「知っている」とはどういうことか
ある単語を「知っている」とは、どのような状態を指すのか。
大部分の人は、こう主張するだろう。
それは、
単語を正しく使用できるとき、その単語について「知っている」
というものだ。
例えば。
僕は「知っている」の使い方を知っている。
僕は上の文で、「知っている」を正しく扱えている。だから、僕は「知っている」という単語を知っている。
本当にそうか?
上の文を書いたのは、僕にとっては生まれて初めての経験だ。しかし、僕は誤ることなく「知っている」を使用できた。であれば、僕は未だ嘗て見たことがなかった上の文脈で「知っている」という単語が使えることを既に知っていなければならない。これは一体、どういうことか?
どんな単語でも、それが現れる文脈は、文字通り無限にある。であれば、あなたがある単語について「知っている」というためには、その無限通りの使い方をマスターしていなければならない。そんなことが可能だと、貴方は本当に思っているのか?
さらに言えば、単語の使用においては、自明のことながら、それを初めて使う瞬間が存在するという事実がある。
しかし、冒頭の命題からは、
その単語を知らない→その単語を正しく使用できない
という対偶命題が導ける。
初めて使うその前にその単語について知っていることなど有り得ないから、貴方は決してその単語を正しく使用できない。
つまり貴方は、単語を正しく使用するという経験に決して到達することが出来ない。故に、過去にその単語が現れた文脈から使用方法を類推するという、帰納法的推理も出来ない。
今一度、この複雑怪奇な言明を簡潔に述べよう。
知っていなければ正しく使用することはできないが、正しく使用できなければ知っているということにはならない。
さて、貴方はこのパラドックスをどう回避するか。
〈続く?〉