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突然くるのやめてほしいな
ある日の午後3時、少し前くらい。
そろそろ子供が帰ってくる時間のインターホン。
我が家のインターホンは、子供か配達やさんか、鍵を忘れた夫くらいしか押さない。
この時間なら子供だと思うだろう。
子供だと思いませんか?
私はなんの迷いもなく、「はーい」と、玄関の鍵をガチャッと開けてしまった。
ガチャッと開けただけ。扉は開いていない。
子供なら、「ううぇ~!!ただいま~!」
と、学校の疲れと、この団地の階段を4階まで上がり切った疲れを
扉にぶつけるように勢いよく開けて入ってくるはず。
なのに。あれ、無反応。
玄関横のすりガラスに人影。
大きさと色が、、、うちの子じゃない!!
と、思ったら、
「すみませーん!」
と、女性の高い声。
(あ。ちがう。)
そうしてドアスコープを恐る恐る覗くと、
あぁ、わかった。すぐにわかった。
そういえば、こういう方々が存在するんだった。
年配の女性が2人。上品そうな笑顔が2つ。
あれですよね。聖書のお話ですよね。
「はーい」と、鍵まで開け放っておいて、
インターホンの受話器のあるキッチンまで走り、再度返事をするのは不自然過ぎる。
ここで、「ご用件は?」と、扉を開けずに聞ける人も存在するはずだ。
しかし、私はそんな強さは持っていない。
だいたいわかる。
どんな話をしたいのか、どんなふうに話すのか。
とりあえず今日は世間話のようなことをして、何か冊子のようなものを置いてすぐに去るのだろうということも。
とにかく、子供がもうすぐ帰って来るはず。
それまでに終わらせたい。
経験上、子供が関わると面倒くさいことは知っている。
子供は名前を聞かれたら何の疑いもなく答えるし、
目の前で答えないでとは言えない。
子供にいろいろな質問をする方もいた。
どこの小学校?何年生?お父さんはお仕事なにをしているの?
子供との世間話のような会話から、個人情報がどんどん漏れていく、、、
そう、何を隠そう、私はこの手の勧誘をハッキリと断れない日本代表を長年務めている。
18歳で1人暮らしを始めてから、いったいどれくらいの方々のお話に耳を傾けてきただろう。
引っ越すたびにいらっしゃるんですから。
信仰以外でもそう、この断れなさそうな見た目のせいか、これまでにあらゆる、よからぬお誘いがたくさんあった。
ギリギリのところで回避できたことがほとんどだけれど、本当にギリギリ。
わかってる。この人は騙そうとしている。
わかっているけど、あまりに真剣に騙そうとしているから、話を途中で遮れない。
友人が関係しているようなことでは、断り切れなかったこともあり、
20代前半で多額の借金を背負ったこともある。
それでも、その後に誰かにまで被害が及びそうな誘いだけはどうにか受けずに乗り切ってきた。
信仰の勧誘は私が受け入れてしまうと確実に私のまわりにまで影響が及ぶ事案だ。
ちゃんと断ろう。
毎回、よし!いくぞ!と、思う。
扉を開けると
2人とも60代くらいだろうか、、、。
にこやかな柔らかな、感じのいいご婦人。
こういう方が職場にいてくれたらいいのになと思う。
「いつも、こうやって、扉をお開けになるのですか!?素敵な方で良かったー!!」
と、言うので、
「いや、子供と間違えました、、、。」
と、返したことで一瞬、時が止まる。
どうしていいのかわからなかったのか、
私について、とにかく褒めてくれた。
もう1人の女性がそれに合わせて縦に頭をぶんぶん振る。
どうでもいい世間話。
会話がどんどん過ぎていくけれど、一向に中身はなく、今も何を話したのか全く思い出せない。
とにかく互いに気を使って笑っていた、という記憶はある。
そのうち、チラチラと「聖書」と、いう言葉が出始める。少し真面目なお話に入る。
世間話のような内容から聖書までを流れるように会話し、「断る」というチャンスを全く与えないこのご婦人。やり手だな。
なんて感心していたら、結局1つ冊子を渡され、
今度はこの感想を聞きに来ますね!!
と、これまた断る間もなくご機嫌で帰っていった。
と、いうか。ご機嫌過ぎて、ちょっとぶりっ子な言い方になっていて、
断りずらかった。
もう一人のご婦人は、会話の最中は首を縦か横に振るのみだったけれど、最後に「ハバーナイスデイ!」と、言って笑顔で帰っていった。
完全に日本人だったことはわかっている。
ネットで、「宗教勧誘」と、入力すると、
断り方
撃退
決まり文句
警察
などというワードが続くことから、大抵の人が「迷惑」していることがわかる。
私も、その中の1人ではあるけれど、実は私は何かを信仰しているという、そういう方々にとても興味がある。
髪型、服装、視線、表情、話し方。
どこかに「嘘」はないか、
「特別」な、「何か」が、あるのではないかと求めてしまう。
私と何が違うのか、違うのならばどう違うのか知りたい。
そういう方々に私は勝手に、静まり返った水面のような想像をしてしまう。
平穏に、心荒ぶることなく過ごしているのなら、それがどんな日々なのか知りたい。
人はそんなに強くないはずだし、どんな訓練をしても思い込んでも、心が絶対にブレないなんてことはないはず。
そんな時、どう解釈するのか、回避するのかを知りたい。
勧誘のお誘いに乗ることは絶対にないけれど、
神様はいると思うかと聞かれたら、「いてほしいな。と、思う。」と、答える。
いるのだと思うこともあるから、神社にお参りも行くし、何かにつけて
「神様お願いします!」と、手を合わせている。
けれど、信仰と言えるほど尽くせる性格ではない。
何かを信じ切って、何かにすがったり、頼ったりしても、
傷ついた痛みは自分で耐えなければいけないし、
インフルエンザは薬に頼るしかない。
死後の世界はわからないし、
今日の夜ご飯も私が作るしかない。
こんなことを夫に話すと、そんなこと言ってないですぐに断らなきゃダメだよと言う。
わかってる。
でも、茶化してるわけじゃないんだよ。
勧誘をしている方は、
無利益でも、人のために教えたいくらい良い事だと思っているのか。
それとも入信させ、献金させたいのか。
入らないなら話しても無駄だね。って、思うこともあるのだろうか。
それなら、私は彼らの時間を無駄にしていることになる。
またインターホンに出れば対応してしまうし、断れない。
いつもなら、「勧誘お断り」のステッカーにお任せして、それでもインターホンが鳴るようなら居留守を使ってしまう。この罪悪感がとても嫌い。
また、その流れかな、、、と、
そうしていたら、つい先日、夫がお休みの土曜日に訪問があった。
団地の階段はキッチンから見えるので、あのご婦人らしき2人組がにこやかに階段を上がっている姿が見えた。
来たら出てほしいと夫にお願いし、案の定インターホンが鳴った。
夫がインターホンの受話器越しに、「はい」と。
その次には、
「そういうのはお断りしています。」と。
一瞬で終了。
え?勧誘された?
いや、されてないけど、
どこどこの者ですーって言うから、そういうのはお断りしていますーって。
こういう現実的でアッサリした性格の人と結婚して良かったなと思った。
私が私みたいな人と結婚していたら、きっとどこかで破滅するだろう。
でも、やっぱり。
よく考えたら、突然来るのはやめてほしい。
信仰は自由で、求めるもので、すすめられるのは違う気がする。
「断らせることをさせている」ってことも、わかっててほしいな。
ななめてんぱ