「鬼滅の刃」(無限列車編)から見る歴史ーその3

今回の記事は「無限列車編」の第三弾!
前回は無限列車の窓を開ける描写の細かすぎる再現から江戸後期〜大正時代の人々の暮らしを紹介しました。
今回はもう一つ吾峠先生の細かすぎる描写をピックアップしていきます!


電車内に喫茶店があった!?

引用:吾峠呼世晴『鬼滅の刃』第7巻/集英社より

 このコマは、煉獄さんが「うまい!」と叫びながら食した弁当を片付ける女性を描いたシーンです。
空の弁当箱を片付ける人?と現代の電車にはいないこの2人に違和感を覚えたのではないでしょうか。

 この2人は女子列車給仕と呼ばれる、車内に設けられた喫茶室で働く女性の給仕達だと考えられます。
そうです、当時は列車の中に喫茶室があり、食卓が設置され、給仕は料理の提供やお菓子、タバコの販売などをしていたのです。

 女子列車給仕の始まりは、1902年(明治35年)に讃岐鉄道が日本の鉄道会社として初めて女性職員を採用したことでした。
当時の給仕としての頭髪・服装の規定は、頭髪を揚巻にし、黒色の服にハカマをするというものでした。
まさにこのコマに描かれた2人のような頭髪・服装だったのです。
ちなみに、お客さんのからの弁当箱を片付けるという業務を行なっていたかはわかりません。



給仕の仕事は狭き門!

 現代において女性の社会参画が叫ばれて久しいですが、当時の社会において女性が採用されるということは本当に狭き門を通らなければならなかったようです。

 まず、応募資格つまり募集要項が今では考えられないものでした。
<資格(一部抜粋)>
容貌醜悪ならざる者
・普通教育(小学校卒業)ある者
・身体強健の者
・品行方正の処女たるべきこと
・既住の履歴に毫末も汚点なき者

上記のものは一部ですが、つまり美人かつ高学歴であり、心身健康で部落出身ではない礼儀作法の身についた処女であることが前提条件として堂々と掲げられていました。

 更に服務中の規律には、現代よりも厳しい表現が用いられています。
<服務規定(一部抜粋)>
・旅客に対しては堅く礼儀を守り無用の雑談をすべからず
・旅客が喫茶室のある間は、室の一隅に直立して静かに命を待つこと

 このように、応募することすら困難な募集要項だったのですが、応募者数は数十人に上りました。
厳選の結果、資格を備えた8人が採用され、お客さんからの評判もすごく良いものだったそうです。
中には顔が見たいために用もないのに乗車する人や、給仕に結婚を申し込む人もいたそうです。



今回はここまでです。
この記事を書きながら私は、性別・ジェンダー関係なく、現代社会において自分自身が煉獄さんのように心を燃やし続けるためにはどうしたらいいだろうと考えています。
読者の方々にとっても、女性の社会参画だけでなく何か考え事のきっかけがこの記事であれば幸いです。


参考資料

沢和哉『日本の鉄道「ことはじめ」』(築地書館株式会社, 1996)


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