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平熱日記_2024年6月_Part3
某月某日
岡田阪神が駄目である。端的に言うと岡田監督が駄目なのである。昨日は横浜に完敗したのだが、相手ピッチャーは左腕の東だったのだが、条件反射のように右打者をスタメンに並べてしまうのである。もはやファンには「左右病」と揶揄されている。
昨日は不振を極める(というかこれが本来の実力のような気もする)ノイジーを3番、攻守ともいまいちの渡辺を5番に持ってきた。好調の前川、伸び盛りの森下、一発のある佐藤はベンチである。案の定ノイジー音なし、渡辺普通のサードゴロをエラーしてその後に3ランを浴びてしまう。ああ。
なぜこうも頑なに、愚直なまでに左右対策を行うのか。一説にはスポーツ紙の記者にノイジーの起用法について問い詰められて、意地になって起用を続けているとか。まさかと思う話だが、もし本当だとしたらこれは由々しき問題である。
要は、人間年を取ると頑固になる、というやつの極端な形での表出なのではないか。「お前のような若輩者に何が分かるか、お~ん」と言いたいのではないか。「ふふふ、結果を見したるがな」と思っているのではないか。
加齢、ということは最近の私のテーマでもあるので、触れておきたい。もしそうならばダメなのである。典型的な「まだまだ若いものには負けない」という思考が見えるのである。勝利を最優先すべき監督が、自分のエゴ、プライドなどをそれに優先させているのであるとすれば、もはや語るに落ちているのである。
そういうことなら主力選手の不調も理解できる。「この監督は自分のために試合をやっているのだな。勝利のためではないのだな」これでは選手はついてこないであろう。
進言、提言できるコーチはいないのかとも思うが、聞き入れないのではないか。そんなことをすれば、冷遇されそうな雰囲気を作っているのではないか。
つまり裸の王様化しているのでないか。
加齢とともに人間は、過去の成功体験に固執する。自分の経験を絶対化する。愚痴が多くなる。
岡田は昨年の優勝でもてはやされ、そのような状態になってしまったのではないか。独善的、唯我独尊、不遜なまでの自信(現有戦力の底上げだけで勝てるので、補強はなし)しかし結果が出ず、それは選手の責任ということになる。そして面従腹背が始まる。組織に亀裂が走るのは早い。
また「お前の言いうとおりに相手投手の左右を問わずスタメン組んだったわ、やっぱりあかんかったやないけ」というのは論外である。人間、切れてはいけない。つまり、今の岡田に残された道は勝利という結果を出すしかないのである。
むろん若者(=選手)に媚びる必要は毛頭ない。勝利のための最善策を考えて実行するしかない。それ以外の思惑が透けて見えるとき、ファンは現実に戻されてしまうのである。恣意的な人事など、我々サラリーマンは日常的に見ていて辟易しているのだ。スポーツの世界こそ実力主義であってほしい。そして勝利だけに向かって邁進してほしい。繰り返すが、これら以外の要素が見えた時、ファンは見捨てるのだ。
某月某日
会社を休み、まずは10キロ程度ウオーキング。そして運転免許の書き換えに警察署へ、自転車で片道5キロほど。
午前中これに費やし、午後は立川、国分寺などの中古レコード屋を探索しようと思ったのだが、蒸し暑さでばてる。こんな日は昼酒を飲んで寝るに限ると、現在ビールの次の冷やした赤ワインを飲んで、「カサブランカ」を見ているのである。
某月某日
阪神今度はヤクルトに終盤の大逆転負けである。で、岡田がコーチに当たる当たる。やはり年寄りのかたくなさを感じてしようがない。コミュニケーションが取れていないのか。
ああ、もうだめだ駄目だ。
もっと楽しいこともあったのに。立川の中古レコ屋を巡ったり、GMの特集に触発されて上田正樹と有山純次、サウストゥーサウス、憂歌団などを聴き狂ったり、モノホンのブルースに回帰したり、そういうことを書いていこう。
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数少ない読者の皆さん、愚痴ばっかりでごめんなさい。