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すいか

1988年の「みんなのうた」でのサザン復活を経て、翌1989年ベストアルバム「すいか」をリリースしたのちのインタビューより

―サザンは現役のナツメロバンドの役割があるみたいな。
桑田佳祐
「クラシックって言ってくれる?(笑)。現役のナツメロバンドかもしんないけど、やだよね俺は」

―現役で一番メジャーでありながらナツメロバンド的意味合いも持ってるってすごいよね。4年半も休むからいけないんだよ(笑)
桑田佳祐
「(笑)この4年半ぐらいでそうなった可能性あるよね」

―その辺ナツメロバンドのおじさんとしてはどうですか?
桑田佳祐
「んー、だからあんまり好きじゃないんですよそれは。だって昔の曲を聴かれるっていう、これほど恥ずかしいものはないもん。昔の曲を聞き直されてるとかさ、会った時に『“いとしのエリー”聴きましたよ』とかさ」

―いいじゃない、「ありがとう」って言うんでしょ?
桑田佳祐
「言わないよぉ。ほんっとに興味のない話題ってそういうことよね、『“チャコの海岸物語”うちの父が好きで』なんて」

―いいじゃない。
桑田佳祐
「良くないよぉやっぱり。世の中でいっち番興味のない話題ってそれ」

―だけど世間はそういうことにすごく興味があるわけじゃない?
桑田佳祐
「だからね、俺に言うことじゃないと思うんだけど」

(中略)

桑田佳祐
「まあレイチャールズほど偉大になってしまえば腹の中は煮え繰り返んないかもしれないけどさあ、俺はセコイからやなんですよ、そういう昔の話しは」

―その割には「すいか」っていうとんでもないレコード出したじゃないですか。
桑田佳祐
「あれは俺の知らないところで・・・説明して説明して」
マネージャー
「あれはビクターの企画モンっていう世界で」

―で、結局OKしたんでしょ?
桑田佳祐
「だからあ・・ああいう企画が最初からあったわけではなくて、ね?何か出したいっていう企画があって、ああいうようなのは一切やめようって話しになってたんだけど、結局・・とにかく出したい動機があるじゃない、色々と思惑があるじゃない。
その思惑はアーティスティックじゃないからやっぱりやだという戦いもあるんですよ。
で、一緒に働いたものとしてはやっぱりね、ボーナスも欲しいだろう、これだけ言ってくるからにはやっぱり、よしわかった最後には信頼しなくちゃいけないっていうね。そういう微妙なねえ・・・んー、まさにスイカなんですサザンは。
あの『すいか』のレコードじゃないけど、ま・さ・に・色んな人間の思惑とか信頼関係とか、それから色んなのがあるんですよぉ」

―だけど1万円もする高価な商品があんなにバカみたいに売れると思いました?
桑田佳祐
「んー、まあねえ、売れましたけどねえ」

―やっぱり現役のナツメロバンドなんですかね。
桑田佳祐
「そうそうそう。まさに現役のナツメロバンドなんだよ、あの『すいか』の時点までは。だからそういうことはしたくなかったわけ俺は。でも、やっぱり色んな思惑とかね、ノベルティとかそういうものをどっかで手放さなくちゃいけないというね、新譜が出てない分・・・辛いっすねえ」

―だけどそういうヤクザな商売っていいと思いません?逆に。何かポップビジネスやってるっていうダイナミックさがあると思いません?
桑田佳祐
「思います思います」

―そういうことを楽しめるキャパシテイっていうのは・・・。
桑田佳祐
「いや、楽しめてないけどさ俺は。『すいか』に関しては別に」

―そこがサザンの大衆性を支えていると思うんですけどね。
桑田佳祐
「んー、そうかもしんないけど・・・まっ『すいか』はね、あれはあれだけのもんですからね、ほんとに。スイカじゃないけど置いときゃ腐るもんでしかないでしょ?もうあれは腐ってしまってますよ」

―いや、今年ビクターは「めろん」出すっつってましたよ。
桑田佳祐
「キャーッ」

―今度は4枚組だっつう話しだよ(笑)。
桑田佳祐
「キャーッ(笑)。もう当分ないでしょう。やっぱり現役としてのレコードが出てなかったっていうのが一番大きかったんじゃないの?こっちの弱みとしても。それはやですよ、やっぱり」(1989年)

1995年のベストアルバムの「Happy」
1998年のベストアルバム「海のYeah !」
の発言と読み比べてみると面白い。
<2001.04.11記>

この「すいか」までの流れについてはtuesday breakheartさんのブログ↓に詳細が書かれています。おすすめ!

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