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見事なまでに

初の挫折は小学生でした。

幼稚園の年中から小学校3年まで父の仕事で台湾にいた。現地の双連幼稚園を卒園し台北日本人学校に通った。YMCAの水泳・剣道は早々にやめ、公文式と書道だけ続けていた。このお陰で算数はかなり進み計算も正確で速くなった。

父はいつも仕事仲間を家に連れてきては煙草を吸って麻雀をしていた。母はお酒や果物を出し、賑やかな家だった。僕はドラえもん・偉人の伝記・発明発見漫画シリーズを読んだり、スーパーカー消しゴムで3つ上の兄と遊んだりするのが楽しかった。従順な子供で、怒られた記憶は数少ない。周囲とのコミュニケーションは得意でなく、「人間失格」冒頭にある嫌な子供のようだったと思う。

ある日、小学高学年の兄が隠れて父の煙草を吸っていた。〇〇(僕の名)もやってみなと言われ、少し吸わされた。罪の共有をしたかったのだろう。そんなことしなくても親には黙っているのに。僕は兄に違和感を覚えた。

その後、4年生の初めに帰国した。地元の塾に1年通った後、四谷大塚に通った。火曜・木曜は特訓スクールで日曜にテストを受ける。成績は平凡だった。

6年の夏が終わり疲れが出た。集中力が途切れ勉強に飽きた。受験は滑り止め含め全て落ちた。見事なまでに。淡々と結果を受け止め公立中学に通うことになる。

小学校の先生に結果報告をした日、母が声を出して泣いた。大好きな母を悲しませたこと、僕はとっても後悔した。お母さんごめんなさい。

この悔しさをバネに僕は勉強に力を入れる。
挫折は早く経験した方がいい。人は逆境で成長する。



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