軽めにいこう 死と教育 補足

人が死ぬこと そして 日本の問題シリーズ 教育について
これがわたしの再生回数の多い トピックです
それぞれ 9がつ 1にち 現在  28回再生 と 18回 再生
してもらってます
ありがとうございます

死についておもうこと 教育について もう少し語ってみようと思います

死 というもの に口出すことはあまりできなくて
最初から生きてたわけではない 産まれて3ねんめくらいで記憶があるので (わたしの場合 )
もともと死んでいた というか 生きてはいなかった という感覚が
すでにあるので
とてもリアルなもので  たとえ今死んだ という感覚ではなくても
やはり 死んでもいる わけで
なにかいやなときに 死にたくなるのもそのせい 
 で 、やっぱり  自分ではどうにもできないもの

死 そのものに興味は無くても そのとき幸せでいたい とか
少しでも痛みは感じたくない こわさを感じたくない
というのは おもう

遠くにあるものではない 親近感はあります
それゆえに   理解しきれないこわさも あるのかな

教育 については 、、、、
力が強すぎる しくみ とはおもう
いいふうに使うなら まだましだけど それもやりすぎはどうかとおもうし
悪いふうに使いだしたら  やっぱり暴力 そのものだし

教えたい っていうのもひとつのエゴ エゴからは出られない
でも
どうせなら エゴをなるべく利用して いいものに活用していこう
っていう それもま、 エゴですが笑 そんなかんじです


できたら 死をこわがりたくないし 楽に生きたいし
教育というものに おびえたり コンプレックスをもちたくないけど

それはなかなかむずかしい  シンプルゆえに複雑な感情になるお題です
なんか この手のこわさ って宗教や災害をどこまでこわがるか
みたいなのに通じる
気がして

どうしようもないんだろうけど 
こわがって 理解できなくて くらいわかんないほうが 自由に生きられるかもしれないね

変にこれが正しい これが問題 これが答え って分かってると
さっき言ったみたいに 力がどんどん大きくなって
暴力になってしまうかも

てなことで  今回は軽めにカフェ感覚で たのしんでもらえたかな
書く ということは 立ち場をいろいろ変えて話せるから 楽しいですな
もちろんその立ち場から 出た暴論はいけないけど
いろんな自分になれて ありがたい

また お会いしましょう あなただけの人生へいってらっしゃい

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