天の川の町。大阪府交野市。グーグルマップをゆく #61
グーグルマップ上を適当にタップして、ピンが立った町を空想歴史散策する、グーグルマップをゆく。今回は大阪府交野市。
交野は、「かたの」と読み、平安期には「加多乃」とも「肩野」とも呼ばれていた。隣接する枚方市と合わせたこの一帯を「交野が原」と言い、貴族たちが鷹狩りなどを楽しむ遊猟地であった。この町を斜めに分断するように「天野川」が流れている。
天野川は、元々「甘野川」と書き、稲作が始まった頃に、この地を甘野と読んでいたことに由来する。日本において江戸期まで糖分を摂る方法は、もっぱら澱粉質のものを食べるしか方法がなく、米は糖分を摂るのに最も適した食べ物であった。
稲作に適した土地に「甘野」と名づけるのは、古代人における米の甘味料としての重要性を感じることができる。
一筋に流れる川のせせらぎがよほど美しかったのであろう。平安期には、歌人がこぞって天野川を歌に詠んだ。それも、空に輝く七夕の天の川美しさと重ねて詠まれ、そこから「天野川」に字が転じた。
ふと、古代の人は天の川のことを知っていたのかと気になり調べた。天の川は、銀河の一部であり、130億年前には形成され、古代ギリシャにおいてもその姿は確認されており、ミルキーウェイと呼ばれた。
地球の誕生以前より存在する天の川は、中国において彦星と織姫の伝説が作られ、奈良時代にその伝説が日本に入ってきた。
つまり、平安期には、現代の我々が七夕に空を見て、「彦星と織姫は会えたかなあ」というような会話をしていたということである。
ちなみに、交野市には星がつく地名が多い。よほど星が美しかったと思われるが、当時は現代のように夜に明かりがないので、どこでも星は綺麗だったはずである。
あえてこの地で星の美しさが語られると言うのは、遊猟に来た貴族たちが遊び疲れた夜に、仲間とともに空を見上げて楽しいひと時の余韻に浸っていたのではないだろうか。
平安貴族も普段は公務が忙しい身である。忙しさを忘れて友と語り合う様は、キャンプの夜を想像させる。「この中で誰が1番最初に結婚するか、競争しようぜ」「絶対大臣になってやる」と言ったような平成のトレンディドラマのような場面もあったかもしれない。
甘野川や空を見て、天の川のように美しいと思った平安期の人の情緒を我々は今も受け継いでいるのである。