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ルクソール神殿と巨大石塔オベリスク

TOP写真 ルクソール神殿とオベリスク


気を取り直してルクソール神殿へ

前回、書いたとおり、
ランチを巡る争い。(笑)
ルクソールにてありました。

が、その後、
私もガイドさんも気持ちを立て直し、
午後の観光へ向かうことができました。

向かった先はルクソール神殿。

ナイル川を挟んで西岸は死者の国。
としたら、
ここルクソール神殿があるのは東岸。

ルクソール ナイル川西岸に沈む夕陽

古代、エジプトに居た人たちが、
宗教行事を行った神聖な施設。
ということなのでしょう。

まず目に入って来るのは、
巨大な第一塔門とオベリスク。

ルクソール神殿 第一塔門
オベリスクと神殿の巨大さ伝わりますか 石を加工して積んでます

オベリスクとは、
古代エジプトで神殿の門前左右にに建てた
長い石柱のようなもの。
石柱には
象形文字の碑文や図表が描かれています。

三度目のオベリスク

私はルクソールを訪れる前、
二度、
違う場所でオベリスクを見たことがあります。

フランス、パリのヴァンドーム広場。
もう一つは、
トルコイスタンブールのブルーモスク近く。
古代の競馬場跡。

パリのオベリスク。
1836年、当時のエジプト国王から、
贈られたもの。

向こう側に見えるのがヴァンドーム広場のオベリスク 塔左側 はっきり見えるのはナポレオン記念碑

イスタンブールのオベリスクは、
西暦570年頃、ローマ帝国皇帝が、
ルクソールにあるカルナック神殿から
運び込んだもの。

らしいのですが、
イスタンブールとルクソール。
かなり距離があるのに、
こんな長くて重い物。

運ぶのも大変だったと思うのですが、
そんな苦労してまでも欲しかったのか。
気になります。

イスタンブールにあるオベリスク。
かなり巨大ではありますが、
それでも長すぎて切断したそうです。

船に乗らなかったから切ったのか。
運んできて切ったのか。
そこも気になるところです。

イスタンブールにあるオベリスク
イスタンブールのオベリスク 象形文字 美しい

土の中に眠っていた神殿

ルクソール神殿。
中世以降、イスラム教徒の人たちが定住。
神殿やその周りに住居を築き生活。

もちろん、3500年も前に建設された神殿。
中世になるまでも2500年の時が経過。
よって、長年で蓄積した土や砂に埋もれていた。
ようなのです。
その高さ15メートルほど。

発掘が開始されたのは1884年。
その後、散発的に1960年まで行われました。

そこにこんな神殿があった。
知ってか知らずか。
分かりませんが、
その上に長く生活していたアラブ人。

どこへ行ったのでしょうか。
そこが気になってしまいます。
集落が形成されていたとしたら、
みんなが違う土地へ移住しなければならず。
ちゃんと、保証はあったのか。
心配になりました。

15メートルも埋もれてしまっていた。
とは思えない。
ほど、残った石柱は太く長くそびえ立ち、
今も尚、その威厳を放っています。

ルクソール神殿内 巨大です

歴史から考えさせられる今も昔も変わっていない

私たちは、
歴史の最先端を生きているので、
これまでの歴史の結果。
確証までは至らずとも、
概略で知ることができています。

古代エジプトにて、
3500年も前に造られた神殿。
そこで行われてた祭祀形態。

時代が変わり、異教徒により攻められ。
そして陥落。

自然信仰であっただろうルクソール神殿。
ローマ帝国が栄華を誇った時代。
キリスト教の施設として利用され。

中世以降、イスラム勢力がこの地を支配。
すると、そこにモスクが建設される。

世界史に興味がない人にとっては、
へ~そうなん。
くらいの感想なのでしょう。
が、歴史が築いてきた物語。
そこに居た人々。

思いを馳せた時。
事実は小説よりも奇なり。
とは、よく言ったものだな~。
つくづく考えさせられます。

そして今も中東で起きている戦争。

古代から変わることなく繰り返されている。
どうしようもないのですが、
深く考えさせられます。

ルクソール神殿内部に残る壁画

胸キュンポイント

神殿の遺跡自体は言うまでもなく立派。

その中で、
私がツタンカーメン王のこと。
大好きになったきっかけ。

ルクソール神殿の中、
ツタンカーメン王と王妃の像があります。

9歳で即位して19歳で亡くなったツタンカーメン。
結婚は即位の年、9歳の時でした。

昔の9歳がどんなものか。
分かりませんが、現代ならば小学3年生。
子どもです。

奥様はアンケセパーテンという方。
実父との間に娘がいたという説があり、
実父亡きあと、
異母兄弟であったツタンカーメンと結婚。

9歳で結婚したツタンカーメン。
奥様のアンケセパーテンは何歳だったのか。
既に娘がいたとしたら、
子どもを産める年齢であった。
推測すると、
かなりお姉さん女房であったでしょう。

ツタンカーメンとアンケセパーテン夫妻。
とても仲が良かったそうです。

そんな二人の当時の様子。
刻まれているのが、残されている像です。

正面から見ると、
二人が普通にお座りになっている像。
まあ、それだけでも良い構図。
なのですが、
後ろに回ってみると、
奥様の右手。
そっと、夫の肩に添えられているのです。

ツタンカーメン夫妻 正面からだと腕がとれてますが、
よーく見てください、王妃の右手

幼き夫婦。
常に、
命を狙われる王位を持ったツタンカーメン。
事実、その死は暗殺説も根強いです。

そんな環境の中、
唯一、心を許せる存在。
それが、
王妃アンケセパーテンだったのでしょう。

もし、行かれる際は、
是非、背後に回って見てくださいね。
多くの観光客は気づかず素通りしますので。

ほんと、年甲斐もなくキュンとなりました。

余談ですが、ツタンカーメン死後。
王妃アンケセパーテンの人生。
時代に翻弄され続けた王妃です。
ご興味ある方は調べてみてください。

日帰りだと足りないです

日帰りルクソール旅。
であったので、
2.5キロ離れて隣接するカルナック神殿は行けず。

ルクソール神殿からカルナック神殿。
約2.5キロある参道には、
延々と、スフィンクスが並んでいます。
スフィンクス参道と呼ばれています。

スフィンクス参道

ルクソール。
できれば、
1泊2日あるとゆっくり見られるでしょう。

多くの遺跡。
夜はライトアップされるそうなので、
昼とは違う幻想的な神殿。
見てみたいものです。

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