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桑田佳祐とラテン〜サザンは世界で流行るか?

てけしゅん音楽情報のサザン回で「今、世界でラテンが流行ってるからサザンもワールドワイドにハネるのでは?」という件を受けて。

説明するまでもなく最強のラテンナンバー「勝手にシンドバッド」でデビューをしたサザンオールスターズ。その後も数々のラテン曲を発表しているがもはや桑田佳祐の得意技の一つとなっている。

桑田佳祐のラテンに関する発言は数々あるんだけど、今回はこの1988年のインタビュー。2024年現在はだいぶ時代感が変わってきているんだど、桑田佳祐のラテンに関する考え方の根底は今も変わらないと思うのでこの記事をチョイスしてみました。

「みんなのうた」リリース〜復活祭ライブ前の時期のこの空気感も含めて感じ取って下さい。

桑田佳祐
「“ラ・バンバ”とか日本で流行るじゃないですか。“ラ・バンバ”って日本人もついていけるんですよね。スペイン歌謡とかは日本人の血で分かる。」

ー日本人はラテンが好きみたいですよね。

桑田 「だって先祖一緒だもん、多分。僕はそう思うけど。」

ーラテン系じゃないかという。

桑田 「うん、ラテン系だと思うんですよね。」

ー桑田さんは少なくともラテン系ですよね、きっと。

桑田 「かもしれないですけどね。セックス好きだしね。そんなこといいか(笑)。」

ーそういえば、少し前にタンゴが見直され
たりもした。

桑田 「うん、だから僕らの親父達の世代に流行ったことを、そのままプリンスとかスティングとかがやってるじゃないですか。ベレス・プラードとかさ、あとザビア・クガートみたいなものをさ、今平気でドーンとロックが解釈してやっちゃってるんだからさ。
だから要するに、ある意味での“野蛮さ”に関しては、日本人が作った歌謡曲の方が結構、例えば白人とか黒人とかジャマイカンとか、そういう人達に対しては融通が効くというか、説得力ある気がするよね。」

ーアバンギャルドだし。

桑田 「アバンギャルドですよ。」

ーあと日本人に足りないのは体力だけという感じでしょうか?

桑田 「そう。体力はどうしても足りないから、例えばブライアン・アダムスとかスプリングスティーンみたいにブワーンとこうやってもさあ、勝てないんだよ絶対にね。

でもね、ホール&オーツとのビデオの撮影でニュー・オリンズなんか行って一緒に踊ってて思ったんだけどね、ラテン・ノリとかね、そういうのは勝てるんですよね。ジェイムス・ブラウンの真似とか、スプリングスティーンの真似とかを俺達がやると香港映画みたいになっちゃうんだけど(笑)、ラ・パンパ・ノリとかさ、マンボのノリとかでは説得力があるんですよね。黒人はそれできないし、白人もできないから。

向こうへ行った時に、黒人とみんなで踊ってて、で、みんなエスニックに踊るんですよね、先祖返りみたいな踊りして、稲刈りとかさ、その狩猟とかセックスとかに戻ってくるんですよね、踊りっていうのはね。で“今夜は、ジャネット・ジャクソンみたいな都会の踊りをやめて、もっとエスニックにソウルフルにやろう”といったら、みんな凄いんですよね。で、凄い世界が広がってね、何か“こりゃーいいや”って思ってね、”こりゃ一宴会だ“って思ってね。”これは日本の宴会に近い!”と思って、俺も適当に踊ってたんですよね。そしたらね、コミュニケートできるんですよ、バイブレーションがピタっと合って。これでも、なんでも、(と、アフリカン・ダンスのような踊りをしながら)これでもいいんですね。独自の踊りをやればね。

一根っこの部分で相手とつながっていける。

桑田「うん、根っこ同志でね。まあ、そういう気がしてね。それで、”ああこれはラテンのフル・バンみたいなソロ・アルバムを作ろう”と決心したんですよ。果してソロの音がそうなってるかどうかは分かんないですけどね。

それから3年前に、トゥレ・クンダを招待したパーティがあって、丁度「KAMAKURA」が流行ってた時に、アフリカの国の大使館の人間とかが色々来たんですよ。で、「勝手にシンドバッド」やったら盛り上ったんですよね。
♪ラララ・ラララ っていうのが分かるんですよ、彼らも。で、踊れるんですよ。一緒に汗をかけるっていうのは、これはいい!”と思ってね。

だから要するにビートとかね、あと、その雄叫びとか、そういう所では僕ら♪ラララ・ラララ で共有できる部分があった。それで白人だろうと、黒人だろうと、共有できるって感じましたよね。」

ートゥレ・クンダのフロントのコーラスの女性なんて、まるで取りつかれたように踊ってましたよね。

桑田「でもあれも日本人の踊りみたいだったでしょ?」

ー"エライヤッチャ、エライヤッチャ”の。

桑田 「そうそうそう。だって日本人と同じだもん、手ぬぐい振り回して踊ってるのってさ。
俺達もさあ、例えば芸者あげて宴会なんかでは"ア・ソーレ、ア・ソーレ”っていって踊ってるのとさあ、あのアフリカの人達がやってるのってさあ、ちょっと“穀物の臭い”があってさあ、似てますよね?だからあれは絶対武器なんですよね。」(1988年)

85年トゥレ・クンダ、87年ホール&オーツと海外勢との共演で感じ取った日本人ミュージシャンとしての強み。
88年ソロでは実現できなかった“ラテンのフルバンみたいなソロ・アルバム”。
この発言の1年後にはラテン音楽とがっぷり四つを組んだ「稲村ジェーン」製作に取り掛かっているのも興味深い。

また、この数年後にも「日本人のDNAにはラテンが入っている」という名言も飛び出すほど桑田佳祐のラテンに関しての考え方は面白い。

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