短編小説:密室殺人を舐めた男

        あらすじ

 推理作家の卵である中西は、一つの決心をした。恋人と別れるために始末――殺害する。何があっても離れないというのだから、やむを得ない。
 自殺に見せ掛けるべく、現場を密室にするトリックがほしい。そこで、アマチュア推理作家仲間で後輩の南島に、さも創作で悩んでいる風を装って、トリックを考案させようとする。果たして他人の用意したトリックで、殺人が思惑通りに遂行できるのだろうか?

         本文

 俺、中西和尊なかにしかずたか。ミステリ作家を目指している。
 目論見では大学在学中に長編デビューを飾る気でいたが、世の中甘くはない。高校二年の頃から書き始めて十年経った今でも、長編はおろか、短編も掌編も賞に投じては落ちる。箸にも棒にも掛からない有様だ。
 理由は薄々分かっている。
 女と付き合ったのがいけなかったのだ。
 いや、全ての女がと言いたいのではない。恐らくだが、江差絢美えさしあやみ、あの女に全ての原因がある。
 絢美と付き合い出したのが二十歳のときで、それ以来、俺の運気は徐々に下降線を辿っている気がする。十七歳からの三年間で俺の小説技術はアップし、一定のスタイルを身に着けたはずなのだ。これからが本番だというときに江差絢美と出会ってしまった。
 尤も、彼女との仲はうまく行っており、恋人として特に不満がある訳でもない。一軒家に同棲しているが、日々の暮らしは非常に良好で、喧嘩らしい喧嘩をした記憶がない。炊事洗濯もきちんとやってくれるし、文句を付けるのが難しい。
 恨みはないが、俺は単に別れたいだけ。そうすることで運気が上昇に転じ、ミステリ作家への道も明るい光が差し込むに決まっている。
 ところが、俺が別れ話を持ち出すと、絢美はこれまで見せたことのない執着を示すようになった。どうしても別れたくないと言う。
 俺の何がよくてそんなに執着してくれるのかが分からない。外見は並で、背がちょっと高いくらい。収入は基本的にバイト暮らしで、ミステリの投稿でも二次選考がせいぜいで、目立った成果は出しておらず、ごく希にネットの投稿サイトで誉められるレベル。大きな財産があったり家族に金持ちがいたりするでもなし。
 むしろ金持ちは彼女の方であり(家は彼女の物で、生活費もほとんどが彼女から出ている)、見目も悪くない。いくらでも男をつかまえられるだろう。
 俺がやむを得ずに運気の話を持ち出したら、完全に逆効果で、そんな理由で別れられるものか、絶対に一緒にいると宣言されてしまった。
 しょうがないので、絢美の家族の誰かに別れたいことを打ち明けて、協力を仰ごうとした。江差家はきっと、俺みたいな男と付き合う絢美をしょうがないやつだと呆れていて、俺から別れを持ち掛ければ簡単に協力してくれると思っていた。
 ところが、そうならなかった。絢美の自主性・独立性を尊重する方針らしく、彼女の両親や祖父母、兄弟らはこぞって俺をたしなめ、もう一度やり直す努力を重ねるようにと諭してきた。
 最早これは仕方がない。
 俺は運気を取り戻してミステリ作家になるため、突き詰めれば生きるために、最終手段を選択すると決めた。

「なあ、何かいいトリックないかな」
 作家(の卵)仲間である南島万人みなみじまかずとに、俺は相談を持ち掛けた。もちろん、実際の殺人に使うなんておくびにも出さず、あたかも創作の相談のように。
「八月のネクスト本格短編賞を狙っているんだが、自前のトリック一つだけだと、物足りない気がしてな」
 南島は俺の後輩で、大学院まで進んでいながら、ミステリ作家に色気を見せている変わり種だ。
「何のトリックがいるんです?」
 手書きのノートをめくりながら、南島が言った。俺達二人がいるのは、南島の入るマンションの一室。しょっちゅう上がらせてもらっては、ミステリについて意見交換したり、議論を闘わせたりしてきた。白熱したあと、泊まり込むことも多々あった。
「密室を付けたそうと考えている」
「密室ですね。部屋の構造はもう決まっているんで?」
「ああ。こんな感じのを想定しているんだ。変更はできればなしの方向で」
 俺は手書きの図を見せた。そう、江差絢美と長年同棲してきて、先月出たばかりの家の見取り図だ。もちろん、正確に写し取った物ではなく、かなり簡略化し、小さな変更もしている。全く同じだと、事件が発覚したとき怪しまれる可能性を高めてしまう。
「この一階の格子窓は、閉じてる設定ですか」
 玄関脇にある窓ガラスを指差した。約十センチ間隔の格子がはまっている。
「鍵のことなら、開いていることにしてもいい」
「じゃあ、一択ですね。施錠は家の玄関の鍵を使い、鍵をこの格子の隙間から家の中に戻す」
「いや、戻すったって、玄関を上がったところに鍵がぽんと置かれていたら、すぐばれる。横の窓を開けて、投げ込んだんだろうって」
「糸を張って、玄関より向こうの部屋に鍵を送り込むことはできませんか」
「ちょっとなあ。見ての通り、格子窓から延長線上にあるのは階段で、その裏側に回ってから初めて部屋に行ける。真っ直ぐ糸を通すのは難しい」
「となると、格子窓から何らかの経路で入れた鍵を、右に曲げて玄関ドアに貼り付けてしまうか、左に曲げて、ここ脱衣所のドアを通り、洗濯籠か洗濯機の中にでも放り込むぐらいでどうです?」
「玄関に貼り付けるってのは面白い。が、接着剤か何かを使うんだろ?」
「そうなるでしょうね」
「糸か何かを使って誘導するのなら、ドアに辿り着くまでに接着剤が固まってしまわないか」
「その危険性は充分あるかと。右には下足入れがあるみたいですが、そこに鍵を入れるのは不自然だ。ドアに貼り付けるくらいのインパクトも望めない。となれば、左に曲げることに決めましょう。仮に洗濯機まで届かせるとしたら、何メートルくらいになりますかね、距離は」
「うーん、五メートルくらいだろうか」
 頭の中で目測してみる。かなり適当な数字だが、身体に染みついた感覚では五メートルはいいところだ。
「五メートルですか。ちょっと厳しいかな」
「長いってことか。そもそも、南島君はどういった方法で、鍵を左方向に曲げようと考えているんだい?」
「ゴムホースのような管です。鍵の大きさを聞いていませんでしたけど、一般的な物だとするとそれなりに口径が広くなければいけないでしょうから、洗濯機の排水ホースなんかがいいかもしれません」
「排水ホースなら、家にもあるから見たことあるが、一メートルあるかないかだろ?」
「間取りの関係で長いホースが必要になることもあるので、ある程度は自由が利くと思いますけどね。ただ、いいなり三メートルのホースを購入したら、店の者の印象に残って、怪しまれる描写を入れなければ」
 南島の熱弁をよそに、俺は脳裏で実際の犯行を思い描く。
 洗濯機は諦めて、洗濯籠に入れるとしても、三メートル強は必要。家の排水ホースを外す訳には行かないから、廃品置き場かどこかから調達して、ダクトテープでつなぎ合わせれば大丈夫か。
 蛇腹状になっているホースの内側を、鍵がうまく滑ってくれるのかね?
 俺がこの疑問を口にすると、南島は短い間考えて、じきにぽんと手を打った。
「凍らせましょう」
「凍らせるって何を」
「鍵を氷詰めにするんです指三本分ぐらいの幅氷のソリを作っておいて、そこに鍵を乗せる、いや、はめ込む形にした方がいいな。とにかく鍵を入れた小型の方舟ですよ。おくすれば多少曲がっていても、蛇腹があっても、上下の高ささえ確保されていれば、スムーズに鍵は排水ホース内を滑っていく。どうです?」
 脳内スクリーンに、トリックが始動する様が、はっきり投影された。これならいけると思えた。
「おお、何とかなりそうだ。サンキュー、南島。お礼はいつか必ずする」
「印税の山分けでもかまいませんよ」
 南島は割と頻繁に、“小説書けない病”を発症する。いつ回復するか目処は立っていないが、トリック案出能力は衰えないから、自分では使わないようなトリックを提供し、見返りで小銭を稼いでいるのだ。
「ま、短編だし、印税は期待せんでほしい」
 分かってますってという南島の声を背中で受けて、俺は彼の部屋を辞した。

 その後、首尾よく排水ホースを必要な分だけ集め、買って来たダクトテープを使ってひとつながりにした。長さ約四メートルになった物体を渦巻き状態にしてなるべくコンパクトさを保つ。ホース内を鍵が滑るかどうかは実験済みだ。氷なしの状態、つまり鍵をじかにホースに投じると、大抵は途中で引っ掛かってしまい、往生する。それに対して氷の土台を作って鍵をはめ込んでやれば、ほぼ十割の確率で成功した。
 殺人決行の予定日を翌々日に控え、“トリック原案”の南島が俺の住まいを訪ねてきた。何事かと不審に思ったが、前祝いに来ましたよと高そうな洋酒を掲げて言う。
 俺は喜んで受け入れた。
 正直な気持ちを言うと、南島にはいつまでも仲のよい友達でいたい。彼の小説は硬質な文章で面白味を欠くが、トリックの創出力には目を見張らされる。玉石混淆ではあるが、とにかく数が多い。いずれ俺がプロとしてデビューしたら、多作のあまりトリックが枯渇することもあろうから、ぜひともブレーンの役割を担ってもらいたいと願っている。
 そのためには、俺がこれから起こす犯罪の真相に、南島が気付いてくれては困るのだ。もし気付かれたら、俺はこいつも殺さなければならなくなる。
 不本意な殺人はしたくない。だから、おまえはほどほどに頭がよくて、肝心なところでは間が抜けていてくれよ。
 俺は願いながら、未来の相棒・南島を招き入れるとテーブルに着かせ、酒の肴の準備を始めた。
 高い酒は気持ちよく飲めるらしく、その夜はいつの間にか明けていた。

 ついにやった。
 夜の住宅街。喜びを爆発させる訳にはいかないため、俺は内心だけで小躍りしていた。
 だが、まだ絢美を絞め殺して葬っただけだ。首吊り自殺に見せ掛けるため、現場の家全体を密室にする。
 幸いにも、絢美の家はその区画の一番奥で、しかも正面には家は建っていなくて、林が続いている。さらに今夜は好都合にも、、隣の家の玄関前に大型のバンが路駐してあった。これらが目隠しになって、俺がトリックのためにごそごそやっても気付かれにくいはず。
 俺は排水ホースのセッティングを家の中で行ったあと、忘れ物がないよう万全のチェックをして、玄関をそっと出た。
 鍵を使ってドアを確実にロック。犯行当初から軍手をしているので、指紋を付けてしまう恐れはない。
 持参した魔法瓶を開けた。中には氷の小舟が入れてある。どの程度溶けるか分からないので、前もってやや大きめに作っておいた。
 魔法瓶を傾けると、左の手のひらに小舟が滑り出た。これまた予め刻んでおいた鍵型のくぼみに、鍵をはめ込む。ぴったりだった。
 鍵を乗せた氷の小舟を魔法瓶に一時的に戻してから、俺は玄関横の窓をそろりと開けた。すぐそこに排水ホースの片方の端がある。この口から小舟を送り込めば、反対側の口から出て、洗濯籠の中のズボンの上に落ちる。
 いよいよだ。俺は改めて魔法瓶を開けると氷の小舟を取り出し、それをホースに入れようとした。
「ん?」
 つい、短く音声を発してしまった。
 小舟が排水ホースに入らない。わずかながら氷が大きいようだ。慎重を期して大きめに作ったが、大きすぎたか。
 だが、この程度のハプニング、想定済みだ。溶かせばいいだけ。
 軍手で擦ることも考えたが、自分の口に入れてなめる方が早いと思い直した。DNA? そんなもの、氷が溶ける頃には流れ落ちるだろうし、仮に検出できたとしても、俺はこの家に少し前まで住んでいた。DNAが出ても大した問題じゃない。
 俺は鍵入りの氷を口中に投じ、溶かしすぎないように三回だけしゃぶった。

             *           *

<――続いては、不可解な変死事件です。S県Tの民家で、男女二人が死亡しているのが見付かりました。女性はこの家の所有者、住人の江差絢美さんで、寝室で首を吊った状態で発見され、死亡が確認されました。家の鍵は全て内側から掛かっていたことから、警察は自殺の線も視野に、慎重に調べています。
 男性の方は亡くなった江差さんと付き合っていた中西和尊さんと見られ、家を出てすぐの路上で、座り込むようにして亡くなっていました。中西さんの死因は毒物によるものとのことですが、詳細の発表はまだありません。
 中西さんが亡くなった場所のすぐ先に、江差さん宅の窓があり、そこからは洗濯機のホースをつなげた物が、延びていたとのことです。これが何に使われたのかは不明です。
 亡くなった二人は、この家で少なくとも先月までは同棲していたとのことですが、近所では仲のよいカップルと評判で、同棲を解消した理由ははっきりしていません――>

             *           *

 自宅のテレビを観ているとき、一報をワイドショーで知った南島は、
「あ、死んだんだ」
 と、淡々とつぶやいた。
 南島万人は、中西和尊からのトリックの“おねだり”がほとほと嫌になっていた。使い勝手のよくない、比較的シンプルなトリックばかりではあるが、一体いくつ提供したことだろう。大学の先輩で、それなりに筆力があるし、ミステリに関しては理論家であったことから、拒みにくかった。
 見返りが大きい場合もあれば、全くないこともあった。それはまあいい。
 今回、うまく行くようならば命を奪おうと南島が思い立ったのは、少し前にマンションに中西が泊まったときのこと。ややお酒の入った状態で寝入ったためか、いつもは判然としない中西の寝言が、その夜はやけにはっきり聞こえたのだ。
 そして内容が剣呑であった。
 どんな夢を見ているのか、中西は付き合っている女性、江差絢美に対する殺意を口にし、密室で自殺に見せ掛けて殺す計画まで仄めかしたのである。
 このままにはしておけない、でも所詮は寝言、警察に届けてもまともに取り合ってもらえるか怪しい。
 その日からしばらく経って、また訪れてきた中西が、密室トリックのおねだりを始めた。心の内で、これか!とぴんと来た南島は、この機会に中西を葬り去れないかと考え、いくつかのトリックを思い浮かべた。
 果たして、中西が求めた状況下での密室にちょうどいいトリックがあった。
 南島がすることはただ一つ。
 殺人決行にできうる限り近い日に、中西の住まいに泊まり掛けで遊びに行く。中西の隙を見て、冷凍室を覗けば、きっと氷の小舟を作るための型があるだろう。もしかするとお手製かもしれない。そこに液体毒を注ぎ込んでおくのだ。サイズがほんの少し大きくなる程度でいい。大量ではないから、じきに凍って見分けが付かなくなる。なお、毒は南島が海外旅行した折に、土産で買った戦士人形の矢にたまたま?付いていた粉で、恐らく毒ガエルから抽出した物らしいのだが、具体的な成分は分からない。生物が経口すれば死ぬ可能性があることは、動物実験で確かめておいた。
 このような毒物だから、人が死ぬかどうか不明。毒を仕込んだ氷が犯行当日まで使われないかどうかも不明。犯行に使われたとして、それを中西が舐めるかどうかすら不確定。
 かほどに偶然頼みの計画殺人だったのに、拍子抜けするほど簡単に実現してしまった。
(こんなあっさり、確率の殺人に成功するくらい運があるのなら)
 南島はリモコンを手に取ると、テレビのスイッチを消した。
 デスクの上に置いたパソコンのワープロ画面を眺めつつ、心中の呟きの続きを声に出した。
「ぼちぼち入賞してもいいんじゃないかな」

――終わり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?