短編小説:世界で二番目に大事(後)

         本文

「あ、ああ」
『試しはもういいだろう。対戦相手もお待ちかねだ』
「わ、分かった」
 勝ちのイメージがないまま本番に臨むのは、嫌な気分だが仕方がない。
『それで、何を賭ける?』
 マスターの問い掛けに、滝田は気を引き締めた。
「それなんだが、大事な人の命を賭けることは許されるのか?」
 苦しげな声を意識して作った。思い悩んだ末の結論という感を醸し出すために。
『かまわない。勝利ボーナスのプラスαが多く見積もられるだけのこと』
 認められない可能性もありと踏んでいたが、返答は肯定。心中でほうっと息をつく。
「それなら……俺の一番大事な存在は、滝田貴美子。我が妻だ」
 これも、いかにもやむを得ない選択なんだとばかり、奥歯を噛みしめ、俯き加減に言った。
(一緒に悪事を働いた若い頃なら、こんな真似はしない。だが今は違う。たとえ負けても、あいつと離れられるのなら万々歳だ。ましてや始末してくれるのなら、願ったり叶ったり。お互い、余計な秘密を知っているしな)
 笑みが面に出て来ないよう、必死に偽りの感情を作る。
『認めよう。ただ、念のために忠告しておくと、あなたがもしも負けた場合、滝田貴美子さんの生命はこの世から消えてなくなるが、それでもかまわないと?』
「かまわないことがあるか! 絶対に勝つんだ。負けなんて、考えてない!」
『覚悟の程、しかと受け取った。意気に免じて、プラスαは五千万円としよう。それでは対戦開始』

   ~   ~   ~

 本番のゲームは三戦目に突入していた。
 一戦目は滝田が後攻を取り、ターンを三度繰り返したところで勝利した。二戦目は逆に滝田が先手となり、四度目のターンで負けが決まった。最後の第三戦を取った方が勝利し、賭けたものが守られる。
 ルール通り、対戦相手が誰なのかは互いに分からないままだが、加えて、何を賭けたかも知らされていなかった。
(まさか、相手も自らの命を賭けちゃいまい。そりゃあ、自分の命を賭けたらプラスαがとんでもない額になるのかもしれんが、リスクがでか過ぎるだろ。俺みたいに一見大切な関係者に見えて実はどうでもいい人間を選ぶか、そこまで非情になれないとしたら、不動産や宝石やらが普通だ。この三戦目を勝って、見ず知らずの人間が死ぬ代わりに、一億をもらうのと、負けて賞金は百万止まりになるが、貴美子に死んでもらうのとなら、別に後者でもかまわんな。どんな方法で始末するのか知らんが、貴美子に掛けた生命保険でいくらか入るだろうし。ああ、こんなことなら、もっと大きな生命保険にしておくんだったな)
 捕らぬ狸の皮算用を弾きつつ、滝田は先攻後攻を決めるじゃんけんに勝利し、後攻を取った。勝てる可能性が高くなった、気がする。
 対戦相手の選択決定は、機械で変換された声で聞こえてくる。今、相手は滝田の真ん中の札を抜き取った。それはチョキで、これまでの回に倣うなら、見ずに捨てると思われたが、今回は手札に入れた。そして二枚のチョキがボックスに入れられる。
 滝田の手は、グー1チョキ2パー3になった。相手の左端の札を引き、見ずに捨てる。明確な戦略がある訳ではなく、験担ぎだ。試しの勝負で、マスターが勝つ流れを見ただけに、印象が強い。
 そしてじゃんけんだが……ここはやはり三枚あるパーを消費しておく。双方とも対戦相手の手札の情報が何もないのだから、考えてもしょうがない。序盤の内に試せることは試しておくしかない。
「あ」
 開かれた相手の手はチョキだった。アンラッキーだ。これで一気に残り枚数が7対4になってしまった。
(気が緩んでいた。負けてもいいとは言え、一億円をみすみす逃すのは勿体ない)
 次のターンに進む。相手はパーを引いていき、手元に入れた。が、捨てられることはなかった。敵の手札にパーは今入った一枚きりだ。
 滝田は迷った末、今度は引いた札を見た。パーだった。さっきのが戻って来た格好だ。パーのペアを捨て、手札はグー1チョキ3パー1となる。
 じゃんけんのときの戦略は変えなかった。変えたくても、どうしても三種類を最低でも一枚ずつ残しておきたいと考えてしまう。相手にパーはないと分かっているが、滝田はチョキを出した。
 相手もチョキだった。
(二度続けてチョキを出してきた。次こそはグーか? 相手にパーがないのは分かってるんだ。しかし)
 もしパーを出したら、手元に一枚もなくなる。それは避けたいような……。
(だいたい、今度またチョキじゃないという保証もない。仮にチョキを出して負けたとしても、グー2チョキ2パー1でバランスはまだいい。これがもしパーで負けたならグー1チョキ3パー1になる。いずれの場合も、相手の手札はパー以外の二枚になる。勝ち目のないチョキ三枚を抱えていたら、最早挽回不能じゃないか?)
 時間をぎりぎりまで使って、滝田は決めた。思い込みを排除し、バランス感覚優先、最悪負けてもまだましな方を選ぶ。
 滝田はチョキを出し、札が開かれるのを固唾をのんで見守った。
「――よし!」
 つい、声に喜びが出た。勝ちはないチョキだから、あいこに持ち込めただけで御の字。
(三連続でチョキとは意表を突かれた。次こそグーか? グー二枚かチョキ二枚、あるいはグーとチョキ一枚ずつを持っている可能性があるが、まさか残りもチョキ二枚ってことはあるまい。最初に配られた時点で、バランスが悪すぎる。だが、次にそろそろグーを出すかどうかは微妙だな。手札にチョキが偏って多く、それを効果的に使おうと思えば連続して出すのがいいアイディアだと思える。想像しにくいもんな。だから、俺は負けないグーを今こそ使うときか? もし引き分けると、こっちはチョキ一枚とパー一枚。相手の最後の一枚がチョキなら俺の負け、グーなら俺の勝ち。何だ、五分五分か。もし、ここでチョキをまた出せばどうだ? 負ければそれで終わり。あいこなら、相手の最後の一枚はグー、いや、チョキの可能性もゼロではない。俺はグーとパー一枚ずつだから、勝ち目は残るが、分がいいとは言えない。今回パーなら? 負ければ終わり、勝てば形勢逆転か)
 そこまで考えたところで、タイムアップが目前に。分岐点の多さに、とてもじゃないが対処しきれない。
(ええい、相手は裏を掻いて次もまたチョキに違いない! だから俺はグーだ!)
 理屈も何もあったものじゃない。最後には信仰めいてくる。
 ――だが、今回はこれが吉と出た。
 相手は、四回連続でチョキを出したのだった。
 形勢逆転に、ほっと胸を撫で下ろす心地になる。我が身かわいさから妻・貴美子の命を賭けたとは言え、頭のどこかでは死なせたくない情は残っていると見える。あるいは、一億円への執着かもしれないが。
 次のターン、最後になるかもしれないばば抜きに入る。先に引く相手は、必ず手札に入れてペアができることに望みを託すだろう。推測するに、その手札はグー1チョキ2か、グー2チョキ1。滝田はチョキ1パー1だから、パーを引いてくれれば、ぐっと勝利に近付く。次に自分が引く札を手元に入れるかどうか悩みどころだが、入れなくとも、一枚残ったチョキは、この手がチョキであることは相手にまだ知られていない。
 チョキを引かれた場合、滝田は次に自分が引いた札を見て、手札に加える。手元に残ったパーではペアができないのは明白だが、加えなければ、手元の一枚がパーだとばれているため、じゃんけんで負ける可能性が高い。
(そうか。相手は、俺のパーをじゃんけんで討ち取る流れに持ち込みたいだろうから、その手札はグー1チョキ2か? 仮にグー2チョキ1だとしたら、ペア作りでチョキがなくなってしまう恐れがある)
 めまぐるしく脳内でパターン分けをしているところへ、不意に札が一枚引かれた。
「よっしゃ!」
 またまた思わず声が出た。パーを持って行ってくれた。敵の手札からペアが捨てられることはなく、四枚になった。
 これで、次に滝田がチョキを引けばペアが完成し、手札をなくせる。確実にチョキを引ける保証はないが、ここは文字通り、賭に出る。引いた札を見ることに決めた。
(そういえば……札の位置は変わってるんだろうか?)
 引く札を決める段になって、ふと疑問が脳裏に浮かぶ。
(俺も対戦相手も、手札の実物に触れて、位置を変えられる訳じゃない。まさか、最初に配られたときのまま? だとしたら、引いた札はどこへ置かれるんだ? もしや、そのことも指示すれば機械がやってくれるのか? 俺だけが知らなかったのか? 対戦相手は知っていて、当然俺も知っていると思ったから、札の位置が変わっていない可能性を考えず、引いていたのかもしれない?)
 最終局面になって、重大なポイントを見落としていたと気付いた。だが、もう遅い。質問をして正確な情報を得る時間はない。
 札を決めようと焦る。額を汗が伝う。一本、二本、三本、四本。
 その内の左から三本目が、いち早く流れ、鼻筋をかすめた。
 滝田は運を天に任せた。
「左から三枚目を引いて、手札に入れてくれ!」

   ~   ~   ~

 手元に来た札を見た瞬間、失神するかのような感覚を味わい、続いて震えが足下から上半身へ昇ってきた。
 勝った。
 引いたのはチョキ。ペアが完成し、滝田は手札を全てなくすことに成功した。
 緊張感から解放されたが、声が出ない。今はとにかく、手足の拘束を早く解いてもらいたかった。
『おめでとうございます、滝田豪蔵さん』
 マスターの声が聞こえた。言葉遣いが丁寧になり、心からの祝福をしているように響いてくる。
 滝田は返事したつもりだったが、声はまだ出なかった。
『約束通り、報酬の一億と百万円は、あなたの自宅へ届けさせますので、楽しみにお待ちを。多分、一週間後になると思います』
 そりゃどうも。それより、早く自由にしてくれ。俺の年齢も考えてくれよ……。
『お帰りの準備の前に、もう一つ、しなければならないことがあります。敗者が賭けた物の回収です』
 そんなのはどうでもいい。どこの誰だか知らん奴が死ぬところなんて見たくないし、物品だとしたらなおのこと見ていてもつまらん。
『さて。ここで滝田豪蔵さんに非常に重大なお知らせがあります。あなたが今勝利した相手が賭けていたものは、“滝田豪蔵”でした』
「……え?」
 間の抜けた声が出た。
『付け加えますと、あなたの対戦相手のお名前は――』
「ど、どういうことだ!?」
 相手の台詞を遮り、大声を張り上げた。疲れが吹き飛び、事態の理解に必死になる。
「じゃあ俺はどうなる? 死ぬのか? 何だよそれ! 相手が俺を賭けてたってそんなのありか? 勝っても意味ねえじゃねえか。いや、勝ったらだめだってことだよな。な? そんな重要事項を伏せて勝負させるなんて、非道だ。あり得ん! ギャンブルとして不公平だ! 認めんぞ!」
『不公平と言いましたが、滝田豪蔵さん。こと先程の勝負に限れば、至極公平なゲームだったと断言できます』
「何でだよっ」
『あなたも対戦相手の命を賭けていたからです』

             *            *

 一週間後。
 滝田家には報酬が届けられ、滝田貴美子が無事に受け取った。

  完

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