平将門の愛妾の鍋を祀る神社。福島県岩瀬郡。グーグルマップがゆく㊲
グーグルマップ上を適当にタップして、ピンが立ったところの町を空想歴史散策する、グーグルマップをゆく。今回は福島県岩瀬郡。
元々は福島県の中央部で郡山に国府を置いた石背国(いわせのくに)から岩瀬に転じたものである。
古代よりこの辺りには東山道が敷かれ、交通の要所であった。鎌倉期、源頼朝が奥州藤原氏を討つための進撃路ともなった。それより以前、平安中期にこの地に逃げてきた女性がいた。
名前を桔梗の姫と言い、平将門の愛妾である。平将門は、下総(現在の千葉あたり)を拠点としていた桓武平氏で、反乱を起こして関東を支配して朝廷からの独立を図り、天皇に対して「新皇」を名乗るも、平貞盛、藤原秀郷らに攻められ、敗死する。
将門が討たれたことを知った桔梗の姫は、残った郎党とともに奥州清原氏を頼るべく東山道を北へ逃げ、途中、この岩瀬郡で隠れ住んだ。桔梗の姫は白拍子で、平安期の白拍子は朝廷や貴族などを楽しませるため、歌や踊りの名手であり、夜もともにする存在であった。余談ながら、源義経で馴染みの深い静御前も白拍子であり愛妾である。
将門の子を身籠もっていた桔梗の姫はこの地で産み、密かに活をしていたものの将門の残党狩りに見つかり、鍋のみを残してここから逃れたものの、その後、郎党に子どもを委ねて自身は自害した。残っていた鍋をご神体として祀って建てられたのが岩瀬郡天栄村にある御鍋神社だと言われている。
御鍋神社について、もう少し詳しく知りたいと思い調べたが、これ以上のことはよくわからなかった。誰が何のために鍋を祀ったのか。桔梗の姫に同情した残党たちが祀ったのだろうか。いまいちよくわからない。
例えば、その後、鍋にまつわること、料理や火などの神としてご利益があり、人が訪れている。などということであれば、よくあることだと納得もできるのだが、御鍋神社は寂しげな祠のみで、何かのご利益があるということでもなさそうである。
桔梗の姫については、いくつかの伝承があり、中には「藤原秀郷の差金で将門の愛称になった」や「藤原秀郷と内通しており、将門のことを密告したため将門は討たれた」といった伝承まである。最後には、桔梗の姫自体が伝説の人物であるという。もはや鍋どころではない。
将門の残党たちが、とにかく将門のことを何でもいいから残したかったという気持ちの表れなのだろうか。ともあれ、何でも神として祀ってしまうのは、日本人の良いところなのかもしれない。
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