
苫小牧勤務時代
僕自身医療関係者であり、実は苫小牧勤務時代は老健併設の老人病院に勤務していました。
今では老人病院っていう言い方をあまりしませんが、内科の病院ではありましたが入院患者さんの大半が
高齢者という事で、老人病院という言い方をしていました。
そこで、鍼灸をやっていた時代があります。一部屋をお借りして鍼灸治療室を作っていたのです。
ベットを数台置き、遠赤外線や紫外線殺菌庫をおかせていただき鍼を保管していました。
苫小牧の田舎でしたが、毎日入院患者さんと老健の入所者さんと、外来の方を診ていました。
そんなに多くの数ではなかったですが。
もう30年も前ですので多くの方はもうご存命ではないかもしれません。
田舎の方は自宅でとれた野菜や果物を多くくれました。
多くの高齢の方が、私はこの苫小牧から出たことがないとお話ししてくれました。
札幌はテレビでは見るけど、人が多いんだろうね・・・と、札幌の話を聞いてくれて、地下街があることや地下鉄のお話しをしました。
一日がのんびりと過ぎていきました。
苫小牧での治療を終えるときに、先生、どうしても苫小牧を辞めるんだね・・・残念だよ。と言っていただきました。
苫小牧の病院は札幌の医療法人の運営でしたが、その医療法人を辞めることになり、僕は開業する事になりました。
開業してからも、苫小牧から数名の患者さんが札幌の円山の院まできていただいて治療を受けていただいたのです。
数年にわたってきていただきました。
円山で開業した当初は、今まできていただいた患者さんに支えていただいたことになります。
その患者さんがまた札幌の知り合いに声をかけてきてくれたりすることで広がっていきました。
札幌の医療法人を辞めて開業するにあたり、いろいろ考えた事がありました。
きっかけになった出来事があったからなんです。
詳しくはお話しできませんが、とある患者さんの入院がきっかけでした。
その患者さんは知り合いのお母さんでした。脳卒中になってしまったお母さんは収入がなく美容師でしたので、収入は途絶えてしまいました。
医療費の支払いに窮したその方は、生活保護受給する事を病院側がお勧めするもご主人がいることで生活保護受給資格をとれなく、病院側は離婚させて生活保護受給をさせる選択をとったのです。
その件で病院長と言い合いになり、僕はやめる選択をしたのです。