『ワイルド・イン・ザ・ストリート』 ボン・ジョビ
『SLIPPERY WHEN WET』(1985)(邦題:ワイルド・イン・ザ・ストリート)は、ハードロックの流れを変えたアルバムとして記憶にとどめられるだろう。その理由は3つある。
1つ目は、ハードロックやヘビーメタルというカテゴリーの中にロックバラードがヒットするという事実を作り上げたことである。
「Wanted Dead Or Alive」というウェスタン調のバラードが全米7位に3週もの間ランクインしていた。この事実がこのあと、メタリカやシンデレラ、ポイズンというハードロックバンドたちがバラードでヒットを飛ばすことの道筋を作ったのだ。ハードロッカーがバラードを打ち出すことは、ひとつ間違えれば軟弱なイメージを追いかねないことであるが、ボン・ジョビは何のてらいも無く、音楽の幅と歌唱力を主張し、実力を提示した。それ以降、ハードロックの作り方が変革し、ハードなアルバムの中に、必ずバラードが収録されるようになり、その作品でシングル盤を発表し、ヒットする図式が生まれたのである。そしてハードな演奏に絡まるアコースティック・サウンドは、いろいろなところに波及していった。
一時期低迷を続けていたアコースティックギター市場も巻き込み、エレクトリック・アコースティックギター(エレアコ)の開発に拍車をかけ、1989年から始まるMTVの人気番組《アンプラグド》につながっていった。つまり、「Wanted Dead Or Alive」が魁となったことで、ハードロックのアコースティック版という文化が創造されたといってもいい。
2つ目は、MTVの演出方法で大々的に売り出す方策を編み出したということ。
それまで、ボン・ジョビは日本で「夜明けのランナウェイ」がヒットしたぐらいで、アメリカでは2流の道を突っ走っていた。前座ステージが多く、照明や音響についてはメインアクターと差がつけられ、舞台オブジェなどは、持つことすらできなかった。しかし、MTVでライヴ会場を再現し、あたかも自分達がメインアクターのような演出を施し、自身のオブジェを用い、“ボン・ジョビのライヴは楽しい!”という印象を強くアピールした。いつも他人のセットで歌う彼らは、この疑似ライヴに命をかけ、MTVの歴史にライヴによる盛り上がりを導入させた。このスタイルは他のヘビメタバンドが多く取り入れた。モトリー・クルーやデイヴ・リー・ロスなどアホらしくなる演出を施し、盛り上がるコンサート会場を映像化し、面白そうなライヴの雰囲気を伝えた。
そして…観客はコンサート会場に足を運ぶことになる。
3つ目は、当時のディスコ(今はクラブ)にもヘビーメタルが取り上げられたことだ。ディスコはソウルやファンク、R&Bはかかっても、ヘビメタやハードロックは取り上げなかったが、このアルバムのヒットは、ディスコ側も脅威に感じたようで、ひっきりなしに「Living on a prayer」が流れていた。そして、そのことで他のヘビメタもディスコナンバーにのるようになった。これに腹をたてたのが、旧来のディスコファン。ヘビメタにステップなんてありゃしない。丁度ディスコからクラブという名前に変わるきっかけの出来事だったのかもしれない。
とにかく、ボン・ジョビのロックはハードロックともヘビメタとも区別つかないポップロックだが、各方面への影響力は非常に大きいものがあったのではないか。それは商業的成功というキーワードが成せるもので、ロックの低年齢化を促進したことも忘れてはならない出来事だ。
一時期は人気も低迷し、バンドメンバーはソロ活動や、ボン・ジョビ自身は俳優活動を始めたが、今また新しい音を創作時日本に来るようだ。ずっと売れ続けることもすごいことだけど、何度も不死鳥のように甦るボン・ジョビもなかなかのものだと思うよ。
2006年2月8日
花形
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