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ひいこらと いいつつ青梅 完走す

※青梅マラソン30キロの部を走った日記です。3000字程度と長いので、ご興味あるところを拾い読みしていただければ、と思います。 

 16日、青梅マラソン当日。近いのをいいことに早起きはせず、8時半ぐらいになってようやくヨガをやり、雑穀入りのご飯、卵、ほうれん草で雑炊を作り、ポンカンとヨーグルトも食べる。バタバタと準備していたら、もう出発の時間だ。

 青梅に直行する中央線のグリーン車に乗り、車窓から富士山を眺める。いま一度、青梅マラソンのコースの高低差のチェックをする。帰路、20キロを越えて、よろい橋から二俣尾駅前まで、20メートルぐらいの上りがキツイので、それを忘れないでおきましょう。因みに、毎年そこでヒーヒー言ってます。

青梅マラソン公式ホームページより

 河辺小学校で、記念品のTシャツや計測用のタグ、ゼッケンを受け取ってから、体育館に向かい、女性更衣室のロッカーに荷物を入れる。到着が遅かったので、空いているロッカーを探すのに一苦労した。レース中にトイレに行かなくても済むように、トイレに3回行く。

 11時30分のスタートまで時間があるので、お土産品などが販売されているエリアに行き、紅梅苑の紅梅まんじゅうと柚篭(ゆずかご)を購入する。紅梅まんじゅうは、こしあん、柚篭は名前の通り、柚がたっぷり入っている。どちらも上品な甘さでおいしい。

 2年前、レースの後に買いに行ったら紅梅まんじゅうが売り切れていて、がっかりした覚えがあるので、先手必勝で。相方がアメリカから一時帰国中のお姉さんと見に来てくれるので、お姉さんと相方のお母さんにもプレゼントする予定。

毎年、青梅マラソンを走った後のお楽しみ

 無料でくじ引きができるブースに行ったら、手ぬぐいが当たる。なかなか幸先がいいのでは。お土産品を体育館のロッカーにしまい、タイムでアルファベット順にわけられたスタート地点へ。

 青梅市長が10キロの部を走ったとあいさつし、11時30分、号砲が鳴る。スタート地点を踏むまで5分ほどのタイムラグがある。今回のゲストは、スケートの高橋大輔。

スタートまで、待機中

 走り始めは全く苦しくなくて、好調だ。ただ、予想外に暑くて、口があっという間にカラカラになる。公式の給水所よりも前に、市民の方がボランティアで水をサーブして下さっていたので、ありがたくいただく。

 10キロを過ぎたあたりだろうか、先頭集団の選手たちが折り返して来た。周りのランナーたちが揃って声援を送る。ランニングシャツに短パン、厚底のスニーカーで飛ぶように走って行く。私が全速力で走るスピードで30キロを走り続けるんだから、スゴイ。

 相方とお姉さんは御嶽駅付近にいるということだったので、御嶽駅が近づくとキョロキョロ。お姉さんが「◯◯ちゃん!」と私の名前を呼んでくれて、動画も撮ってくれていた。

 12キロを過ぎたあたりで足が前に進まなくなり、コースを外れて屈伸をする。何とか復活して、また走り出す。15キロ以上の距離を走る練習ができなかったので、後半に備えて前半はペースを抑えようと思っていたけれど、ペースを抑えるどころか、既にグロッキーである。

 青梅マラソンのいいところは、沿道で地元の方たちの温かい声援や差し入れがあるところだ。太鼓をたたいて応援してくれるグループもあれば、アメやチョコレート、輪切りのレモンなんかを差し出して下さる方々もいる。

 今回、気になったのは、男性合唱団の方々が歌って下さっていた歌。「正義のみ神は 我らの守り」というフレーズが耳に残った。

  賛美歌だと思うけれど、私は知らない。家に帰って調べたら、「いざ起て戦人(いくさびと)よ」という歌。1番だけ載せると、こんなふうな歌詞だ。

いざ起て戦人よ 御旗〔みはた〕に続け
雄々しく進みて 遅るな徒〔あだ〕に
歌いて進めよ 歌声合わせて潮のごとくに
正義の御神は 我等の守り

 原曲は"Song of the Soldier"というアメリカのプロテスタントの賛美歌で、ジェームス・マクグラナハン(1840-1907)が1882年に作曲したものだそう。原曲はキリストの兵士たるキリスト教徒が進むさまを歌っていたのを、1937年、藤井泰一郎が時局に合わせて翻訳したよう。

 旧約聖書的な歌だなあと思って聞いていたけれど、時代的な背景があったのですね。正義の戦争が存在するかのような歌詞なのだが、それでも走るのがキツかった私は励まされた。

 さて、折り返して下りに入っているはずだが、あまり楽にはならない。公式の給食所にゆずまんじゅうがあるので、ありがたくいただいてもぐもぐ食べ、給水所でポカリに水をもらって飲み、またよろよろ走り出す。

 足が前に出ず、つらいなあ、と思っていたら、二俣尾駅前までの復路の難所で、Qちゃんこと、高橋尚子が待機してくれていた。Qちゃんは、一人ひとりのランナーとハイタッチしてくれる。毎年恒例だが、毎年ヒイヒイ言っているので、Qちゃんのハイタッチがとても嬉しいし、励まされる。

 難所を過ぎると、スピードが出るといいのだが、疲れが溜まって来ているので、なかなかそうは行かない。何度も脇に行って、屈伸してはまた走り出す。

 あと5キロになったところで、少し元気が出てきて、3時間以内のゴールを目指そうとスピードを上げる。すると、ちょっと脇腹が痛くなって来て、脇腹をさすりつつ、走る。ラスト1キロになったら、火事場の馬鹿力が出て、少しでも順位もタイムも縮めたいと全速力で走って、ゴールした。

 ネットタイム(スタートラインを通過してから、ゴールラインを通過するまでの時間)は3時間を切れたかと思ったら、わずかに及ばす、3秒オーバーしていた。昨年より、1分ほど縮んだだけで、コロナ前の記録と比べると、10分以上遅い。トホホである。
 
 大会のボランティアに完走メダルを首からかけてもらい、テントでおにぎりとドリンクをもらう。おにぎりは外でそのままパクパク食べた。

 相方と合流し、河辺駅まで歩く。相方からは、「60代の女の人が走って来たけど、◯◯はまだ来ないから、あの人よりも遅いのかと思った。」と言われる。いやいや、年齢がいっても速い、スーパーシルバーとでもいうべき方はいくらでもいますからねえ。

 河辺駅からホリデー快速に乗り、グリーン車の座席をゲットして帰って来た。

 さて、来年に向けての反省。
 リハビリでお世話になっている理学療法士から、走るなら年間を通して走るように、と言われ、ガチなランナーである相方のお姉さんも、「そりゃそうよ。」とのたまっていたそうなので、通年で走るようにする。

 ただ、これからは花粉の時期になるし、その後は暑くなる。「走る時間帯が難しいんだよなあ。」と相方に言ったら、「朝早く起きて走ればいいだけの話でしょ。◯◯にはできないだろうけど。」と言われた。そうなのだ、朝早く起きるのは苦手なのだ。けれど、今回、青梅マラソンのために練習して、私は屋外で季節の移り変わりを感じながら走るのが性に合っているとわかったので、日が出ている時間に走れるように工夫したいと思う。

 今後も、走ることに全精力を注ぐ、ということにはならないだろう。無理のない範囲で楽しみながら走っていければいいなあ、と思う。あ、でも来年も青梅に出るなら、若干、無理しなければいけなくなるのか(笑)。


 最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。


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