人生とは-同行何人?-
「同行二人」といえば、普通、弘法大師様を思い浮かべると思うが、当然のこととして「人生の道案内人」となると、意識するしないとに関わらず、数えきれないほどの数となる。
さて、当時の私が苦境を抜け出すための救いの道はただ一つ。お守りとして買い求めた本の著者にお会いすること。それ以外に考えられなかった。
そして、何も分からないまま夫と、仮設道場といわれる場所へ訪ねて行った。受付で用件を話すと奥の部屋へ通され相談員の方が対応してくれたが、事情を話し始めると、「ちょっと待ってください。今、会長先生がいらっしゃるので話してきますから・・・」と。そして、しばらくすると著者の先生がお姿を現す。初めて出かけて行き、予約も取っていない来訪者に、たまたまいらしたとは言え、会ってくださるとは正に奇跡。
「初めまして。突然にすみません。私は・・・・」と事情を話すと、眼の奥深いところからじっと私を見ながら聞いてくださっていて、ゆっくりと私たち夫婦に理解できるよう話してくれた。そして、そこへ行こうとしたきっかけとなった姉の病気についても真剣に聞いてくださり、因縁切りの行を勧めてくれた。
姉は重篤で入院中でもあることから、姉に変わって行をする必要があるが、私は自分のことで精一杯であるからして姉の行までは無理。それで夫が代わって行をしてくれることになり私と共に指導を受けるため入行の運びとなる。
そして、部屋中に貼ってあるお札の始末も障りのないよう浄化して下さるというので、帰宅後すぐにお札を外し、袋にまとめて翌日に納めさせていただいた。実に有り難い事であった。
そして、被害届を出すのなら力になってくださると仰ってくださったが、私は高い授業料と受け止め、訴える意思のない事を伝えた。(あの弁護士の奥様にも訴えたら勝てると言われたが。)私はいつまでもそこにとどまっているよりも先へ進みたかった。
そして、すぐに入会手続きを済ませ正式に会員となり、千座行を始めることとなる。
決して信仰を始めたのではなく、因縁を切るための修行。この違いは大きい。信仰と修行。私たち夫婦は信仰しなさいと指導されたのなら決して会員にはなっていなかったと思う。
それからは毎月の例祭にも参加させていただき、ご法話もしっかり聞き、学ばせていただいた。更にはメディテーションセンターの会員にもならせていただいた。そこには陰と陽の部屋があって、自身の心のバランスもとれるように改善されて行ったように思う。メディテーションセンターは長く通うことはできなかったが、千座行は一体どれくらいの年月を重ねお世話になっただろうか・・・
初めの頃は道場で勤行をすることが主であったが、平河町に
移転した後は入場者の受付や道場のトイレ掃除等々、下座の行にも励んだ。
また、地区会にも参加させていただき、因縁切りの行者仲間が増えて行った。これには男女の違いも年齢差も一切関係なく同じ目的に向かって進む連帯感もあって心地よかった。地区会は各地の公民館の会議室等を借りて行われた。リーダーのTさんはとても頭がよくメンバーからも慕われていた。
その内、我が家でも若者たちが集まって勉強会なども行うようになった。
教材に選んだのが、中村元さんの「真理のことば」や友松圓諦(ともまつえんたい)さんの「法句経講義」等であった。中でも友松圓諦氏の本は解説がとても分かりやすいので、みんなで輪読してから感想を述べ合ったりして理解を深めた。
その中に
おのれこそ
おのれのよるべ
おのれを措(お)きて
誰によるべぞ
よくととのえし
おのれにこそ
まことえがたき
よるべをぞ獲(え)ん
が、あった。
そして、もうひとつ。仏陀の「ひとりで歩きなさい」のことばが心に沁みて、私の旅の友になっていった。
詳しくは、ブッダのことば-スッタニパータ-(中村元訳)
第一 蛇の章
三、 犀の角
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四五
もしも汝が、賢明で、協同し行儀正しい明敏な同伴者を得たならば、一切の危難にうち勝ち、こころ喜び、念(おも)いをおちつけて、かれとともに歩め。
四六
しかしもし汝が、賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者を得たいならば、あたかも王が征服した国を捨て去るようにして、犀の角のようにただ独り歩め。
四七
われらは実に朋友を得る幸を讃称(ほめたた)える。自分よりも勝れ或いは等しい朋友には親しく近づくべきである。このような朋友を得ることができなければ、罪のない生活を楽しんで、犀の角のようにただ独り歩め。
・・・・・
さあ、ここから 人生のすごろくゲームのはじまり、はじまり~~~♪♪♪
ーーーつづくーーー
私を生かし活かしてくだりありがとうございます。
感謝、感謝申し上げます。(-人-)