あえて宣言すると行動やりやすいですか?
ぼくは、X(旧Twitter)で、よく今からある特定の行動をしますと呟くことがあります。
たとえば、「今から瞑想します」とか、「運動します」とかです。
それは、公共の場で宣言した方が、実際に行動しやいと経験則で知っているからやっています。
でも、少し考察をしてみたいと思いました。
どういう理屈で、宣言した方が、なぜ実際やるのか(実際に、行動を起こす確率が上がるのか)ということです。
宣言した後に実際に行動に移したという自分のデータを持っているわけではないので、ざっくりとしか言えません。
たとえば、公共の場所で宣言し、もしやらなかったら社会から非難を受けると思うんですよ。
「やらなかったじゃないか、嘘つき」とか…。
そういう非難を受けることは、できるだけ最小にしておきたい。
なので、「随伴性」で説明すると。
(随伴性は、「行動」と「環境」との関係のことで、「行動」が「環境」から影響を受けていることを示しています)
「「環境」:やがて何もやらなかったら非難を受ける」→「「行動」:行動を起こす」→「「環境」:非難を受けないで済む」という感じの阻止感で行動が維持されているんじゃないかと…。
起きてほしくないことが、必死に動いて避けられるからという力学です。
非難を受けたくないからやるしかないとゆるーく火事場のクソ力的な爆発力で、行動を維持させるやり方ではないかと推察します。
違っていたら、ごめんなさい。
まぁ、多目にみていただけたらw
そういえば昔、三国志の漫画でエライ武将が、自陣の食べ物を三日分だけ残して全部捨てるっていうのがありました。
これは、「「環境」:やがて食べ物がなくなる(死んでしまう!)」→「「行動」:死に物狂いで働く」→「「環境」:食べ物が確保される(死なないでいることができる!)」という随伴性(「行動」と「環境」の関係)なんだと思います。
これも火事場のクソ力です。
モチベーションの維持に、あえて自分の環境を厳しくすると、行動の維持ができるかもね。
僕は、環境を厳しくするのには僕個人としては反対ですw
以上です。
ご静聴ありがとうございました。
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