「私たちは何度でも、 歩きなおすことができるのです」 シスター日吉子さん (映画: きみの色) 「見えない傷が、私のたましい彩る」 道 宇多田ヒカルさん 僕自身生きていく上で できるだけ失敗しないように、 後悔しないように、 と選択をしてきたように思います。 ただ、 振り返った時 自分をより 自分らしくしていたのは、 うまくいったことよりも 失敗や後悔、 手に入らなかったもの、 手が届かなかったこと 達だったように感じます。 これまでの失敗・後悔を なく
先生は、 あのツバメをみてごらん あの子たちもすでに放たれて 人生に直面している 飛んでから見えてくる景色もあるだろうね 飛ぶことが考えることなのかもね と言った
蜘蛛は生まれた時から蜘蛛でした。 蜘蛛はその長い八本の足を使って、 けんちく中の、それはそれは大きな神社の梁に巣をつくっていました。 その神社と言いますのも、あまりにも複雑なつくりをしていて、 宮大工たちも、 「こんなものできっこない」 「わしらが生きているうちにできればいいがな」 「よっぽどな奴がかんがえついたんだろう」 などと口走っているほどでした。 そして、蜘蛛にとっても、それは生まれて初めての巣のけんちくでした。 糸を風に流しては明後日の方向になびいてしまったり、
すべてのものに共通することは、存在しているということ。 河合隼雄先生が、井筒俊彦先生の言葉を引用し、 「"花が存在している"、というけれども、そうではないんだと。 これは、"存在が花している"んだ。は~なるほどな~と。」 「なので、存在が河合やってるわけですね。この自分とどう付き合ってやっ ていくか…」 そうおっしゃっていた記憶があります。 そうなってくると、自身の中に全体があるとも感じられます。 周りはどうか、統計的にはどうか、といった機械的なコン
定期テストが終わり、季節も冬に近づいてきた。 3限が終わり、休み時間 窓際のTさんは頬杖をついて窓の外を眺めている。 外では小雨が降っていて、少し開いた窓からぱらぱらと、 雨が木々の葉を打つ音が聞こえてくる。 外から入ってくる風は、雨と、少し冷たい香りがして、 「冬が近くに来ているよ」 と、言った。 今、僕を焦らし、追ってくるものはない。 そこに安らぎと幸せの一端を見たのでしょうか。
彼はいつも友達とゲームの話をしたり、キャラクターの真似をしたりして帰っていました。 道中では道草を食って、雨の日には傘の先で道端のコケをはがしたり、 折り畳み傘を振って裏返しにしたり、 テレビゲームや休みに何をしようか、そういったことしか考えていなかったのです。 まだ冷たい合理的な考えに頭の中をかき回されてはいませんでした。 「彼は何でもできる人だ」、 「ああ、なんだ彼だったか、ならそうなったろう」 そのような声は、その瞬間は高揚感や、優越感に浸らせました。 しかし
今日も学校が終わり、急いで自転車を走らせて駅へ向かいました。 全力でペダルを踏み、学校から逃げたのです。 何かから逃げているわけではなかったのですが、一刻も早く学校から離れたいと思っているように、周りに見せたかったのかもしれません。 「楽しいはずの高校生活を、僕はこんなにつまらなそうに、逃げ帰るほど嫌気がさしているんだ。かわいそうだろう」 自分の頭の中で、周りのみんなが自分をかわいそうだと思っている様子を思い浮かべていると、空洞になった胸を何かが叩き、暗い音がそこで鳴り響
僕は全部怖くて、嫌になって、大学に行かなくなった。 レールを踏み外したことがないことだけが取り柄だと思っていた。 だから、もう自分のいる意味がなくなったと思った。 長く休んだけれど、僕なりに考えて考えて、もう一度行き始めてみた。 友人と久しぶりに再会し、近所の食堂にお昼ご飯を食べに行った。 500円の定食はあの頃と同じで、相変わらずおいしかった。 僕は彼に、「もうあの時人生終わったと思った」と言った。 彼は、「そこから人生始まったんじゃない?」と言った。
明治36年、藤村操という当時18歳の青年が、 「世界の真相、生きている意味を知ろうとしたが、哲学はついにそれを教えてくれなかった。だから僕は死ぬことにした。」といったような言葉を木に削って書き残し、日光の華厳の滝に飛び込んで自ら命を絶った 16歳 友人と僕は、一緒にこの世から出ていこうか、といった話をしたことがありました しかし、彼とは今も楽しく喫茶店に行ったり、おいしいものを食べに行ったりしています 最近彼は、好きな漫画のキャラクターの言葉を引き、 なぜ生きる方を選ぶ
個性や「私」ってなんでしょうか 「自分らしく」と言われても、何が自分らしいのか、 小さいころに図工で作った作品を見ると、 「魚が好きだったんだな」とか、「青が好きだったのかな」とか、 「元気な子が作ったんだろうな」といったことが想像されてきます。 どう歩いていけばいいのかわからなかった 生きることにまで公式を求めていました 大好きな人たち、大切なものたちとのつながりが染み込んだ心から、 自分の「価値観」という色をとりだして、 自身の「選択」という筆を執って、 私という白
早朝の川で見かける水鳥たち 電線に仲良く並んでいる小鳥たち ふと窓から見える木々のざわめき 西日の差す公園のブランコ 小道に佇む猫 感覚的な喜び、意味の追求、多様な経験への好奇心 これに加えて、動くことのないこの平穏は幸福の仲間でしょうか しかし、幸福と呼んだ瞬間に逃げていくよう 私が私であって、同時に周りの空気と親密な時、それらの感受 先生、私が存在しているのではなく、存在が私しているとは、 この味わいでしょうか。 わかりません でも、気持ちがいい
中島みゆきさんの曲、「鷹の歌」の歌詞に、 「恐れるなかれ生きることを、鷹の目が見つめてきた」 というものがあります。 正岡子規さんの著書、「病床六尺」の中の言葉に、 「禅宗の悟りという事は、如何なる場合にも平気で死ぬることかと思っていたのは間違いで、悟りという事は如何なる場合にも平気で生きていることであった」 というものがあります。 僕はずっと、死ぬことが怖いのだと思っていたら、生きることが怖かったのだと、そう思いました。 気付いたら生まれちゃっていて、ふとした
自然の動物たちは、近寄ると逃げるのです。 どれだけきれい、かっこいいといわれる人たちであったとしても。 でも、動物たちはみんな泉に寄って行って、水を飲んだり、休んだり。 泉は何も言いません。 「来ないで」とも、「行かないで」とも。 泉には、自分の姿が映ります。 泉は何も押し付けません。 私が私と出会うのです。
あら、 気付いたら生まれていましたね 生まれた時からあなたとずっと一緒 自分さん いつもありがとね 友達には優しく言えるのに あなたにはひどいことばかり言ってきたよね ごめんね でもね、誰も褒めてくれない時も 誰も気づいてくれなかった時も あなたが頑張ってきたことも ずっと見ていました 「こんなの全然だめだ」「みんなもっとすごいし」 「自分なんて」「全部僕のせい」 まったく優しくて、君らしいですよ でも、苦しかったよね いろいろな道を通ってきて そ
木はすごい いつも黙って立っている 切られて折られて登られて 落書きされても黙ってる 本当に黙っているのかな 木の声が聞こえたら 何を話しているのかな きっと優しい声だろう だけど本当は 弱音も言っているかな 話を聞けたらよかったな 土の中では手を つないでいるのかな 木はあきらめない 傷からまた手を伸ばして 元気をくれる 木はすごい
生きている時って、ぬか漬けみたいなのかも。。 そんな風に感じたことがありました。 「自分」て何なのかな、、そのように考えることがよくあります。 「これが本当の自分だ!」と考えると、 じゃあその、これが本当の自分だ!と考えた自分は何なんだろう。。 とか、、 よくわからなくなってしまいます。。 そんな時に、自分てなんだか、ぬか床みたいな感じなのかも。 そう思いました。。 自分が、好きな人たちや、楽しいこと、大切にしたいことに日々触れていくと、その味や風味が自分にしみこんでき