まさかり担いだのか?金太郎。神奈川県南足柄市。グーグルマップをゆく㉟
グーグルマップ上を適当にタップして、ピンが立った町を空想歴史散策する、グーグルマップをゆく。今回は神奈川県南足柄市。
小田原市に隣接するこの町は、後北条氏の小田原城下の管轄であったため、小さな城跡が多く点在する。市内から西に県道78号線を辿り、足柄古道と合流する辺りに「金太郎の遊び石」というのが目に入った。
足柄峠の麓、南足柄市は金太郎が育ったところと言われている。坂田金時。坂田公時とも酒田金時とも言う。幼少名は怪童丸と言い、金太郎という呼び名は江戸期に付けられたものらしい。
源頼光の四天王の一人とされ、大江山の酒呑童子や葛城山の土蜘退治にも同行したとされているが、空想の人物と言われている。
四天王の他の三人については実在するのだが、ではなぜ、坂田金時だけ架空なのか。実は、「下毛野公時」(しもつけのきんとき)という人物がモデルと言われている。
摂関政治で平安京を掌握した藤原道長の護衛をしていた人物で、歌の名人で弓も上手く、相撲の使(すまいのつかい)という相撲取りを諸国から召集、統括する職も務めた。しかし、18歳という若さで亡くなる。生前、相当優秀で、死後一世紀経っても高い評価を得ていたらしい。
源頼光の四天王ではなかったが、同時代で藤原道長繋がりでお互いに知った存在ではあった。源頼光の酒呑童子の話は、今昔物語集に収められた創作であり、他の四天王についても源頼光の家来ではなかったと言われている。
坂田金時と下毛野公時の「きんとき」が同じということでモデルとされたらしいが、実際のところはどうかわからない。ただ、モデルとするならば、「相撲の使」だったという点において、力持ちと結び付けられた可能性は大いに考えられる。
しかし、何故足柄峠なのかについては全くわからない。下毛野は栃木県のことであり、足柄ではない。酒呑童子の話も京都が舞台であり、足柄と結びつく様子をみつけることができなかった。
物語の舞台が京都であり、登場人物も京都の人物ばかりなので、ひょっとしたら、坂東武者の強さを誇示するために、なんとか足柄峠に結び付けたかったのもかもしれない。と、思ったが、時代背景的に無理がある気もする。結局のところよくわからない。
デフォルトの仕方が、武蔵坊弁慶の場合と類似しているので、物語として膨らましたに過ぎず、大した理由はないのかもしれない。
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