空と鳥
広い空に広い青があって、かわりばんこに鳥は空に飛んでいく。
頷いた仕草もまた、夏草の茂みに影を揺らして溶けていく。
融解する温度がひっそりと冴え渡る廊下の奥で、赤く、紫に、喉は発熱して、声は解けていく。はっきりとした輪郭も失って、さながら夢の跡地のようだった。荒廃した瓦礫が何もない空の下に積み上がっている。どうしてそれを前に、これ以上の言葉を世界の事象に付け足そうと、痛む喉を振り絞り、声を探す必要があるのか。
失われてしまった。
そう思うことも、感受性の一部として機能的に備えつけられ、私の身体の内臓のひとつとして律儀に脈打ち、意味はないけど理由として、空を透かした目の内側できらきらと瞬いては、ガラスを割って尖った先端で刺すように、しくしくと痛むのだ。
古傷がまたひらきかけている。
午後の光がその切り口に沿って反射しひかる。
池のほとりで立ったまま空を見上げる。
ぽかりとあいた口のまま
いつまでも塞がらない何かを見つめる。
世界の裂け目と共振している内部の
宇宙的な広がりの
孤絶したしずけさ。
私はノートをひらいて記録することを選ぶ。
絶え間なくつづく営みがあるなら
忘れてしまった鳥も息を吹き返し
また空を飛んでいくこともあるだろう。
熱く喉は揺れる、小鳥の心臓のように。
失われた言葉で鳥は歌をうたう、それが風の音に近い囀りとしか聞き取れないとしても。
耳を澄ましている。
空が裂け目に沿って今日も割れている。
見ないようにしても音は響く、
外ではなく内側から音は鳴るのだ。
かわりばんこに声を交わす。
鳥は空の外、私の内で目をひらく。
痛みを自分のものとして受容する時の
しんとした感覚が
痛む喉の熱を冷ましていく。
覚めていく時、もう必要としなくなった
大事に抱えていた言葉を忘れる。
腕をひらいて、空を受け入れるように
鳥を迎え入れる。
瓦礫の残骸がひとつずつ透明に光に溶かされ、ひとかたまりになった生き物になった。
ごみだまりで光の生き物は目覚めた。
長い廊下の奥でその小さく唸る声を聞いた。
閉じた瞼の裏で光痛んで
私は振り返り、
もうそこに意味はないから手放してもいいことを知る。
光の生き物は生まれた途端に死んでいった。
死んだからだから瞬く間に草花が生える。
それはもうただの廃棄物に過ぎず、
光はセロファンに反射して揺れるだけのビニールだった。
いつしかそれは最初からただの草原だったと
思われるような場所にしかならないだろう。
墓標の言葉を探そうとシャベルを手にもって
歩き出した瞬間に、何を見つければいいのか
ひとつもわからなくなった。
目の前でひかる水面がたゆたう。
池のそばで、ひとり立ち尽くす。
この水はどれくらい深く、
また澄んで見える透明な水は本当は
どれほどの濁りを抱え溜まっているのか。
見た目からではわからない
しかしその内部にそれはすべてたたえられているのだ。
感じて、見定めようと
瞬きをせずに見つめつづける。
それはでもきらきらとひかって
見開きつづけたままの目から涙が零れた。
痛みを感じて揺れることを心だと思う。
その感傷に疲れてまた瞬きをして歩き出す。
忘れたままの頭にぼんやりと熱がこもり
喉に塞がった異物を感じて咳をした。
見上げればただ広がる空、
空はただ広がる青が滲んで見えるだけで、
でもそこを空だとするために
飛んでいく鳥が視界の端でちらついたけど
はっきり見ることはできなかった。
声を交わし合うような囀りが響き合って、
それを聞いた私も頷いて歩いていく。
庭のような廃棄物の山にゴミのように光が溜まり
見慣れた長い廊下を見つけ
私はひろげたノートに言葉を書きながら
歌うように廊下の奥で左に曲がる。
その時、不意に喉が熱くたぎって、
私は息を吐いた。
でもそれは言葉にはならなかった。
世界に音もなく吸い込まれる
ただの吐いた息だった。
バラバラになるガラスのように
今日も空が割れている。
裂けた空を継ぐように飛ぶ
鳥の声がまた空のどこかで鳴って消えた。