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夜との対話

買ったばかりのものを落としたらしく、夜中に探しに来たのだが何とも心当たりがないのでさまようことになるんですね。
しかしあなた、こんな夜にこんなところで落とし物をするなんて、一種の才能ですよ。
「ちょっと集中しますね」
ところでいったい何を落としたのです?
「・・・」
大きさは?
「・・・」
重さは?
「・・・」
形状は?
「・・・」
食べ物ですか?
「・・・」
楽器ですか?
「・・・」
本当に落としたんですか?
「それは間違いないのです」
そうですか。間違いないのですか。
買ったことは間違いない、それをズボンのポケットに入れたことは間違いない、そしてそれを落としたことも間違いがない、と、おっしゃる。
しかしそれが何かについては、あなたは回答ができないようだ。何かお力になれるかと思ったのですが、そういうわけにもいかないのかもしれない。なんともままならないことです。
大きさ、重さ、形状も不明となると、それは物ではないのかもしれないではないですか。物ですか?物ではないのですか?
はい?
何か精神的なもの、形而上学的なもの。しかしそんなものが貨幣で買えるものでしょうか。
「心持次第でしょう」
では、どのような店で買ったのか、覚えていますか?
いくらくらいで買ったのか、ご記憶にないですか?
重かったですか?そうでもなかったですか?つまり10kg程度はありましたか。比較的持ちおもりがするというニュアンスですが。
落とした時に音はしましたか?
割れたようでしたか?
そしてどうして落としたと気が付きましたか?
「なくなったことに気が付いたからでしょうかね」
あった時のことは曖昧なのに、なくなった、と気が付くというのは面白いですね。なくしたとたんに存在感が増した、ということですか。
それは妙な話です。
つまり、なくして初めて持っていたことに気が付いたんですよね。
持つということ、よりも、なくすということのほうが大きい体験のようですよね。
「それはあなたにとってのはなしです」
もちろんそうです。私がそう感じたということですからね。
しかし、あなたがこうやって探している。私がそれに気が付いて、お声がけをしたりしている。そうですね、何かのお手伝いをしているわけではないですもんね。手伝いを頼まれたわけではないですものね。
あなたはここでこのように探し物をしていらっしゃる、でしょう?
探し物をしていらっしゃる。そこに私が、まあ、通りがかったような形で、ここにいる。なんでしょうか、そういう形ですよね。
でも、あなたは、その探し物が何かも言ってくださらない。わからない、といったようなニュアンスもにじみ出ています。
「なにもお願いしていないからでしょう」
それはおかしいな。
「おかしくないです」
おかしくないかもしれないのですが。はあ。
ひどく一般的な見解ですが、落とし物の具体性も把握しないで、このような夜中に、つまり暗闇の中で、落とし物を探すということは、いかがなものでしょう。街灯すらもないところではないですか。ヘッドライトをつけた自動車さえ通行していない。
つまり、思わしい成果をあなたか期待していないのではないようにも思われるのです。
「おかしくないです」
もちろんもちろん、おかしくはない。
私ですか?はい、探し物をすることはあります。が、探し物はなにかは分かっていますよ。例えばシャツのボタンだったり、会社のカードキーだったりしますよ。具体的なのです。当たり前ですよね。
あれがなくなったから、あれを探そう。
と、なるわけです。
おやおや、あなた、どちらへ行かれるのですか?
探し物を落としたのはここらへんではなかったのですか。
「こことはどこですか」
ここです。私とあなとのいる、ここです。川があります。せせらぎが聞こえますね。木が生えています。花は見えないですが、香りがしますね。沈丁花。
ああ、ああ、どちらへ行かれる?
「少し動いて見ます。あなた、もうすでに夜半を過ぎています。私なんかにかかずらわっていては明日のお仕事に差し支えるのではないですか」
私は私で、学生というわけでも、会社員というわけでもないのですよ。芸術家というわけでも文芸評論家というわけでもないです。なにものか、とか言われても、はは。
「なにものですか?」
お答えしかねる現状なのです。しかしあなた、あなたの探し物というのは妙です。このような夜半過ぎに、明かりもないようなところで探すというからには相当大事なもの、貴重なもの、取り換えのきかないものと思うじゃないですか。しかしあなたにそんな執着心は感じられないんですよ。どうしてもそれを探し出そうという気迫が感じられないというか。
「焦燥感はあるんです」
そうでしょうか。まるで探し物をすることが目的になっているような気がしませんか?
ええ、ですから、私も落し物はします。探せば大体見つかりますがね。ダメな時もあります。
見つかるかダメか、紛失してしまうかですね。その中間はないですよ。探すという行為を目的化することなんかあり得ないじゃないですか。
「焦燥感はあると申し上げています」
なぜ?と思うのです。
しかし、と、なると、その探し物には改めて関心がわいてしまいます。つまりその重要なものがあなたを、あなたの存在を規定するのかもじれないじゃないですか。そうするとあなたを理解することができるのかもしれないではないですか。重要度などというものは相対的なものです。相対的なものはその人自身ではないですか。
え?存在の規定など?意味がないというのですか。
「そして古いですよ。存在などを規定する必要が一体どこにあるのですか?あなたは、ご自身を規定できるというのですか?」
できますとも。
「どのようにですか?」
今現在はあなたの様子を横から見ています。そう、並んで歩きながら。つまり私はあなたの観察者のような立場になりますが、むしろ保護者という方が近いかもしれません。そう、あなたの好むと好まざるとにかかわらず、ですね。私はあなたの同行者という位置づけになるかと思います。
「普遍性はないですね」
普遍性など必要と思っていないからです。
そうしてあなたと並んで歩きながらあなたを見ているとあることに気が付くんです。あなた、お連れがいますね。
「この女のことですか」
女性でしたか。とても無口でいらっしゃる。ついの今まで気が付かなかった。ご一緒にこんな夜に落とし物を探しているわけですね。もしかしてこの女性の大事なものを落としてしまって、それで今、こんな夜半に彷徨されているわけですか。
「彷徨とは何でしょう」
まるでそのように見えるのです。確かな目的地があるわけではないのでしょう。目的地があればむしろおかしいでしょう。だってあなたは探しものをしているわけですから。しかし女性を同行しているというのが引っかかる。こんな夜に、女性を同伴して、探し物を、してる。ときに、こちらの女性とのご関係をうかがってもよろしいですか。
「妹です」
そうなんですか。妹さんですか。
「姉です」
姉というのは古来から凶暴凶悪なものですが、そうなんでしょうか。
「中学校の恩師なのです」
ひどく厳格そうな方でしょうか。両端が上がっているべっ甲フレームのメガネがお似合いなんでしょうね。ご担当は数学なのでしょうか。
そうですか、つまり誰でもないのですね。わかりました。
でもそれは逆に言うと、誰であるか、私の好きなように解釈してよいということにはなりませんか?
「それは自由のはき違いです」
「それは自由のはき違えなのよ」
妹さんですか。
「そのような解釈の自由とはそうそうあるものではないと思う。そんなことが許されるのなら、この世の秩序はどうなってしまうのでしょう。私があなたを見て、その容貌からある職業についている人だと思うとする。でもそんなことは許されないことでしょう」
そうでしょうか。
ところでこんな夜半に外を出歩くというのは、あなたにとって奇異なことではないのですか。
「奇異かどうかは分かりませんが、ある目的ができたものですから、このように歩いているのです」
もし差し支えなければ。
「食事をするのです」
食事。それは深夜営業をしている店で、ということですね。
「そうとも限りません。私は虎を食べようと思っているのです」
虎。
「虎の肉を食らう。それが私が今こうして歩いている目的です」
しかしあなた、虎の肉を食らうのは容易ではありますまい。
「もちろんです。それがそのように容易なことならば、どうしてこのような夜半に自力で歩きまわる必要があるでしょう」
ごもっともです。
「語りますと、虎は現在、主に関東で食されます。関西ではなじみの薄い食材といえますね。昔々、東西の交流が今ほど盛んでなかったころには、鰯もそのような存在であったと聞きました。ある世界的な指揮者のエセーで読んだのです。彼は東京出身で、少年時代魚屋で一山いくらで鰯を買っていたが、彼は京都の大学に進学したのですが、かの地ではそのような買い物の楽しさ、もちろんそれを調理して味わう楽しさは味わえないというようなことを書いてあったのです。
虎は主に関東で食されます。これはもう否めない事実でしょう。何かの折に禁忌となってしまったのかもしれませんが、私には何もわかりません。そしてここ関東でも、誰でもどこでも食することができるか、ということとは別問題です。あなたはどうですか」
虎を食らったことも、今後食べるだろうという見込みもありません。残念ながらというべきでしょうか。
「もちろんそうでしょう。私は虎を食べるのです。そうしなければならないのです」
牛でも豚でもいけないのですね。
「虎は牛や豚とは違いますね。牛や豚ではだめなのです。いや、違うのです。まるで意味が異なってくるのです」
意味ですか。つまり、空腹を満たしたり栄養を摂取するためではないということですか。
「そうですそうです。まるで違うのです。虎の肉に栄養など求めてはいないのです。飢えを満たすことができなくてもよいのです。虎の肉を食らうということはそういうことではないのです。そのような考えに至って、さて、と私は腰を上げ、兄に続いて玄関のドアを開けて外へ出たのです」
お兄様は探し物をしていらっしゃいます。
「それは私にとって関心のほかです。兄は何を探しているのでしょうか」
それがいまひとつわからない。曖昧なのです。なぜあなたはそのことに関心を持たないのですか。
「あなたは質問をしますが、質問自体が答えになっているということはよくあることですね。『なぜ関心を持たないのですか』とか」
虎はなにかのメタファーでしょうか。
「私はメタファーとは無関係です。大っ嫌いなの。それはいつも思わせぶりで、まるで男に無意識のうちに媚を売る女のようだわ。あれはいただけないわ」
メタファーは媚ですか。
「私はメタファーのことなど話したくはありません。それはそうと、話を戻します。私はウナギを食らうのです」
虎。
「そう、私は虎を食らうのです」
お店の見当はついているのでしょうね。
「それがそうでもないのです。少し前にこんなことがありました。それはある日の昼頃のことだったのですが、やはり虎を食らおうと思いました。今日こそは。という決意とともに。ジャケットを羽織り靴を履き、家を出ました。虎を食らわせる店を見つけることがさほど難しいこととは思ってもみなかったのです。割と気安く、やあ、虎の肉、置いてる?」
いやあお客さん、あんたは運がいい。今日は直送のいいのが入ったんです。
「そのような流れでありつけるような気がしたのですが、なかなかそうはいきませんでした。そして歩きました。どのようなところを歩けばいいのか、見当があるわけでもなかったものですから、とにかく歩きました。学生街、商店街、工業団地、中華街、住宅地と、ありとあらゆるところを歩きました。しかし目当ての店はありません。もちろんそれは想定していたことではあったのです。むしろ私は闘志を燃やす、といったところでもあったのです。牛や豚の肉を食らう輩を横目に、私の孤高の矜持は満たされつつあったといってもよいのです。お分かりですか」
つまり虎の肉しか食らう気のないということの優越意識ですね。
「実は過去、何度か、虎を食らおうとしたことはあったのです。私は一人その店に向かったのです。そこで虎肉を食わせるということはなぜかよく知られていたということでしたから、私は白昼そこへ向かいました。とても分かりやすい場所だったので、私一人で十分でした。もちろん迷うことなくそこへ到着できたのです。
そこは白っぽいビルでした。10階建てほどだったかと思います。その玄関にしばらくたち。少し後ずさりをして上を向いてビルの全貌を見ようとしました。ビルの全貌は見えました。10階建てですから特段大型というわけでもない雑居ビル、でした。私が目指す店は4階にあることが分かりました。なぜならばその階の壁面に大きな横看板が出ていたからです。店の名前は失念しましたが、とにかく虎の肉を供する店であるということが書いてあったのです。私はなんと簡単にその店を見つけたのかと驚いたものでした」
それであなたの矜持は満たされましたか。
「そのような問題ではないのです。才能の問題、なのですよ。誰もかれもが虎を食らうことができるわけではないのです。需要と供給。太郎と花子。この世の中では虎など食らわなくて何の問題もなく生きてゆかれる人もいる、いや、それが大多数なのですね。例えばここに10人、虎を食らいたいという人がいる。するとおそらくそのうちの半分は本当に虎を食らいたいわけではないのです。気取りや妙な自意識が原因なのです。自分は牛や豚を食らって満足しているような人間ではない、といったような。わかりますか。
プライドの高さとは自分で規定できるのです。ものすごく高く規定する人がいれば、え?あなたそんなに低く、というくらい欲のない人もいるのです。
私はプライドの問題ではなく、私自身の存在意義の問題として虎を食らおうというのです。少なくとも私はそう思ったのです。
そうして私はそのビルの4階に向かいました。エレベータを使いました。エレベーターの階数表示が4を示したので、私はそこで箱を出ました。そしてエレベーターホールのすぐそばのドアチャイムを押しました。出てきたのは初老の子守といった感じの男性でした」
あなたはそこで来意を告げたのですね。
「そう。予約していたものですが、虎を食らいにまいりました」
虎ですか。何かお間違えではないですか。
「いえ、わたくし何も間違ってはおりません。こちらで虎料理を食らうのですもの」
しかし、はあ、しかし当方は料理を供してはおりませんで。
「料理自体を、ですか」
何分当方は役場の出張所なものでして。料理はなにぶん・・・。
「しかし、看板には4階は虎料理の店と」
はい、しかしここは5階なのです。
「しかしエレベーターの階数は4階と」
そうしてあなたは窓から体半分を突き出して上下を見てみると、下の階に虎肉を食らわせる旨を記載した看板が突き出ているのを確認したのですね。
「するとここは5階なのですね」
恐らくそうです。ここは役場の出張所なのですから。住民票なら差し上げることができます、条件を満たせば。
「もちろん私は階段で1階下に降りていきました。それが何より確実な方法ですから。1階降りて、私はそのドアをノックしました。2度、ノックしました。すると顔色の悪い、寝起きのような、いかにもな感じの女が顔を出したのです。でも、私はそれを気にはしませんでした。私は目的を見失うことがなかったからです。私は言いました、こちらで虎肉を食らうと電話予約したものですが」
何の話ですか。
「虎肉を食らいに来たという話です」
あなた、このビルの何階のどこに用事があって私の部屋のドアをノックしたのかしら。
「こちら、4階の、虎の肉を食らわせる店かと」
ここは3階の住居棟。私は今まで寝ていた。あなたはそれを不躾なノックで起こした。そして虎の肉を食らわせろという。ああ、いいでしょう。食わせましょう食わせましょう。せっかくの今日初めてのお客様だもの。それではお入りなさい。
「その前に教えてください。私は先ほど4階と誤って5階でエレバーターを降りてしまったようなのです。まったくうかつなことでした。恥じ入るばかりです。指摘を受け、私は階段で1階分を降りたのです。するとむろんそこは4階ということになります。そしてこのドアをノックしたのです。それだけのことなのです。しかしそこには」
3階の住居棟に住む女がいたというわけですね。
「とても世慣れた感じの女なのです。服も適当な具合に汗ばんでいて。ねえあなた、4階はないのですか」
3階があって5階があって、4階がないビルなどあるでしょうか。少なくとも私はそのようなビルを見たことはないです。それでも、もしあなたがそのようなビルがあると言い張るのでしたら、それは、少し、いいあぐねる感があるのですが。
「ご遠慮なさらず、どうぞ」
それでは言いましょう。才能の問題かもしれません。
「変なところで逆襲をするのは感心しませんね。
あなたは冒頭に、私の兄に対して、『しかしあなた、こんな夜にこんなところで落とし物をするなんて、一種の才能ですよ』とか、おっしゃったじゃないですか。なぜなくしものをすることが才能で、探し求めているような私が見つけられないのが才能に問題があるのですか」
あなたはこうおっしゃっています。ビルの4階に行きたいが、4階と思ってエレベーターを降りたら5階だった。そして1階分降りたらそこは3階だった、と。つまるところはそこにたどり着けないということです。決まっているではないですか。そしてあなたのお兄様に関する言及についてですが、それはそのままその通りのことなのです。
あなた、虎の肉を食らうとおっしゃる。虎の肉を食わせる店にたどり着けないとおっしゃる。行けば食らうことができるということですが、果たしてそうでしょうか。

さあさあ、夜は続いて行くのです。夜というのは終わることはないのです。もちろんご存じのこととは思いましが、夜の次に朝が来るのではないのですよ。もちろんお分かりですよね。夜が、この夜が終わることがあるはずがないでしょう?
「果たしてそうでしょうか」
お兄様ですか。
「父親ということにしておきましょう。しかし本当はなにものでもないのですが。それが証拠に、父というものは孤独な代物と古来より申しますが、私には何のことやらわかりません。息子は探し物に熱中する、結構。娘は虎の肉を食らおうとする、よいでしょう。何の問題もないではありませんか。そう、そしてそれがこのような夜更け、深夜だとしても、深夜営業の飲食店があるかないかなど、考えることはないのです」
しかし夜はいつか明けてしますという人もいますが、どうですか。
「この夜は明けません。明けるものですか。彼らはそのようなものに制約されることはないのです。夜は続きます。あなたはどうお思いですか」
あなた、お父様はこの私に問いかけをされる。そのようなことはついぞご子息やご令嬢には見られなかったことですよ。
「それでいいのです、それで。もう一度申し上げます、ときに、あなたはどうお思いですか」
私は考えません。私はここにいます。私は問いかけ、その回答に対して所感を述べることはあっても、『考える』ということはしないのです。
「なるほど、よくわかりました。考えるということは、考えた末に結論を探り当てるということで、これは私も悩まされてはきたものです。娘は虎の肉を食らう理由を述べていましたか」
わたしは聞いていませんでした。尋ねてもおりません。
「結構、それで良いのです」
とても寛容なのですか、お子様たちに対して。
「特に抑圧的ではないと思いますが、寛容であろうと努めてきたわけでもありません。好きにさせてきました。私の商売を手伝うことを期待したこともありません、いやこれは息子のほうですが。娘にしても同様です。本人の思うがままでよいのです。
虎の肉はあれなりに考えたことなのでしょう」
そのような教育方針のもとに、お子様たちは奔放に成長されたのでしょうね。
「教育方針も何も、かくいうわたしが蟹なのです」
蟹、ですか。この暗闇の中で、この目で確かめることはできないのですが。
「正確に言いいますと、映る鏡によって蟹であったりなかったりするんです。なかったりする、というのはつまり人間に見えるというですがね」
蟹になっているのですか、蟹に見えるのですか?
「見えるのです。蟹に変身しているわけではないのです。基本的にはヒトなのですが、映る鏡によって蟹に見えたりするのです。
 例えば、最寄り駅のトイレの鏡には蟹が映る確率が高くて、自宅の洗面所と会社のトイレの鏡はそうではない、というような。そういうことが起こるのです。そうなるとどうしても前者のトイレを敬遠してしまうといったような心理になっているんです」
なぜでしょう。
「いや、誰だって自分が自分以外のものに映っている鏡を見るのかいやじゃないですか」
そうでしょうか。
「少なくとも私はそうです。あなたは違うのですか?
ただ年を取ると蟹風な外見になることがよくあるとは言われてますよね。だから、実際にはヒトなんだし、それ風に見えているだけならばさほど気にすることもないのかなと思うんですね」
あきらめというか。
「仕方がないというか、ですね。
 また、たとえ蟹になったとしても幸い就業規則に蟹を排除する規程はないので、仕事は今まで通り続けていけますし、結構町でも蟹を見かけますもんね。とりあえず生きていく上での理不尽な不利益はない、と。
 ただ、やはりいきなり鏡に蟹が映ったときはびっくりしました。あ、蟹、というか。別に今でも慣れることはないですよ。だから蟹に見えそうな鏡はなるべく見ないようにしているんです。
でも町で蟹であるヒトを見かけた時は、やはり見てしまうんですね。顔のみならず、全身が蟹であったりしますでしょ。スーツの袖口から出ているのは手ではなくはさみで、8本の足を窮屈そうにズボンに押し込んで、ぎこちなく歩いているその姿。つまり私もこのようになるのか、なんてふと思ったりするんです。取り越し苦労と分かっていながらですね。
ある時には、いつの間にか我知らずその蟹を凝視していたようで、あの目で鋭く見返されたんです。
-何見てるんだよ。蟹がそんなに珍しいのか。お前だって蟹ではないか。
そんな怒気をはらんだ視線でした。
 実際のところ、鏡の具合か、光線の加減か判然とはしないのですが。蟹に見えたりヒトに見えたりしていると、果たして第三者にはどのように見えているのかが気になってくるものなのです。ある時思い切って妻に聞いてみました。
ー最近の俺、どう見える?
ーどうってなによ。
ー最近、どこか変わって見えないかな?
ー見た目が?ううんと、さあ、特に変わらないけど。何か気になるの?
ーいや、いいんだ。
正直には言えないのかもしれない、と思いました。。
誰も面と向かって、お前、最近蟹だよ、などとは言いにくいのかもしれないじゃないですか。
そうなると、これは自意識の問題となってしまい、ますます内向することになります。
しかし日常は変哲もなく過ぎていくのです。
出勤前に歯を磨きながら洗面所の鏡に映る自分を見ながら「ここで蟹に見えることはあまりないな」と、ぼんやりと考えているが、通勤途中立ち寄ったコンビニのトイレの鏡に映るのはまぎれもない蟹だったりするんです。
 また、平穏な気分で電車で居眠りをしていて、ふとリュックの真鍮の留め金に映った顔が蟹なので、のけぞったりする。いきなりのけぞるので、対面に座っている人が怪訝そうな顔をしているのが分かり、思わず、あ、乗り越してしまったというていを装ったりしてしまうとか。
夜の電車で向かいの人が席を立ち、その窓に映る自分が蟹だったりもする。つまり油断がならないわけなんです。
そしてまわりから蟹と見られているのではないか、このまま更に深く蟹になってしまうのではないか不安になることもあるんです。しかし誰かに聞いても同じ答えが返ってくるばかり。
「なにがですか。全然変わらないですよ」
そうして少しづつですが、蟹が内心に占める割合が増えてきた気がしたんです。今は蟹に見えていないか、とか、すでに蟹になっているのではないか、とか、あそこを歩いている蟹と私とどっちがより蟹らしいのか、とか。
ただ、絶対的に蟹化している、ということではないと思っていたんです。そうならヒトに見える場合があることの説明がつかないではないですか。
ただ私の蟹は、やむを得ない自然現象とでもいうべきもので、決して目指したものではないのです。やむにやまれず蟹になったのです。果たしてこのようなことが娘に届きますやら」
特別な才能ではないのですものね。
「あるものですか」

おや、あなた。
「これだったのかもしれない。これでなかったのかもしれないが」
探し物を見つけたというわけですね。
「あなたさっきからいろいろと話しかけてきますが、私は何も落とし物をしたなどと言っていないのです。あなたが勝手に言っているだけなのですよ。ですから私は探すという行為をする必要などないのです」
しかしあなたは夜通し歩き詰めだったではないですか。まるでお供のように妹さんを連れて。
「しかしこれかもしれない」
お父様にも先ほどお目にかかりました。
「やはりこれなのかもしれない」
お、何ですそれは。
「光るものであり、闇を照らすものであると同時に、暗闇を生み出すものです」
デ・キリコの絵に、スフィンクスから謎かけをされて、額に指を置いて考えこむオイデプスというのがありますが、いま私はそんな心境です。
しかし、あなた、それはいけない。そんなものを見つけてはいけない。
「とうとう見つけた、とうとう見つけた。これは私のものだ」
いけないいけない、そんなものを見つけ、触れ、つかみ、掲げるなど、してはいけないのです。ましては所有することなど、この世の所業ではないでしょう。ああ、光る、燻る、燃え上がる、反転して夜になる、暗い闇へ落ちてゆく。呆然とするようだ。
「わたしはこれまでの長い長い日々をこいつを探して過ごしていたような気がします。ほら、ほら、こいつもそうなんじゃないかな。わたし見つけられるのをこうして待っていたのだ。ほら、まるで抵抗することがない」
ああ、人が集まってきたのではないですか、こんな真夜中に、そんなに大声で。身振り豊かに騒ぎ立てるものだから。
はい、いいえ、何でもないのです。眩しいですって?大丈夫、もうすぐすべての光はこれに吸いこまれるでしょうから。いいえ、熱くはないようです。冷たいですか、あなた。
「冷たくもありません」
熱くも冷たくもないようです。
あ、あなた方、そこは用水路になっていてちょうど柵が壊れているので、危ないですよ。落ちますよ。結構な高さがあるんだ、そこは。あ、落ちた。5人ほど落ちました。あ、また3人ほど落ちました。
「落ちたら上がってきてください、皆さん。そこはその程度の深さなのです」
わわわ、すごい数がやってきましたよ。10人20人といったレベルではないですね。
「群衆か」
群衆と言っていいかもしれません。いや、も何かわからないです。ものすごく巨大な影が地鳴りを伴って押し寄せてくるというような。
皆さん!皆さ~ん!こちらへ近寄るのは危険です!
え?危険の意味?危険の意味が分からないって?いやいや、今更意味など持ちだすのですか。まいったなこりゃ。このような事態に及んで、意味とは、ああ。
「先ほど気象庁からの連絡で群衆の数がおおよそ10万と発表されました」
だからその数値自体が相対的なものでしかないのだよ。あんたがそれを言ってどうするのさ。多いも少ないも、分からない。だから、ほら、またどんどん。次から次へと川に落ちていくではないですか。
だから、あなた、もう、それを、捨てなければ。どんなことになるというのか、お分かりじゃないのですか。あなた、心に決めてください。そんなものは、捨てるのです。どうしてもそれが嫌だというのなら、あなたは、もう、あなたはもう、

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そうしてその後も数えきれない人々が川へ落ちていき、それはだれにも止められず、しかもたいそうな長時間それは続き、その市の人口の半数以上が減ってしまったということだ。

                                   2024年7月8日






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