『イン・ザ・ウィンド』 ピーター・ポール&マリー
米紙ニューヨーク・タイムズなどによると、米フォークグループ「ピーター、ポール&マリー」で活躍したピーター・ヤーロウが1月7日、 膀胱がんのためニューヨーク市内の自宅で亡くなった。86歳だった。
マリーは2007年に鬼籍に入っているため、ポールだけになってしまった。
3人の作り出すハーモニーは難解なディランの歌を聴きやすくしてくれたし、アメリカンフォークムーブメントの中心で活躍した。
ご冥福をお祈りいたします。
2025年1月8日
マーチンD28Sというギターを初めて見たのは、斉藤哲夫のライヴだった。彼は、70年代から80年代にかけて、D28Sをよく使用していた。D28Sは、ドレッドノートサイズだが、12フレットでネックとボディが接合していたので、やたらとボディが大きく見えた。そして、D28Sは通常のD28と比べてネックが太い。クラッシックギターのようなネック幅である。また、スチール弦だが、クラッシックギターのようなペグの形状なので、ドレッドノートサイズのクラッシックギターという感じである。
そのD28Sだが、このギターを世に広めたアーティストは何といってもPPMのピーター・ヤーロウである。繊細なコーラスの組み合わせの中でピーターの音はしっかりと低音を支えている。さすがマーチンであり、ピーターのフィンガリングである。ちなみに、このピーターの影響を一番受けた人が小室等。一時期は小室もD28Sを愛用していた。
PPM(ピーター・ポール&マリー)は、1960年代にデビュー。アメリカを代表するフャークソンググループである。ギターとベースに女性ヴォーカルのシンプルな編成と、3人の独立したコーラスがピーター・ポール.&マリー ( PPM ) のスタイルで、アメリカンフォークソングの中でも洗練された部類の音楽である。この“洗練された”は、海を渡った日本ではカレッジフォークと名を変え、所謂“四畳半フォーク”のような生活感モロ出しの音楽とは程遠いことを意味する。
歌の内容も社会的なものが多く、正面から世の中に歌という手段で主張していた。しっかりと現状を受け止め、真摯に表現することがデビュー46年を迎える今も現役でいられることなのかもしれない。
3人の歌声は落ち着いた調和の中で生まれる静かな主張である。ビートを効かせ感情をむき出しにして主張するパンクロックやハードロックとは違い、歌の一言一句をかみしめながら出てくるそれは“言葉”という主張が心に残り、後々まで忘れることがない。
PPMは、ディランやピート・シガーの曲を多く取り上げた。60年代後半のあの時代に反戦歌や人民解放の歌を正面から歌っていたことは、音楽で世の中が変わると誰もが信じていたのかもしれない。特に人民解放というテーマは、きな臭い問題であり、何人もの指導者が暗殺されている。彼らだってその危険にさらされていたに違いないが、彼らは歌うことを辞めなかった。そこに音楽の見えないパワーを感じる。
一方日本では彼らの歌が1980年頃、TBSドラマ「金曜日の妻たちへ」の挿入歌に採用され、リバイバルヒットした。
「風に吹かれて」「500マイルも離れて」「虹とともに消えた恋」などがブラウン管から流れた。
倦怠期を迎えた中年夫婦の様々なドラマ。若さを求め新しい恋愛に走る男、安定的な生活を守ろうとする女。友人の力で関係を修復しようとする夫婦たち。PPMのサウンドが、大人たちの ( 中年の ) ささやかな恋愛の物語を彩り、それはかつて自分達の青春時代に歌われていた歌たちだ。
新興住宅街の美しい並木道や仲間たちとのホームパーティーなどのシーン、自立していく女性像は当時のトレンドとなった。ドラマの内容はかなりドロドロとした不倫や愛憎劇が絡まるが、落ち着いて見ることができたのは、もしかしたらPPMの教え諭すような静かな歌声が起因しているかもしれない。
PPMは最初からオリジナルアルバムで聴くよりもベスト盤で聴いたほうが入りやすい。なぜなら、時代を切る音楽が多いので、全体を捉えてからアルバムをチョイスした方がブレない。『ベスト』(1990)は20曲入り。ぜひとも歌詞(日本語訳)のあるものをお勧めする。
アルバムを選ぶのであれば、僕は本格的にディランを取り上げた『In the Wind』(1963)。
特に「Don't Think Twice, It's All Right」の落ち着いた歌声はディランとは別の説得力があり、大好きである。
2006年3月20日
花形