五感で楽しむ、町のお手頃中華―東高円寺SEN YO(東京すみっこランチ その5)
Ⅰ 五感で楽しむ中華
午後から高円寺で髪を切ることにしていたので、昼は、もう何度目かわからない、東高円寺の中華料理屋SEN YOへ。日曜日だけれど、待ったりはせず、スムーズに入店できた。
カウンターに座り、5種類あるランチメニューから、海老と茄子の甘辛炒めを注文する。辛さを調節できないか聞くと、できるというので、胃が弱い私は辛さゼロにしてもらう。他には、四川麻婆豆腐、担々麺、揚州炒飯、五目あんかけ焼きそばがある。相方は、揚州炒飯とビールを注文した。
すぐさま、お冷とサラダが来る。
カウンター席なので、目の前の厨房で料理人が料理するのを目の当たりにできる。大きな中華鍋に入れた油がジュッという。鍋を軽妙に前後に動かしながら、お玉で食材をかき回す、そんな鍋とお玉の摩擦音が聞こえてきて、料理のいい匂いが漂って来る。
サラダを食べ終えたと思ったら、熱々の甘辛炒め、スープ、ご飯がサーブされる。海老のピンク、茄子の紫、じゃがいもの黄という、いわば三原色が目に鮮やか。口に運ぶと、海老はプリッ、茄子はしんなり、じゃがいもはホクホクと、三者三様の食感を楽しめる。色合いも食感も違う3つの食材をオイスターソースがひとつにまとめ、ネギが味のアクセントになっている。
そうか、食材が調理されるのを耳で聴いて、食欲をそそる匂いを嗅ぎ、できあがった料理を見て、舌で触れ、味わう。このお店の中華は、五感で味わうようにできているのだ、と気づく。そんなことにも気づかずに、何度となくこの店に足を運び、空腹を満たしていた愚かさよ。
いや、待てよ、食事するということは、たいてい五感を用いているのではなかろうか。厨房が近くなければ、聴くことはできないかもしれないけれど。
Ⅱ 蘇る記憶
お年寄りで食欲のない方や記憶があやふやになっている方も、自分の好きな料理をその場で調理してもらって出されれば、五感を活発に働かせるから、食欲が出たり、ふっと記憶が蘇ったりするのではないかしら、そんなことも考える。マドレーヌを口にすることで記憶が蘇るという、プルーストの『失われた時を求めて』の二番煎じのような気もするけれど。
相方の高校時代の友人のツイッターをのぞいていたら、相方がお札を取り出す。どうも入店を待っているお客さんがいるらしい。慌てて会計を済ませて外に出る。暑い中、お客さんが何人も並んでいる。私たちはいいタイミングでお店に入ったようだ。
髪を切った後の帰り道、母と二人で銀座で中華を食べた日のことを思い出す。中学生の頃、二人で銀座に映画を観に行き、帰りに天龍で食事した。手頃だから、銀座に行くと天龍、だったような気がする。ギョウザを頬張りながら、私は観たばかりの映画『ニューシネマ・パラダイス』のパンフレットのページを繰った。鴻上尚史と南果歩が映画について対談をしていた。鴻上は、「若くしてこんな映画を撮ってしまうと、監督として後が厳しいだろう。」と語っていた。ロングヘアをなびかせている、うら若き南を見て、母は「この人は大成するわよ。」と予言者みたいなことをいった。
食べることは、私にとっても記憶を蘇らせるトリガーとなったようである。
なかなか思い出せないあれ、があるあなたは、このお店で食事されると、記憶が蘇るかもしれません。