何をみているかで現実は変わってくる
「みんなちがって、みんないい」
という言葉は、もとは詩人の
金子みすゞさんの
『私と小鳥と鈴と』
(作品中)の一節ですが
多様性を表す言葉として、
最近、よく使われています。
つまり、「自分」という存在は、
自分以外の誰かがいて、
初めて成り立っているという
基本的なことを思い出させて
くれている、
「あなたがいて、私がいる。
あなたと私、どちらも大切」
と考えたときにはじめて、
「みんなちがって、みんないい」
という言葉が生まれてくる。
金子みすゞさんにとっては、
小鳥も鈴も自分そのものであり、
優劣をつけるという考え方は
ありません。
それが個性尊重ばかり重視され、
「違う」ということだけを良しとする
と思考停止におちいります。
「違い」とは「普通」との距離感で
決まるものであり、
その差異こそが考える対象だからです。
多くの人は、原因のわからない
出来事に対して「運」という言葉を
使います。
それは「運」という言葉が、
よくわからない気持ち悪さを払拭して
くれるからなのかもしれません。
しかし、「運」を理由にした途端、
人は考えること、行動することを
やめてしまいます。
たとえば、
自分と変わらない働きぶりの
上司からの評価が高い同僚を見て、
「対人運に恵まれているからだ」
と思ったとします。
「運」を理由に自分を納得させた後も、
同僚はコミュニケーション能力を磨き、
年上に気にいられやすい話術を
身につけ、ますます評価を高めて
いくかもしれません。
つまり、上司からの高い評価には
理由や原因があり、そこに着目すれば、
真似ること、学ぶことが可能です。
ところが、運の良し悪しの差だと
とらえた途端、そこで理由や原因には
目が行かず、評価の差は開いたまま
放置されてしまいます。
あるいは、じゅうぶんな準備を
したのに、思うような結果が
出なかったとき、
「今回は運がなかった、仕方がない」
と慰められることがあります。
たしかに、運のせいにすると
気が楽になります。
しかし、本当に準備はじゅうぶん
だったのか、
思うような結果が出なかったのは、
見込みが甘く、シュミレーションが
不足していたのかもしれません。
うまくいったとき、
うまくいかなかったとき、
どちらも「運」を答えにすると
そこで成長が止まってしまうもの。
失敗にも必ず理由や原因があり、
そこに目を向けることができれば、
改善策を練ることができ、
同じ失敗を避け、次回の成長率を
高めることができるはず、
「幸福は自分次第」といったのは、
古代ギリシャの哲学者
「アリストテレス」です。
運を操ることができるようになると
誰もが運に振り回されず、
運命を自分の手で切り開き、
人生を決められるようになる
というものです。
実際に現代の心理学の研究では、
幸福感を決めるのは、
遺伝が50%、自分の行動が40%、
他から与えられたものが10%と
言われており、アリストテレスの
理論が正しいことが約2,300年後に
証明されたことになりますが、
幸福感を向上させるのは、
自分自身での行動によるものなので、
”外に求めるものでも”
”運に頼るものでもなく”、
『自分自身で決めるものである』
といっているのですね。
わかりやすくいえば、
「運はこちらの
行動次第で変えられる」
ととらえている場合、運を操る力を
次第に発揮していくことができ、
すなわち、
運を操る力を鍛えていくには、
あなたの持っている運のとらえ方
を変える必要があるわけです。
ギャンブルにたとえるなら、
ギャンブルの勝ち負けは、
運、不運の周期や運気の流れの
せいではなく、
目の前にある結果に対して、
本人がどう判断し、行動したかに
よって決まっていくのですね。
運は何も支配しておらず、
確率もチャンスも平等に
与えられています。
違いを生むのは、本人の
積み重ねてきた努力と、
勝負どころを見分ける経験です。
いわゆる運のいい状態とは、
他の人よりたくさんのことを
何度も試している人だと
いうことです。
試す回数が多いからこそ、
成功することも多くなっていきます。
運、不運の周期や運気という
錯覚に責任を預け、
自分の考えで軌道修正していく
作業を手放してしまうと、
非常にもったいないと思います。
その一つ一つを小さな実験だととらえ、
細かく軌道修正していくことが
幸運への確実なステップです。
何かを選び、決断するまでに
多くのステップはあるものです。
あなたも「ツイている」と
感じたときのことを
よく思い出してみてください。
何らかの幸運の種まき(ステップ)
をしていたことに気づくと思います。
あなたをいつでも応援しています。
ありがとうございます。