その密室トリックには穴がある
あらすじ
高校生の尾野は同級生の神田和人に対し、かねてよりいい感情を持っていなかったが、ある出来事をきっかけにその感情は殺意に育つ。
尾野には超能力と呼ぶべき特別な力があって、それをうまく使えば、自殺に見せ掛けて神田を葬れるだろう。計画は予定通りに運び、目的は達成された。
ところが後日現れた刑事によって、尾野を疑うだけの根拠があると告げられる。果たしてそれは?
本文
自分に超能力があったらと夢想したことのある人は、それなりにいると思う。特に小さな子供だった頃は。
自分もその口なのだけれども、いざ、何らかの超能力を会得したらどうだろうか。欣喜雀躍して、使いまくるだろうか。皆に注目してもらいたくて大々的に公開するだろうか。
実際に体験してみて分かったことが一つある。能力が期待していたのとは違う、あるいはあまり役立ちそうにないものだった場合、困惑が先に立つ。
自分が身に付けた特殊な力は、いわゆるサイコキネシス、念動力に分類されると思う。ただ、かなり限定されたものだった。遠隔操作できるのは、肉眼で直に捉えた物のみ。しかも、自分の右手の薬指と小指とで挟んで動かせる物に限られる。
何で右手なんだ、と思った。利き手は左なのに。せめて親指と人差し指だったらそれなりの物を動かせそうだけど、薬指と小指ではペン一本、紙切れ一枚を挟むのがやっと。持ってもコントロールできない。というのも、実際の指の動きが反映されるから。これはまあ訓練することで多少は上達したのだけれども、それでも遠方の物を手元に一気に持って来ることは不可能のようだ。自分の腕が実際に届く範囲を超えた距離だと、物を動かすだけで精一杯という体たらく。
かような制限付き超能力、どうしたものかと有効活用を探る内に、ぱっと思い浮かんだのが暗殺、殺し屋稼業。殺しの仕事を請け負うルートがないという問題点は棚上げするとして、殺したいほど憎んでいる奴が一人いるというのもある。遠隔操作の力でうまくやれるのではないか。たとえば剃刀の刃でも持って、遠方にいるターゲットの喉笛を掻き切る――。ターゲットの喉にある急所を自分の肉眼で生で捉えられる距離となると、結構近くまで行く必要がある。遠隔操作の念動力を使うメリットが乏しく、せいぜい返り血を浴びない程度だ。
ならばと、コップに毒を投じるとか、車を運転中の相手をミスらせるなんて方法も考えたが、前者は毒の入手経路に心当たりがないし、後者は確実性を欠く上に、オープンカーか運転席側の窓を下げてくれていないと力を使えない。
殺し屋がだめなら、真っ当な金儲けに使えまいか。たとえば、ジャンボ宝くじの抽選会場に行って、客席から矢の刺さる数字を自分の手元にあるくじ番号になるように……無理だろうな。一度刺さったのを抜き、また刺し直すならまだしも、飛んで行く矢を掴んで、さらに回転中の的から狙った数字に刺すなんて、超人技だ。当選くじを持つ人からくじをかすめ取る方がまだ現実味がある。それとて困難極まりなく、そもそも高額当選者をいかにして見付けるというのだ。
競馬ならどうにかなるか? ゴール手前を見通せる観客席に陣取り、自分の買った馬券にそぐわない馬の目をつついてやれば、その馬は後れを取るか、進路妨害で失格になるんじゃないか。馬に恨みはないのでやりたくないけど。それ以前の問題として、まだ学生の自分は、競馬場に入って馬券を購入するのがやや難しい。ギャンブルに超能力を使うだけでもやましい気分なのに、違法行為を上乗せするのは気が咎める。
金儲けも難しいとなると、男が次に考えるは色の方だろうけど……これまた使いようがない。下着泥棒やスカートめくりをしたって、何の意味もない。
結局、日常の小さな親切かいたずらレベルのことにしか使えないのだ。今日は学校からの帰り道、風船を手放して木の枝に絡ませてしまった小さな子供がいたので、風船を取ってあげた。昨日は、自動販売機の前でお釣りの十円硬貨を溝に落としてしまった老人がいて、硬貨を拾ってあげた。学校では休み時間に、お札を宙に浮かせてみせたが、同じことがマジックでもできるので早くも飽きられつつある。
こりゃもう、サイコロの出目を自然な形で自由に操る練習でもして、サイコロ博打で小銭を稼ぐぐらいしかないかなと思い始めた。が、数日後にまた別の案が下りてきた。日曜日、テレビの二時間ドラマの再放送をぼんやり見ていると、密室殺人の種明かしの場面に差し掛かったときのことである。
ドラマで使われていたのは古典中の古典、使い古されて誰も先使用権を主張しないであろうと思えるトリック、すなわち室内側の錠のつまみに輪にした糸を引っ掛けた後、ドアとドア枠との隙間を通して室外に糸を出し、ドアを閉めてから廊下側より糸を引っ張ることでつまみを回して施錠、糸はさらに引っ張ることでするりと抜け、回収できるという代物。何ともばかばかしい絵面だったが、頭の中では別のことが閃いた。
もしも自分の超能力を使って、室内側から施錠できたら、完全な密室殺人の完成ではないか。アンフェアだのインチキだの言われようが、しょうがないじゃないか。だって、使えるんだもの。
もちろん、小説や漫画のネタとして書く訳ではない。現実に使ってみたいのだ。
こう見えても――どう見えているか分からないが――、先程も記した通り、自分にだって心底憎んでいる人間はいる。死んでくれと思うこともしばしばだ。密室が簡単に作れるのであれば、自殺に見せ掛けて始末するのが現実味を帯びてくる?
そいつは神田和人《かんだかずと》と言って、同じクラスの男子なんだが、学園長の息子という立場を利して、手前勝手な希望をあれやこれやと通している。入学と同時にドローン研究会なる部を起ち上げ、予算を多くふんだくれたのは、学園長の息子故だろう。頭はまあ悪くはないようだが、テストの成績に関しては先生達がいくらか甘く採点しているとの噂もある。優男で腕っ節は強くないが、それにしては体育や格技の成績も優秀と呼べる点数に操作されている。芸術関連の科目も同様。一年の文化祭のときなぞ、にわか結成のバンドでボーカルを務めたばかりか、それなりに伝統・実績のある合唱部や軽音部等を押しのけて、ステージのとりを奪ってしまった。
ここまでなら、まだ殺意を抱く程ではないか、抱いたとしても空想の世界に押し込めておけるだろう。しかし、自分にとって神田和人は一線を越えた。
最初の接点は、一年生最初の定期考査にて、ある科目の答案返却後に神田から言ってきたのだ。「どうしても分からない一問があって、時間ぎりぎりになって君の答を覗いたんだ。そうしたら間違っていて、がっかりだよ」と。その悪びれた様子のないふざけた言い種に、こっちは呆れつつも受け流した。次に覚えているのは、教室の掃除中のこと。クラスメートとふざけていた神田は、モップの柄で窓ガラスを割ってしまった。故意ではないが不可抗力と呼ぶには苦しい状況である。が、神田はこれくらい大した問題じゃないとそのふざけていた相手に罪を被せた。他にも色々あったが、決定打になったのは、自分の幼馴染みに関係することだった。
彼女の名前は糸井瑠音《いといるね》。小学生のときからの幼馴染み、と言っても特に親しい訳ではなく家が近所というだけ。それでも、同じ学校に通う女子の中では、一番よく話す相手になる。そんな自分から見て、彼女は大人しめで目立たないが、一度気になったら長く気になる。凄い美人とは言えないけれども、凄く可愛いと断言できる存在。
神田の眼鏡にも適ったらしく、あいつはどこで聞きつけたか、糸井と幼馴染みだと見込んで彼女を呼び出す手紙を書いてくれと僕に言ってきた。さすがに書くのは断ったが、言づては引き受けてやった。待ち合わせ場所は屋上で、通常は入れないはずだが、学園長の息子だからうまいことやるのだろうとそのときは軽く考えた。
神田と糸井が会ったであろう日の夜になって、ある報せが自宅の方に届き、震えた。
糸井瑠音が校舎のどこか高い場所から転落し、重傷。意識不明に陥っているという。
自分は短い茫然自失を挟んで、神田に連絡を入れた。いきなり詰問調で攻めたのだが、相手は何も知らないと言った。糸井の転落事故のことさえ今聞いたという。神田が言うには、急用ができて待ち合わせの時間には行けなかった。親戚にずっと付き合わされており、アリバイもある――。
一端引き下がったが、神田自身がアリバイという言葉を持ち出したことに違和感を覚えた。少し考え、想像が付いた。
神田はドローンを使って、糸井を転落させたのではないか?
証拠はない。夕暮れ時、校舎の屋上すれすれを、小型のドローンらしき物が飛んでいるのを見たという証言はいくつかあった。ただ、学校の建つ一帯にはカラスやコウモリも多く棲息しており、見間違いではないと言い切れるだけのものはなかった。
他にも疑う理由はあった。神田は言づてを頼んできたとき、いかにも今度初めて糸井瑠音に告白しますという態度だったが、本当は夏休み前に一度、告白していたとあとになって分かった。そして断られていたのだ。気位の高い神田は己を袖にした糸井を許せず、再アタックのふりをしてドローンによる転落事故を仕組んだ……。
不幸中の幸いで、糸井はその後意識を取り戻し、普段の生活に戻れたのだけれども、転落前後の記憶をなくしていた。神田は一度だけ見舞いに行ったらしいが、もしかすると記憶が戻る兆候の有無を探る目的を秘めていたのかもしれない。
本心を明かすと、自分がこの中途半端な超能力を手にしたと分かったとき、真っ先に思ったのは、力を使って神田に真実を白状させることだった。具体的には、あいつの睾丸を念動力でしっかり挟み込み、真相を語らないなら潰してやると脅すという一種の拷問である。
このやり方だと自分はあいつの前に姿を現す必要があるだろうし、そこまでしても白状するかどうか分からない。白状しても物証は恐らくすでに処分され、残っていまい。第一、念動力越しとはいえ、あいつの睾丸に触るなんて御免蒙りたい。
自分の内では、判決は下っている。状況は神田和人をクロだと示している。あとは刑を実行するのみ。単なるご近所さんで幼馴染みの女子のためにここまでやるのは、神田の奴に利用された、甘く見られた怒りもあるが……やっぱり自分は糸井のこと、好きなんだろう。
簡単に密室殺人ができると言ったが、細かい点を考えると、そう簡単でもない。
場所は学校の三つある理科室のどれかか、ドローン部の部室にするつもりだ。もちろんそれには理由があって、今挙げた四つの部屋はドアの鍵がつまみを捻るタイプだからだ。あれならさほど練習しなくても、小指と薬指とで開け閉めできる。
関門は別にある。超能力を使える条件である“肉眼で対象物を直接見る”とは、間に透明なガラス一枚あってはならないということだ(空気や埃なんかが考慮されないのは、多分、能力を使う当人が認識できないからだろう)。言い換えると、神田を自殺に見せ掛けて殺害後、部屋を出て窓の外から鍵を掛けるという芸当ができない。
理科室にはどれも換気扇が備わっており、踏み台があれば中を覗ける可能性がある。ただし、ドアのつまみの部分を見通すには、角度が悪いようだ。実験はまだしていないが多分、換気扇の羽の一部を壊さねばなるまい。そこまでしてしまうと、密室が密室でなくなる気がする。壊れた換気扇から糸を通してロックできる可能性も生じるため、本末転倒だ。
一方、ドローン部の部室は一点を除いて、他の部室と変わらない。中庭に面した窓ガラスの一枚に、極小さな穴が開いているのだ。直径一ミリくらいか? あまりに小さく、窓の格子の隅に位置しているため、ドローン部の部員もしばらく気付かず、誰がどのようにして開けたのかは分かっていない。極小の金属球をパチンコで打ち込んだか、錐を使ったか……それはどうでもいい。肝心なのは、その穴から中を覗くと、ドアのつまみをどうにか捉えられるという事実だ。角度的に絶妙で、仮にこの穴から糸を通してつまみを操作しようとしても、まともに動かせない。試せるものではないから絶対確実との断言は無理だが、まず大丈夫。
唯一の問題は、ドローン部部室は二階にあるため、中庭から直接見ることはかなわない。隣室のどちらかを通るか、あるいは窓側を真上の三階から下りてくるか、真下の一階から昇って来るか、いずれかの経路でドローン部部室の極狭い窓枠に立つ必要がある。
これは難題だが、人目に付かなければやりおおせる自信はある。特に三階から下りるルートは当該の部屋が今物置状態で、ドアの鍵がかかっておらず、窓も開いていても別に珍しくない状況にあった。
あとは決行の日までに一度、穴から覗いて試すとしよう。それが成功すれば、決まりだ。
十二月のある日、神田にこっそり話し掛けた。糸井からの伝言を預かってきたから、ドローン部部室で話そう、と。
話の内容に察しが付いたのか、こちらから持ち掛けるまでもなく、神田の方から二人きりでだな、絶対にだぞと念押ししてきたのはありがたい。そして太陽が地平線の彼方に隠れ始めるタイミングで、神田と二人きりで会い、太陽が完全に沈んでしまおうかというタイミングに、相手を絶命させた。凶器は体育倉庫に用意されている物と同じ虎ロープを使った。地蔵背追いの形で背負ったのは、首吊り自殺に見せ掛けるため。
首吊り自殺と言っても、天井から吊すのは必須条件ではない。床に足を投げ出しへたり込んだ姿勢で首を吊ることは可能だし、さほど珍しくないようだ。神田の首に巻き付けたロープは、壁の胸の高さぐらいの位置にある金属製フックに掛けた。カーテンを巻いて留めるあれだ。
次に、室内にある数台のドローンが動かないよう、バッテリーを外しておく。万が一にも警察が、ドローンを使ってドアのつまみを回したのではないかと推理したら、自殺に偽装する意味がなくなるからだ。言うまでもないが、手には手袋を填めている。今の寒さなら、校舎内で手袋をしていてもおかしくない。神田からも不審がられることはなかった。
準備を済ませると、廊下に人の気配がないことを確かめてから素早く外に出る。続いて、三階へと急ぐ。太陽が沈み、屋外は暗くなっていたが、心配ない。むしろ、この暗さが自分の姿を人目から隠してくれよう。
思惑通り、三階の教室から真下のドローン部部室の窓側へ降り立つ。ペン型ライトで中を照らし、ドアのつまみがはっきり見えるようにする。例の穴から覗き、しばし方向を定め、焦点を調節すると、肉眼で捉えることができた。
超能力、発動。失敗のないよう、慎重に行う。それこそ手探りでつまみをペタペタとなで回し、確実に捉える。
そして――乾いた微小な音を立てて、ドアはロックされた。
* *
「尾野《おの》君」
刑事は気軽な調子で言った。が、目は笑っていないようだった。
「未成年で学生の君らをおいそれと疑うのはよくない。それは承知してるんだが、曲がりなりにもそれなりの根拠が出て来たからには、一応、話を聞かんといかん。分かってくれるね」
黙ってうなずく。どんな根拠が出て来たのか、気になって逆に声を出せない。動機か? 動機だけならいくらでも言い逃れができる。
「神田和人君が死んでいた部屋、ドローン部の部室なんだがね」
「聞いています」
「その部室に、君は入ったことないんだったね?」
「ええ……部員じゃないし、親しい友達が所属してる訳でもないし」
「ということであるなら、これはどういう訳なのか説明して欲しいんだ」
刑事は鑑定書らしき書類と写真を示した。
「これが何か」
「指紋が出た」
「――」
ばかなと言おうとして声を飲み込む。
「ドアのつまみとその周辺から、君の指紋がたっぷり検出された。それも不思議なことに、右手の薬指と小指ばかり。日常生活で付きそうにない角度で付いた物もある。どうやったかは分からないが、こんな変な具合に、執拗につまみを触っている事実から、何らかの細工を弄して、部屋の鍵を外から掛けたんじゃないのかなー?と思ってね」
このときになって初めて正確に理解した。
自分の得た超能力は、単なる限定的な念動力なんかではない。
手袋をしていようがお構いなしに、右手の薬指及び小指の指紋を、自分の肉眼で捉えた対象物に残し得る能力だったのだ。
――終わり