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『COBALT HOUR』『14番目の月』~聴き逃していた音 荒井由実

このブログを書いたのは7年前。
ユーミンは今でもトップランナーとして走り続けている。
7年前だって還暦過ぎてド派手なステージを展開していたんだからスゲェ事。
ましてや、来年古希だ。
天才。
2023年10月4月


 ユーミンが全国ツアーに出るようだ。
長いこと一線で走ってきて、まだ全国ツアーができるということはとてもすばらしいことであるし、何度か彼女のコンサートを観たことがあるが、あのクォリティーをずっと保ち続けていること想像すると、心底感心してしまう。
 私はたまにユーミンのアルバムをターンテーブルに乗せる。以前、このコラムにも書いたが、私の好きなアルバムは『ミスリム』(1974)『時のないホテル』(1980)『昨晩お会いしましょう』(1981)の3枚。この3枚は他のアルバムに比べて聴く頻度が高い。
 他のアルバムも聴くことは聴くが、販売がCDオンリーになった『Delight Slight Light KISS』(1987)からはあまりユーミンを聴かなくなった。正確に書くと、聴きこまなくなった。CDはお手軽なのでカーステなどでは流すこともあるが、車の運転中は音楽に没頭出来ないし、部屋で聴くのならレコードに手が伸びる。そして、ユーミンの落ち着いた世界観はアナログレコードで聴かないと心に沁みない、などと勝手なこと思いながら盤面の埃を取る日々が続いたのだ。

 それでいて私はメジャーな歌が収録されたアルバムを避け、あまり目立たない歌が多く入った作品を好んで聴いていた(例えば『紅雀』(1976)や『悲しいほどお天気』(1979))。「卒業写真」や「ルージュの伝言」が収録された『COBALT HOUR』(1975)、「恋人がサンタクロース」が収録された『SURF&SNOW』(1980)などは殆どターンテーブルに乗せたことが無い。ラジオから頻繁に流れる作品をわざわざ聴くのも、という思いからかもしれない。 

 私は無性にレコードが聴きたくなる周期があり、夜通し空が明るくなるまで聴くことがある。荒井由実時代からゆっくりと聴き込んでいこうかなと思い、先日その機会を得た。
 中学時代から聴いてきた歌だが、歳を重ね、50歳を超えて聴くユーミンはなんとも言えぬものがあった。もちろんユーミン自体が20歳台に作った作品が多いし、その多くは女性目線の歌で占められる。だから、中年の男が聴くと少し俯瞰でモノを見る感覚だったので非常に面白かった。そして、ふとした瞬間にほろっと来る情景が出てくると、やはりユーミンは天才なんだと改めて思う。
 今回のレコードを聴き直して一番の収穫は『14番目の月』(1976)であった。この作品は荒井由実名義の最後のオリジナルアルバムで、つまりは彼女の独身最後のアルバムである。この作品からプロデューサーは松任谷正隆となる。

14番目の月

 さて、何が収穫かというと、このアルバムがそれまでのアルバムと違う大きな点があるということだ。そう、それはミュージシャンである。このアルバムで「キャラメルママ」は、ユーミンのレコーディングメンバーという不文律が崩れたのだ。ベースの細野晴臣、ドラムスの林立夫がアメリカ人ミュージシャンに変更された。
中でも、ベースのリーランド・スクラーのプレイは圧巻であった。
 私は先ほども書いたが、ユーミンを聴く時に彼女のメジャーな曲を避ける傾向があり、それらをあまり聴き込まないで来た。そして、このアルバムのメジャーな曲といえば数々のシンガーにカバーされている「中央フリーウェイ」なのだが、この曲の凄さが今回聴きこんでやっと分かったのだ。
この歌、ユーミン自身も出来上がった時に相当自信があったようで「私は天才だ」「この曲は日本のシティポップと呼ばれる相応しい歌だ」と喧伝していた事を思い出す。
 私もそんなユーミンの声を聴きながら、当時はそんなものかな、と思いつつ聞き流していた。何故なら、この歌をカバーしていたハイ・ファイ・セットや庄野真代の歌ったヴァージョンの方が私は聞きやすかったし、そのせいか曲の成り立ちよりもヴォーカルのレベル差を感じてしまい、ユーミンのヴォーカルが中々耳に入ってこなかったのもしれない。
 しかし、今回アルバムをターンテーブルに乗せて聴き始め、「さざ波」「14番目の月」の軽快なリズム、「さみしさのゆくえ」「朝日の中で微笑んで」へ続くドラマチックな展開。そして場面展開するように「中央フリーウェイ」へと続く、流れるような曲順に酔いしれた。

 恋人を乗せた車が中央高速道路を八王子に向けて走る様を描くこの曲。松任谷氏が荒井由実とデートを終え、自宅に送り届ける時の情景なのかもしれない。そんな切なくも幸せに満ちた瞬間を切り取った秀作だ。そして音楽的に言えば、この歌はリーランド・スカラーのベースに尽きるといっても過言では無い。

リーランド・スカラー

 リーランド・スカラーはジェームス・テイラーのバックバンドや「ザ・セクション」というスタジオミュージシャンの集合体バンドに属してした腕利きである。録音当時は29歳。
 彼のベースから繰り出される西海岸の音とヨーロピアンなユーミンが融合するのかどうか。なぜ、リーランド・スカラーなのかという疑問もあるが、1970年代当時の日本のスタジオミュージシャンに絶大な人気のあったジェームス・テイラーのバックメンバーを起用するという単純な理由だったのか。
 それはともかく曲を聴く。とにかく、ベースの動きに注目。お洒落なイメージなこの曲の成立はベースのノリなのだ。16ビートでスウィングしているというか・・・とにかくベースが歌っているのだ。それこそ、ユーミンを邪魔することなく、ユーミンより歌っている。

 最近、私はレコーディングしていてトラックごとに楽器を分離して聴くことがよくあるが、気持ちの良い演奏はベースを単体で聴いても成立する。そして、リーランド・スカラーのベースはまさにそのもので、ベース単体で気持ち良くなれるのだ。こんな気持ちの良い音・・・メジャーな歌を避けていたため、今まで気がつかなかったのだ。

COBALT HOUR

 『14番目の月』の1作前のオリジナルアルバムは『COBALT HOUR』(1975)。このアルバムも先ほど書いた理由であまり聴きこまなかった。
が、しかーし。もう1曲目からノックアウト。
ベースが・・・ベースが・・・。
 1曲目はタイトル曲の「COBALT HOUR」。「中央フリーウェイ」が中央高速だったら、この曲は「首都高速1号線」である。いすゞべレットGTをぶっ飛ばしている風景。
 ベースは細野晴臣。まぁなんというか、イナタイというかロイクゥというか、もう「ド・ファンク」である。
「タワー・オブ・パワー好きでしょ、細野さん」といいたくなるようなベースが繰り広げられているのである。耳をつんざくような茂のスライドギターで私は虫の息となる。で、2曲目の「卒業写真」で一気にクールダウン。もう頭をかきむしった。5曲目の「ルージュの伝言」を聴き終り、盤をひっくり返していきなり「航海日誌」という壮大な歌。「こんな濃密なアルバム、集中して聴き込んでいると死ぬな」と思っていたら、この歌には死生観が込められていることに気づく。ユーミンの歌には時々死生観を感じる歌があるが、非常に心地良く聴くことができるのは彼女のフラットな歌唱と高度な演奏、編曲の妙なのだと思う。「ひこうき雲」「ツバメのように」「ANNIVERSARY」なども同様で、死を扱った作品はナーバスになりがちだが、彼女の手に掛かると、かえって潔く感じられる。
 7曲目はその死生観が恋人に移る。「CHINESE SOUP」は恋人をスープに煮込んじゃう歌。
さやえんどうの「さや」は私で豆は別れた男たち。さやをむきながら、豆は鍋に落ちていく。そして「煮込んでしまえば、形もなくなる、もうすぐできあがり」と歌う。ちなみに吉田美奈子ヴァージョンはこの歌詞の最後に「愛してるわダーリンいつもいっしょにいてね」と早口で呟く。これが・・・怖い。もう死んじゃう。
 8曲目は軽快で愛らしい「少しだけ片思い」。毒気のある7曲目の次にこの歌を持ってくることで、馬鹿な男たちは手玉に取られてしまうのである。山下達郎のコーラスも秀逸。
 9曲目の「雨のステーション」でたっぷり聴かせ、最後の「アフリカに行きたい」で終結。と思いきや、飛行機のSEは1曲目の「COBALT HOUR」に戻るのだ。
この構成力。当時の若手スタジオミュージシャンの英知が詰まった作品である。

細野晴臣

 2枚のアルバムを聴く中で、リーランド・スカラーと細野晴臣。時代性もあるが、同世代の2名が繰り出す音は、アメリカ人の方が細かく緻密な音を出し、日本人の方が黒人のグルーヴを出しているようにも聴こえた。
『14番目の月』で最後に収録されている「晩夏(ひとりの季節)」はユーミンの真骨頂とも言える日本的なスローバラードだが、リーランド・スカラーは要所要所を抑えながら見事にプレイしている。

 新たに発見したことに喜びを感じたが、今まで気がつかなかったこと(気がつけなかったこと)を残念に思う秋の夕暮れである。

2016/9/14
花形

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