人生はわたしのもの。気付いてからがこっちのターン!!
どうも。
HANAです。
私は物事をなんでも【なんとなく】過ごしてきました。否定され続けて生きてきたものですから、別の言い方をすれば【どうでもいい】ともとれる。もっと言えば、【消えてしまいたいと思い、身体は生きてきた】そんな人生。
誰にそんなことないと言われても、自分が見てきて感じてきた世界はそうだった。
追々、毒親のことは書いていこうと思う。 が・・
今は世界を、空気を、少しずつ感じれている。今まで知らなかったたくさんの景色を見れている。これは生きていなければ感じることが出来ない。
私が言いたいのは、【心も共に生きていなければ感じれない事がある】ということだ。
ただ、生きててくれたらいいという周りの言葉は【その人が私に生きていてほしいというわがままで、エゴだとも思う】
私が思う“生きる”は、【心身ともに健康でなければ楽しめない】ではないかと思う。
毒親育ちはこの【自分が感じる選択】というものがいまいち良くわかってない事が多い。どう選び、どう決めれば正解なのかと、正解を求める。
正解しないといけない背景(毒親)の存在はあまりにも大きく、脳を窮屈にさせる。『自分の考えでいいんだよ』と言われても、自分の考えがそもそもわからない。
ただ、今窮屈に感じていたり、親に嫌悪感を感じている人。
それでも別にいいのよ。嫌いでもいいのよ。それ、間違ってないから。親だから嫌っちゃいけないなんてなくて、なんなら、親なら嫌われないようにしろ。とも思います。子供が親を嫌いになるのは、親にされた出来事が必ずあるからだ。
そして、私はこう思ってる。
【親を嫌いだという自分まで嫌いにならなくていい。むしろ、気づいた時点でこんな親元で良く頑張ったと労わってやれ。】
実際毒親がいて、頑張ってない人なんていないのだから。
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