【チェンソーマン】63〜64話を宇宙一考察してみた
アニメ化で話題沸騰中のチェンソーマン。
ダークヒーロー的であり欲望に忠実な主人公デンジの魅力と、
テンポのいい展開・ストーリー構成が人気の作品です。
その中の60〜70話あたりで出てくる、
サンタクロース、呪い・地獄・闇の悪魔について
63〜64話の考察(サルバドール・ダリとの関係)
を考えてみようと思います。
闇の悪魔とは?
闇の悪魔は64話で登場します。
ツノの生えた仮面と人の顔と体で出来た胴体が特徴です。
胴体中心の顔3つは、
上から
言わざる(口が縫われている)
見ざる(目が縫われている)
聞かざる(耳がない)
の顔になっています。
見ざる言わざる聞かざるは、
『子どもには悪いものは見ず、言わず、聞かずに、良いことだけ吸収して育ってほしい』
という意味があります。
これは61話のクァンシの発言に通ずるように感じます。
『朝のニュース番組に出ているレポーターのことが好きでよく見ていたが、ある日スキャンダルが発覚し、その番組を見なくなった。』
というクァンシのエピソードと、そのあとの
『この世でハッピーに生きるコツは無知で馬鹿のまま生きること』
という発言からは
見ざる言わざる聞かざると似たニュアンス
を感じませんか?
また、闇の悪魔がアキたちを切り倒すシーンは
『M A K I M A』になっている
と言われています。
呪いの悪魔とは?
釘(または刀)を刺すことで呪いをかけられ、4回目の呪い(刺すこと)で死に陥れる。
これが呪いの悪魔の力です。
初登場はアキvsサムライソード戦で、
アキの刀を呪いの悪魔が指で弾いていました。
アキの刀については姫野先輩が、
『刀を使うくらいならデンジくんが死んで?』
といっていたことから、
最終手段としての必殺技であることが分かります。
呪いの悪魔は別の場面でも出てきます。
それが60話あたりの
トーリカと師匠
です。
彼らはチェンソー(デンジ)の心臓を取るため、
デンジに釘を刺していきます。
そして62話にてついに4回目を刺し、
デンジを呪うことに成功します。
サンタクロースとは
トーリカはデンジに釘を4回指した後、
チェンソーの心臓を奪おうとしますが、師匠に止められます。
そして師匠は様々説明したあと、
トーリカを人形にするのです。
その後、サンタクロースだと思われたおじいさんと隣り合わせで描写されます。
このことから、トーリカと、
サンタクロースと思われたおじいさんは
既に人形だった
のだと分かります。
人形の悪魔と契約した
サンタクロースとは、師匠のこと
だったのです。
地獄の悪魔とは
地獄の悪魔は、
対象を地獄に連れていく
悪魔です。
地獄の悪魔のシーンで印象的なのは、
デンジたちのいたビルに手で現れたシーン
でしょう。
このシーンをみて、『なんだこりゃ?』となった方は多いのではないでしょうか。
このシーンの考察は様々ありますが、
有力説は
アンダルシアの犬のオマージュ
です。
見開き左の、
握り拳とアリ、花が描かれているコマですが、
これはアンダルシアの犬という映画のポスターを
オマージュしていると言われています。
アンダルシアの犬について
アンダルシアの犬は、近代画家
サルバドール・ダリ制作のシュルレアリスム映画
です。
シュルレアリスムとは、芸術表現の一つで、
日本語では『超現実主義』と訳されます。
詳細は別記事で話しているため、簡単に説明しますが、
シュルレアリスムは現実を超えたものを表現しようとしていました。(=現実を超えた=超現実)
その一つの手法が、
夢・無意識を表現することです。
夢や無意識には現実的な要素はなく、
想像で創られる超現実で溢れているとされました。
そのためアンダルシアの犬は、
超現実な映画で、ストーリー構成は一切なく、
前後の繋がりのない、ただひとつのそれぞれの場面が繰り返される映画
になっています。
そんなアンダルシアの犬がチェンソーマン63話に出てきたわけですが、
ここでポスターとチェンソーマンのコマとの違いを見てみます。
地獄のモチーフの
元ネタとされるアンダルシアの犬のポスターはこちら
です。
地獄と見比べると
アリの列が縦横反対になっている
手がちぎれている
四隅にたんぽぽがある
などの違いがあります。
この意味は、
①アリが地獄と現世の間の役割をしており、地獄と現世が切り離されたことを表現している
②拳は現世から地獄に行く時に千切られた(意図的もしくは不可抗力により)
③たんぽぽの花言葉→愛の神託
から、ポチ太のデンジへの愛を表している
などの考察がされています。
63話16、17ページの意味
師匠が地獄の悪魔と契約した後、
怒涛の展開が続きます。
まず16ページで、
地獄の悪魔の手がビルの上から降りてきます。
この手は地獄の悪魔の手であり指が6本あります。
そして次の17ページでは、
握り拳と横断するアリ、四隅のたんぽぽ
が描かれます。
ここで、
地獄の悪魔の手がビルの上に出てきた時点では手を開いていますが、
次のページで手を握りアリとたんぽぽの描写に移っています。
これは
ビルの上での登場=現世に地獄の悪魔が来た時
であり、その目的は
ビルの中の生物を地獄へ連れていくためだったから手を開いていた
のです。
そして地獄の悪魔は、
デンジたち(ビルの中の生物)を全て
手のひらの中に握り、
地獄(たんぽぽ畑)の中に連れて行った
のです。
63話ラストシーンの意味
63話は地獄へ連れて行かれたシーンで終わります。
このシーンでの謎ポイントは以下のものが挙げられます。
地獄なのになぜ花畑なのか
頭上のドアは何か
左下のバスタブは何を表しているのか
まず、
①地獄なのになぜ花畑なのか
についてです。
そもそもこの場所が地獄であるとは、
64話で天使の魔人が言っています。
しかし『地獄の匂い』という表現には、違和感があります。
通常、一度来た場所であれば、
匂いではなく視覚的に認識するはずです。
『ここ…地獄だ…地獄の景色だ…』のように。
しかし匂いで地獄と認識しているということは、
天使の魔人が訪れた地獄とは風景が異なる
ことが予想できます。
つまり、
地獄=花畑はこのシーンのみで、
別の人・シチュエーションで地獄に行った場合、
違った景色の地獄がある可能性
があります。
ではなぜ今回の地獄は花畑だったのか。
それはまたしても、
サルバドール・ダリとの関係が予想されます。
以下は
サルバドール・ダリ作『指』という作品です。
この作品を見ると、
右奥に山脈のようなチーズ🧀のようなものがあります。
これはチェンソーマン63話ラストシーンも同様で、
アキたちの奥に山のようなものが見えます。
そして64話のスタートでは、
指が草むらに落ちているシーンが描かれます。
この右奥の山と指の共通点から、
地獄はダリの『指』を参考にしている可能性があり、
『指』では地面が薄緑色だったので、それに合わせて花畑(草むら)にした。
と考えられます。
また『指』の右下では羽の生えた生物が頭を悩ませていますが、
これも天使の魔人のように見えます。
(チェンソーマン内では天使の魔人は頭を抱えておらず、パワーや暴力の魔人が頭を抱えている。)
そして『指』左下の、
木のツノが生えた生物は、闇の悪魔
のように見えます。
闇の悪魔はツノのある仮面を被っています。
これらをまとめると、
ダリ作『指』 チェンソーマンの地獄
・右奥に山 ・右奥に山
・指のモチーフ ・切れた指が散在
・床は緑色 ・地面は草原
・右下の羽のある生物 ・天使の魔人
・左下のツノのある生物 ・闇の悪魔
といった類似対比がされており、
ダリ作『指』のオマージュである可能性が高い
と思われます。
続いて、
②頭上のドアは何か
です。
改めて地獄を見てみると、
頭上に無数のドアがあります。
このドアは闇の悪魔が登場するシーンで使われ、
闇の悪魔がドアから落ちてやってきます。
このことから、
ドアはそれぞれ悪魔たちのいる場所(部屋?)に通じている
と考えられます。
ただそれだけでなく、コメントやネット上には、
ポチ太とデンジの会話内で出てくる、開けてはいけない扉のことでは?
との推測もあります。
ただ私は、
ディズニーのモンスターズ・インクと関連づけている
とも思います。
理由は2つです。
モンスターズ・インクにはドアが出てきます。
このドアは
モンスターたちの世界と子どもの部屋を繋ぐもの
で、子どもを怖がらせるために使われます。
そしてドアはそれぞれ違う子どもの部屋につながっており、
子どもの数だけドアは存在します。
この『ドアがそれぞれ違う子どもに繋がっている』という点は、
チェンソーマンにおける、
『地獄のドアがそれぞれ違う悪魔に繋がっている』
との考察に似ています。
どちらもドアが異界を繋げるポイントになっているのです。
次にサルバドール・ダリとディズニーの関係が挙げられます。
チェンソーマン作者、藤本タツキ先生のサルバドール・ダリに対する傾倒はこれまで説明した通りです。
そんな藤本先生の愛するダリですが、
63話でオマージュされた『アンダルシアの犬』
の他にも映画を撮っています。
そのうちの一つが『デスティーノ』です。
デスティーノは、
脚本ダリ・制作ディズニーの短編映画です。
ダリはウォルト・ディズニーと親交があり、
その縁でディズニー社出版で映画を撮ることになっていました。
その映画こそが『デスティーノ』です。
デスティーノの制作開始は1945年ごろで、
戦争による疲弊や財政難から映画制作は頓挫します。
しかし途中で制作中止となった後も
ディズニー社の倉庫内に絵コンテなどのデータは残っており、
1999年に制作再開、2003年に映画公開となりました。
この話から、
ダリとウォルト・ディズニーには深い関係
があったことは予測されます。
また藤本タツキ氏はインタビューにて、
よくみるアニメにディズニー作品・ピクサー作品
を挙げています。
この、
ダリとウォルト・ディズニーとの関係
藤本氏がディズニー作品をよくみるという事実
これらから、
ディズニー作品をオマージュしている可能性は推測でき、
その結果、
ドアを扱うディズニー作品=モンスターズインク
をオマージュしている
となるのです。
③左下のバスタブの意味
こちらもダリのオマージュ説が濃厚です。
ダリはお風呂で制作をしていたような写真が残っています。
またダリの風呂に関する作品では、以下のものがあります。
ペンで描いたラフのような作品ですが、
チェンソーマンの地獄とは多くの共通点が見られます。
まずダリ作『指』・チェンソーマンの地獄
と同様に、
右奥に山のようなものが見られます。
また左下にはタンポポとアリも見られ、
63話17ページの描写はここから着想を得た可能性もあります。
以上をまとめると、
チェンソーマンの地獄は
サルバドール・ダリ作『指』
『浴室のソリローキス』
ディズニー作『モンスターズ・インク』
をオマージュして描かれた
と思われます。
サルバドール・ダリの伏線
ここまでサルバドール・ダリ作品のオマージュを多数紹介してきました。
では、他にもダリとの関連が予測される伏線はあるのでしょうか。
実はまだとても大きな伏線があるのです。
それは
チュッパチャプス
です。
チェンソーマン愛読者なら、チュッパチャプスだけでどこを指しているかわかるでしょう。
22話で、デンジが姫野先輩からゲロチューされた後のシーンのことです。
ゲロチューされたデンジを呼び出すマキマ。
これからチューするときには必ずゲロを思い出してしまうと嘆くデンジに、
それまで自分が舐めていた
チュッパチャプスのコーラ味をプレゼント
するのです。
このシーンは覚えている方もいらっしゃるかと思います。
このチュッパチャプスですが、
実は
ロゴをサルバドール・ダリがデザイン
しているのです。
チュッパチャプスのロゴデザインを委託されたダリが
最初に発表したロゴがこちらです。
その後デフォルメを繰り返し現在のデザインになっていくのですが、
主軸はダリのデザインが採用されています。
つまりダリとチュッパチャプスは関係があり、
藤本タツキ先生がダリに傾倒していることは、
チュッパチャプスのシーン
22話から暗示されていた
のです。
また他の伏線として、
捜査4課隊長岸辺の名言
があります。
ダリの名言に、
Si se juega a ser genio, uno se convierte en genio.
天才を演じきると天才になれる。
があります。
この言葉に似た表現がチェンソーマンにも存在します。
それが岸辺の
『日々の積み重ねがネジを緩めんだ』
です。
岸辺は、
頭のネジがぶっ飛んでるヤツが強い
という価値観を持っています。
この二つを繋げると、
『頭のネジがぶっ飛んだヤツを演じれば、頭のネジがぶっ飛んだヤツになれる。』
という表現になり、
ここからも
ダリとの関連
を感じられます。
まとめ
今回はチェンソーマンについて、特に60〜70話辺りを中心に解説しました。
またチェンソーマンとサルバドール・ダリの関係についても考察しました。
サルバドール・ダリについては以下の記事で
超簡単解説してますので、ぜひご覧ください。
ここまで作り込まれたストーリーとコマ割り、シーンを見ていると、
漫画がアートとされることにも納得
します。
現在、日本には多数のマンガが存在していますが、
私はチェンソーマンをはじめ、藤本先生の作品が特に好みです。
異世界的でグロテスクな超現実な表現
でありながら、
人間の生々しい感情を現実的に描写する作風は
漫画界のサルバドール・ダリ
と言えるのかもしれません。
そしてそんな藤本先生であれば、
たとえ砂漠でも漫画を描き続ける
のでしょう。
El verdadero pintor es capaz de pintar escenas extraordinarias en medio de un desierto vacío.