毎日、更新する。
特に意味も無いが、実態が、最近なくなりつつあるのが、どうにも、良くない。それを食い止めるために、何か一つでも継続すること。
そういう、形式的なものに、囚われだす。本当に、字面通り、人が囲われたように、今までの生活を思う、ぼんやりとした時間が増える。長いこと執着していたものの全般が、あまりにも造作もなく、消えてしまったということ。離別や、そうした喪失の全般の弛みの一切が、私のあらゆる生活の弛緩につながる。私。
真夜中に、圧迫された神経の痛み、それを初めて感じたのは、確か高校生の頃だった。どうしようもなく、そして誰にも相談できずに、1人、園児みたいに屈んで、ぐるぐる、益体もなく、空転しながら、だが、貫徹しない、半熟具合程度の絶望に、一塊の陶酔と侮蔑。何にするにも、半端でしかない、と思う。死にきれる程不幸でもなければ、生ききれる程の希望もない、停滞する現在は、芥のように堆積だけする。変えようとする譬力もなければ、現状に満足できるほど怠慢でもない。あらゆる全てが、二面していて、その間にしか、私が存在しない。だから、実態がない。
そういう人間がどの程度いて、そういうあり方がどの程度許容されるのか知れば、より自らを由と、できるかも知れない。あり方の問題ならば、きっと、自然状態がどこにあるのかを、考えなきゃ、いけない。
自然状態。就活に、やる気がない言い訳が、結局自分の軸というものを、本当の意味で自己決定できていないことにあるし、一貫性や論理という近代的な尺度で捉えられる意義一つ、不履行な生涯には、道理のないことになってしまう。
自然状態。
例えば、書いている時? 例えば、激しく掻痒する時?こんなもの程度しか、ありはしない。全て、ぐだぐだ。
これだけは、継続しよう。今日学んだことの整理とか、テスト勉強対策の雑記でも、何でもよくて、とにかく、一つだけでも、継続。継続。継続……
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