ユーミン リ・インカーネーションツアー
本当にユーミンのチケットは取れなかった。まだチケットぴあも出来る前のこと。会場付近のプレイガイドに並んで直接購入するという頃の話。
中学生や高校生の頃の私は知り合いにコネがあるわけでもなく、朝日新聞の社会面の下段を毎日監視し、コンサート情報を得るしかなかった。そしてひたすら並ぶ・・・。
それまでの邦人アーティストの大御所プロモーターはキョードー系列や日音、労音であったのに対し、1980年前後、ディスクガレージやスマッシュ、フィリップサイドなどといったプロモーターがタケノコのように生まれた。その頃からコンサートチケット争奪戦はあちらこちらで勃発し始めた。コンサートがビジネス化したのだ!
それまでのチケットの取り方としては、良い席で見たければそれなりの会費を払いキョードーや労音の会員になり、先行予約などという飛び道具による取得が一番の近道であった。しかし、中学生や高校生の分際でそんな金があるわけでなく、いつも残り物の集まるプレイガイドに並んでチケットを得るという基本的なやり方が主であった。だから、並んでいても5人くらい前で予定販売枚数が終了するなんてことは日常茶飯事で、ユーミンのコンサートチケットを取った時などは3年目でやっと自分にまで回ってきたのだった。
高校3年の夏休みが始まった日、夜8時、私は友達と関内の駅に集合していた。
日中の照り返しを吸収した路面は生暖かく、蒸し暑い夜であったが、私は友達と2人である建物を目指していた。キョードー横浜の事務所である。
翌日の朝9時に「松任谷由実コンサート リ・インカーネーションツアー1983」の前売りチケットを購入するための行動である。もちろん、徹夜で並ぶのである。
この頃は、プレイガイドやプロモーター事務所に販売予定日前から徹夜で並ぶと言う行為が一般化しており、「甲斐バンドの武道館公演では新宿のプレイガイドに2週間前から徹夜組が出た」とか「オフコースの武道館公演は徹夜で並んだのにも係らず、購入できなかったファンがプレイガイド前で小競り合いになった」などという情報が錯綜していた。
そのような状況であったから、徹夜でもしなければユーミンなんて一生観ることはできないと思ったのだ。
夏の朝は早い。徹夜組は50名ほどだったろうか。当時はコンビ二も携帯電話も無く、家から持ってきた弁当やお菓子で食いつなぎ、交代で近所の公衆便所に行く。前後に並ぶファンとは共通の話題となるユーミンの話をすれば、妙な連帯感も生まれてくる。私の前後はOLさんの2人連れと女子大生の2人連れだったので、お姉さんたちと話す感じがたまらなく甘美な時間であった(そりゃそうだ、男子校だもんな!)。
そして、チケットを手にしたときは単純に嬉しかった。思わずチケットカウンターで友人と快哉をあげた。なんせ3度目の正直だったから。
1983年9月21日・神奈川県民ホール。1階30列目。1階の後ろから2番目という位置だが、中央の位置だったので全てが見渡せる良い席であった。
ユーミンはこのツアーからそれまでのバンドメンバーの何人かを入れ替えていた。今はキーボーディストの重鎮であり、ユーミンのツアーには欠かせない存在となっている武部聡志はこのツアーからバックに起用されたぺーぺーであった。また、ベースの田中章弘も同様(田中章弘は鈴木茂&ハックルバックの印象が強かったので、目の前でユーミンと一緒にステップを踏みながらチョッパーベースを弾いている彼を観たときはびっくりした)。
ギターはお馴染みの市川祥治だが、もう一人のギターは窪田晴男。のちにパール兄弟を結成するのだが、この頃は近田春夫とビブラトーンズのメンバーだった。とにかくカッティングが上手いギタリストで16ビートは当り前、32ビートを織り交ぜながら世界観を作り上げる天才。後にTM NETWORKの大ヒットソング「Get Wild」の疾走感溢れるギターも窪田晴男によるもので、職人である。コンサートでもエッジの効いたカッティングがバンドサウンドを引き締めていた。
さて、そのようなメンバーにガッチリと固められ「リ・インカーネーションツアー」は幕を開けた。電飾フロアが輝くシンプルなステージでオブジェなどまったく無い。そのステージ上をテニスルックやレオタード姿のユーミンがスポーティーに走り回り、歌いまわる。
天井からのライティングは一切無く、ステージ後方から人的作業でバリライトのような動きを演出する。通常のピンスポットと後方からのあおり、地面の電飾という3方面からの光でユーミンが浮き上がって見えることがしばしばあり、幻想的であった。
曲はアルバム『リ・インカーネーション』(1983)を中心に演奏。もちろん荒井由実時代の歌や弾き語りを交えながら巧妙なMCで客を飽きさせない。
MCで「私に無いものは、生活感と歌唱力なのよね~」とぼやいていたが、コンサートにおける歌唱はその会場に宿る観客との呼吸もあるので、上手い下手というものを超越する。だから、歌唱力はたとえなくても、説得力は100%以上であった。
特にエンディングに向けての「キャサリン」~「埠頭を渡る風」~「カンナ8号線」~「REINCARNATION」は、その後のアンコールがいらないほど(アンコールも良かったです)、完成されたパッケージだった。
私は、このコンサートを生録しており(そういうこと、良くやってました)、何度も聞き返しているが、何回聴いても飽きない。
私はこのツアーのあとも数回ユーミンのコンサートツアーに足を運んでいるが、このコンサートツアーのインパクトは大変大きなものであった。
理由はシンプルである。華美な演出が無く、歌に集中して観る事ができたからである。
歌唱力ではない説得力である。
それが生録した音から伝わってくるのだ。
そういえば、このコンサートの翌年からチケットぴあは電話によるチケット販売システムを構築し、徹夜で並んで席を取るという方法が無くなっていった。
我々は並ばずしてチケットを購入できるようになったが、良い席と悪い席の振り分けが不透明となり、徹夜すれば良い席だったという努力はまったく報われない結果となっていく。
もしかしたら、当時のファンは良い席を取るために並ぶところからコンサートは始まっており、その苦労をコンサート会場で発散していたのかもしれない。
だから、私もチケットぴあが出来るまでのコンサートの方が記憶が鮮明だったりする。
リ・インカーネーションでは無いが、もう一度チケットをプレイガイドで一斉販売する形式を取る方法にしたらどうなるだろう。ネット社会における逆流のコミュニケーション。
・・・混乱して終わるだけか。
2017/8/2
花形