「革命はカヌレと共に」
夜のコンビニ帰り。
耳に差し込んだイヤホンからは
ミュージカル、レ・ミゼラブルの
「民衆の歌」が流れている。
私は ジャン・バルジャンになっていた。
いや、「なりきって」いた。
機嫌が良かったのか、悪かったのか
何故そうなったのかは覚えていない。
気づけば口元でつぶやいている。
「ああ、戦う者の歌が聞こえるか……」
声に出して歌えば近所迷惑。
心に響かせるだけで十分だ。
私の戦場はこの静かな住宅街だ。
手にはコンビニ袋。
中には肉まんとスムージー
そしてカヌレ。
革命家の装備にしてはちょっと情けない。
だがこれが現代のジャン・バルジャンが
「盗んだパン」だと信じることにした。
いや、盗んでない。買ってるけど。
PayPayで払ったけど。
自宅までの道のりは徒歩15分。
夜9時を過ぎた住宅街はやけに静かだ。
戦場というより墓場だが、ここにだって
民衆はいる。隠れた戦士たちだ。
「民衆の歌」のサビ部分に差し掛かると、
完全に体がノッてきた。
彼らのために私は歌う。
「列に入れよ我らの味方に
砦の向こうに自由がある!」
と、小さく拳を握りしめたところで、前方に犬の散歩をしているおじさんを発見する。
完全に目が合った。彼は少し眉をひそめ、
リードを握る手をきつくする。
そしてその隣の柴犬まで
私を怪訝そうに見ている。
なんだよ。
犬にまで冷たい目で見られる
ジャン・バルジャン。
屈辱だ。
「おい、犬、お前も革命に参加しないか?」
と心の中で問いかけるが、犬はそっぽを
向いた。どうやら柴犬には反乱を起こす気はないらしい。
だが、そんなことに負けてはいけない。
ジャン・バルジャンの道は孤独だ。
私は再び足を進め、今度は道端の街灯を
見上げながら、胸の中で叫ぶ。
「明日が来たとき!そう明日だ!」と。
だが、すぐにその街灯がLEDであることに
気づき、なんとなく革命の情熱が冷める。
家に着いた頃には、ジャン・バルジャン気分はだいぶ薄れていたが、それでもまだ小さな革命家が私の中に生きているのを感じる。
玄関を開け、コンビニの袋を机の上に置く。袋の中身は、肉まん、スムージー、
そして……カヌレ。
あの、手のひらサイズの気取った
フランス菓子。
カヌレを手に取る。
さすがに食べ過ぎなのでは?
この小さな菓子が、ここまで重い存在になるとは思わなかった。ジャン・バルジャンが
銀の燭台を手に取った時。
こんな気分だったのだろうか…
だが、ここで食べたらすべてが終わる。
革命家たるもの、自らの欲望に打ち勝つことが使命だ。私は震える手でカヌレを冷蔵庫にしまった。その行為が歴史にどう刻まれる
かはわからない。だが確実に言えることは、冷蔵庫の奥にカヌレがある限り、
希望は冷えたまま生き続けるということだ。
肉まんを手にして、私は深呼吸をする。
明日になれば、冷蔵庫の中のカヌレを
どうするか、また新しい戦いが待っている。でも、ジャン・バルジャンにだって、
一晩くらいの猶予は与えられたはずだ。
冷蔵庫の扉を閉めながら、
自然と胸の奥から歌がこぼれ出た。
いまその日が来た!
明日は…明日は革命!
肉まん片手にスムージーを一口飲む。
冷えた液体が喉を通過する刺激…
「あしたは旅立つ、あすは裁きの日!」
ジャン・バルジャンも革命を前に
こんな刺激を味わったのだろうか?
いや、あの人たちはそんな贅沢知らないか。でも、ワインくらいは飲んでいたのでは
なかろうか?どうだろうか?
どっちでもいい。肉マンが美味い。
その後も「明日」のことを考えた。
「明日になったらどうする?
カヌレを食べるか?
それとも、また冷蔵庫に戻すか?」
そう、私の革命はまだ終わらない。
終わらせるつもりもない。
冷蔵庫の中で凍えながら待つカヌレこそが、私の未来を繋ぐ小さな灯火なのだ。
明日が来ればどうなる?
でも、その判断をするのは未来の私だ。
「朝が、明日が、来れば……!」
カヌレは明日食べよう。
いや、たぶん、明後日。
もしかしたら、そのカヌレは、冷蔵庫の中で静かに革命の記憶となるかもしれない。
それでもいい。食べることが目的じゃない。ただ、「食べない」を選び取った。
これが私の革命なのだから。
ベッドに潜り込み、最後に呟く。
「カヌレ、あしたの私を頼むよ」。
冷蔵庫の奥で輝くカヌレが、
革命の灯火に見えた。
そして私は、明日の朝日を夢見る。
冷蔵庫の中のカヌレと共に!