時間レッズをみることができた。PK戦からは試合の結果はどうでもよかった。それだけで満足だった。
最後のWe are Diamondsは気持ちを落ち着かせてなんとか歌えた。家までの帰りは記憶にない。
忘れられない1日になった。

先日5月26日京都戦ということもあり父親と一緒に応援に行った。
あの日と同じ19時キックオフのナイター。
あの頃より白髪が増えて腰も丸くなったなぁ…笑
スタジアムの場所、父親の背中。
しかし、2人のレッズを愛する気持ちは変わらない。
選手入場時応援席以外のレッズサポーターも全員立ち上がってのレッズコール、一緒に声援を送る父親の姿、We Are Diamondsの大合唱、私はあの日を思い出し涙した。

帰りの電車の中、2つ買ってプレゼントしたグッズのミサンガを大事そうに身に付け優しく微笑んでいる父親の姿。
いつも怒られていたあの頃よりも優しくなったなぁ。
時折、孫にみせるような微笑み方である。
私はその瞬間レッズには人を幸せにする力があるのだと改めて確信した。
苦しい時も立ち上がれる力をくれる。
ありがとう。本当にレッズを愛していてよかった。

Yes RedDiamonds You'reTheBest

#浦和レッズ
#URAWAREDS  
#はじめてレッズをみた日


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