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第二の矢は、自身で作り出した架空の矢かもしれない話
会社からの帰宅途中、ぎゅうぎゅう詰めの満員電車で
なんとかスマホを開きYouTube shortを見ていたら釈迦の言葉が流れてきた。
「第一の矢は受けるが、第二の矢は受けない」
第一の矢は、人間生きていたら誰しもに起こりうる避けられない悪い出来事を指す。(例えば病気や怪我)
第二の矢は、第一の矢を受けたことによる悪影響、すなわち次の攻撃を指す。(例えば病気になったことで、失業してしまうなど)
昨今、精神的な病を患う人が増えていると思う。
私の身の回りにも以前の上司や同僚、後輩など周りで見かけたり、話も聞いたりする。やはり働いていると、いつ自分がそういった状態になってもおかしくないなと思うほどに理不尽なことや、不運が度重なることがある。
でもそれは第一の矢なんだと、認識できるだけで心の構え方や不安の捉え方が大きく変わるのではないだろうか。
例えば仕事上で盛大なミスをやらかすとする。ミスったことによって生じること(お客さんを怒らせた)は大なり小なりあると思うが、それは第一の矢で、ミスったことによって「取引なくなる可能性」「案件自分が外される可能性」「上司からの信頼を損なう可能性」この悪い可能性を考えること、これらが第二の矢なんだと思う。そしてこれらは実際に起こるとは限らない。
第一の矢を受けたことによる、可能性でしかないけれど、
脳みそは単純でおバカだからのこの第二の矢のことばかり考えていると、
怖くなって可能性を払拭するための行動に移れなくなってしまう。
動けなくてしまう。
そうなるとあくまで可能性でしかなく、
まだ実体化していなかった第二の矢がやがて本物の矢に変わっていくのだ。
最近の世の中は人の不安を煽るものが多すぎる。
SNSや過激なマスコミ、まあ主にSNSが大半だと思うが。
第二の矢を実体化させないこと、そのためにはきちんと第一の矢に対しての対処をしっかり行うこと。意識するだけで、少しは楽になりそうだ。