年忘れに思う、連歌と紅白歌合戦。
年忘れについて考えている。年忘れというのが史料として現れるのは、鎌倉期に年末の連歌会が開かれるようになったのが始まりである。
暦が大陸から入ってくるまでの日本にどれくらいの単位で時間を区切る習慣があったかはわからないが、暦が出来てからは区切りとして1年を振り返ることをしたのではないか。
と、考えながら、連歌会について想いを馳せた。連歌というのは、文字の発展がなければ生まれなかったかもしれない。
日本に最初に入ってきた文字は漢字である。すでに言語としての日本語があったためか、政府はシステムとして文字を採用した。そのため、漢字でできた文、すなわち漢文は独自の方法で読み解き、書かねばならなかった。
万葉仮名を経て、平仮名とカタカナが生まれた。漢文は、内容を上下に行ったり来たりせねばならず、感情を表すには不向きであるのに対し、平仮名とカタカナは、口語をそのまま文章にしやすいという点で勝手がよかった。
これにより、文学や歌などの文化が飛躍的に発展した。これは、音楽におけるコードネームが、世界中の音楽文化を発展させたことに似ている。
ちなみに、西洋音楽の記譜は、9世紀ごろ、イタリアの修道院で聖歌の歌詞の上に音の高低を記すところから始まった。時を同じくして、日本音楽の出発点となる声明(しょうみょう)も中国から日本に入る。声明も経典に節回しに記しをつけて楽譜とした。
決定的に違うことは、西洋は文字を横書きにするが、日本は縦書きである。これが音楽の発展を違う方向へと決定付けた。
記録という役割から表現という役割へと変換されたのとにより、平安期以降の日本は独自の文化を作り出すことになるが、同時に朝廷と貴族による律令制の崩壊は、このために起きたのかもしれない。
そんなことをあれこれ考えながら、年忘れの連歌会と紅白歌合戦は、どこかか歌で1年を締めくくりたいという思いが繋がっているのかもしれない。と、思うのであった。