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ニッポンのヒール
<詞・曲>
桑田佳祐
「今までで一番ダイレクトな社会風刺の曲。ヒールってのは悪漢とかいう意味だね。
ボブディランも公民権運動や人種差別を風刺してて、それが当時の若者の叫びにつながったんだけど、これは、もっと軽いスケッチ。今は情報量がすごく多いから、作ろうと思えばカーキン音頭みたいに30番ぐらいまで可能だね。」(1992年)
桑田佳祐
「本当はモット・ザ・フープルみたいなのをやりたかったんだけど、作業は夜中に行うから酒が入る。酔っぱらってウチの地下の狭いスタジオかなんかに居ると、何をやってもウケるから、だんだんこんなことになっていった。シャレです、シャレ(笑)。
でもディランの影響って、誰でも受けてるんだよね。ディランて、歌詞のことをみんないうけど、ボクはものすごい作曲家だと思うんです。でも照れ屋でそれを悟られるのが恥ずかしいから、ああいう歌い方でそれを崩していったんじゃないかって、そんな仮説も立ててみたんですけど。」(1992年)
桑田佳祐
「この曲こそギターで作ってる感じするでしよ。ピアノで作るバカいない。この曲ができて、小倉君が来て弾いた。いつもレコーディングの一日目は簡単なコード譜書いて酒飲み会になっちゃう。そうすると物真似とかが出てくるわけだ。で、酒飲んでるから、つまんない芸でもウケるウケる。ビリー・ジョエルとか言って(笑)。その音楽ギャグが波状攻撃を生んで、ポブ・ディランにいたったんです。この曲はそういうことなんです。
僕はボブ・ディランがすごく好きなんです。あの人、ソロだし。ビートルズやストーンズはやっぱりグループだから、王国みたいになってるけど、ディランはソロの凛しさっていうんですか、それでいて非常にいい男だし、わがままっぽいし。だからボブ・ディランに対する敬意っていうのがある。だから僕のディランへの愛の証をやってみたかった。
ただ、いまは、社会に対してどうのこうの言うのは本当に自由だから。たとえば昔の人種差別とか民権運動とかをディランが歌ってたほど、度胸なくてもいいわけだから。
なんか、世の中もう諸悪納得ずく、病気とお友達。別に社会に対して風刺してるっていうのでもなくて、ただその病気のスケッチ、世の中の病気のカルテぐらい、たとえサザンでも書けるっていうのが、やっぱりいまの時代っぽい。今回は詞を作ってても題材はいっぱいあった。サザンもそういう歌をうたうみたいな時代なんじゃないのかしらねぇ。」(1992年)
桑田佳祐
「この曲は僕も好きなんですよ。
それで、どうも最近思うのはね、たとえばよく“一発やろうぜ!”とかって歌うじゃない。僕なんかもさんざんそういうの、やってきたんだけどね。でも、もうこれからはそういうのじゃないなぁ、というのも考えたんですよね。
最近はね、“一発やろうぜ!”より、ちゃんと正座してていねいに“オマンコでございます”って言う方がね、よっぽど過激に通じる時代なんじゃないかって思うんだよね。それとデヴィッドボウイの『ジギースターダスト』とか、あの頃のキングクリムゾンとか、ああいう形で何かを言う凄さっていうのもアリかなあって思ったんです。
ともかく今ってさ “さあ、みんなで頑張ろう!” みたいな曲はたくさんあるわけですけど、闇を歌ったものがない。でも、時代は病んでいるわけだし、サザンとして、もし時代の気分と付き合いながら歌をうたうんなら、そういう頑張ろうみたいなものより、もっとこれからは暗黒を歌うべきじゃないかな、とも思ってるわけなんです。
昔のジャックスの“ぼく~唖になっちゃったぁ~”じゃないけどさ、もうこれからはそうした暗黒の部分を歌うことこそが大切っていうか、そんな気がするんでね。この作品ではさ、その予言の意味でも歌を作りたいなぁって。
まぁ、私もいつまでも、健康的な海と山のお兄さんじゃないんだっていうか、もっと暗黒の部分もあるんだということを、このへんで一つ、見せていかないといけないと思いますからね。」(1992年)
まあ、この発言はアルバム「世に万葉の花が咲くなり」全体のコンセプトにも繋がるわけです。『亀が泳ぐ街』の発言にも出てきたジャックスがここでもまた登場。
桑田佳祐
「(『女神達への情歌』は)僕が思うサザンのベスト5に入るナンバーですよ。この曲と『勝手にシンドパッド』『真夏の果実』、あと一つか二つかなというぐらいなんだ、俺は。『ニッポンのヒール』とかもそのなかに入りますけどね。」(1992年)
<1999.11.17記>
<2024.11.09追記>