甲斐バンド<SPECIAL LAST NIGHT>-PARTY-(黒澤スタジオ)
1986年3月に衝撃が走った。東京・表参道のライブスポット、青山CAY。
深夜に始まった謎のパーティー。専属のクラブバンドのような“お揃いの出で立ち”で甲斐バンドは演奏を始めた。そして甲斐よしひろの言葉。
「大森の耳が悪くなったということも理由の一つです。しかし、俺たちはこの12年間に音楽的にも全ての面でも十分やれたと満足してます。俺たちの解散とは消え去るといったようなトーンダウンしたものじゃないんだ。俺たちはもう真夏の夜の花火のように燃え尽きたんだ。12年間といえば長いような短いような年月でした。どうもありがとう。」
甲斐バンド解散!
僕はこのニュースを発表翌日のスポーツ新聞で知った。そして6月末までの解散コンサートツアーと、最後に1日だけの特別ライブを行うと発表された。
それまでにラジオでの甲斐よしひろのトーンであったり、ライブ活動のタイム感であったりと解散説が無いわけではなかったが、実際に“解散”を目の当たりにするとかなりショックを受けた。なぜなら、僕は甲斐バンド(甲斐よしひろのラジオのヘビーユーザー)のファンであったが、この時点で彼らのライブを1度も観たことがなかった。ライブに行こうにも、チケットがいつも取れなかったのだ。
チケットぴあの電話予約が出来る前は、毎回毎回都内のプレイガイドにファンが押し寄せていた。それは発売の2週間前から泊まり込みで並ばないと購入できないという怪情報も流れ、発売日に行っても当然のように売り切れになっていた。その事実からも今回もチケットの争奪戦も激しいものになるだろう、と頭を抱えてしまったのだ。
いくらチケットぴあでの扱いとなり、泊まり込みをしなくても購入できると言われても電話が通じる確証など何もないのだから・・・。
しかし、それは気が抜けてしまうくらい簡単な出来事となった。
チケット発売日にチケットぴあのチケットセンター管轄の九段下電信局まで行き、そこからのコール。開始10分。なんと、いとも簡単にチケットを4枚確保!コンサートツアー・ラストの武道館5日間公演の2日目と最終日をゲットした。
そして、その数日後、新聞発表にて特別ライブの開催が発表された。
6月29日 黒澤スタジオ
コンサート会場やライブハウスではなく、映画製作のスタジオである。
最後の舞台は日本武道館5日間公演という華々しいラストシーンとし、特別ライブは追加公演(ライブバンドとしての燃えカスやくすぶり)というものではなく、あくまで昇華した後のエピローグ、映画好きの甲斐よしひろが考える映画のエンドロールなのかもしれないと思った。
そんなことを考えながら応募をしてみた。「もののついで」という感覚。
シークレット・ギグには24万通の応募があり、幸運のチケットは、1500名に渡ったのだ。
そして、そのチケットを手にした時はあまり実感が無かったが、のちにスポーツ新聞などでそのコンサートの応募総数や倍率を見た時には流石に震えたものだった。
郵送で送られてきたチケット----
チケットはパウチされた名刺大の大きさ。<SPECIAL LAST NIGHT>-PARTY-御案内状とワープロ打ちされたA4の紙と客席ブロックの記された紙(D-3ブロックなので割と前の方だ)。
“あくまでもコンサートではなく、パーティーですのでなるべくフォーマルな服装でお越しください”とある。ただのライブではないことが伺い知れた。
それなのに会場近くには駐車場は無いから車で来るな、ともいう。
東急田園都市線青葉台駅から十日市場方面に横浜市営バスで20分ほど揺られなければならないのにフォーマルな格好とはなんぞや。ま、それはそれとして甲斐バンドのラストコンサートツアーのタイトルも“PARTY”だったので、そのタイトルに託けているのかと思い、とりあえず当日はスーツを着込んで会場に入った。
ゆったりとしたBGMが流れる中、ドリンクコーナーがあり、おのおのアルコールを楽しむという趣向だと思うが、ブロックを抜けると戻ってくることが出来ないほどの人ごみであるし、トイレにさえ行くのも人をかき分けながらの窮屈な空間なので、基本的に最初の1杯だけで終わらせている人が殆どであった。そして、パーティーという趣向もバンドやスタッフが一生懸命演出しているのだろうが、客席にいる身からするとスタンディングのライブハウスと何ら変わらない状態で、ライブの途中では(あ、パーティーの途中)、なんでスーツ着て汗だくで見ているんだろうと思ったほどだった。
しかしながら、肝心の甲斐バンドの演奏はとてもリラックスした雰囲気で行われており、曲順さえ決まっていないようなことも言っていた。
甲斐バンドのメンバーが各々やりたい曲を選んで、演奏するというスタイルで、松藤と一郎でビートルズを演奏したり、甲斐はニール・ヤングを弾き語りしたり・・・。
ゲストの吉川晃司や中島みゆきが一緒に歌うシーンなどは通常のコンサートツアーにはない醍醐味であった(中島みゆきはエレキギターを弾きながら歌っていたし、吉川晃司は長い足を高く振り上げて踊っていた)。
僕は、「2日前に武道館で燃え尽きたバンドであったとしても、余力でまだこんなに熱くさせるステージが出来るなら、この瞬間を永遠として残しておきたい」と振り上げた拳に刻み込んでいた。
甲斐バンドの歌は様々な洋楽の要素が終結し、甲斐よしひろのフィルターで浄化されている。身の震えるようなラブソングも苛立ちを訴えるプロテストソングも甲斐の言葉とヴォーカルで説得力のあるシーンに変わる。このパーティーでは彼らのそういったオリジナル以外のカバー曲も多く聴くことが出来、彼らの神髄を見た。甲斐バンドの代表曲でなくとも、甲斐バンドを知ることが出来るセットリストだった。
セットリスト
1.キラー・ストリート
2.SLEEPY CITY
3.きんぽうげ
4.ランデヴー
5.東京の冷たい壁にもたれて
6.ジャンキーズ・ロックン・ロール
7.悪夢
8.HELPLESS
9.テレフォン・ノイローゼ
10.かりそめのスウィング
11.TWO OF US
12.青い瞳のステラ、1962年 夏
13.インスツルメンタル
14.港からやってきた女(w中島みゆき)
15.KANSAS CITY
16.ラヴ・マイナス・ゼロ
17.25時の追跡
18.ダイナマイトが150屯(w吉川晃司)
19.漂泊者(アウトロー)(w吉川晃司)
20.ポップコーンをほおばって
21.悪いうわさ
そして、22曲目。パーティーの最後は「破れたハートを売り物に」である。
甲斐や松藤のヴォーカルが別れを惜しむファンに降り注ぐ。
あの雲を はらい落とし
長い嵐 二人のり越えて
つきるまで 泣いたら涙ふきな
お前と行きたい 一人ぼっちじゃいたくない
破れたハートを売り物にして
愛にうえながら 一人さまよってる
破れたハートを売り物にして
うかれた街角で さまよいうたってる
燃えるよな 赤い帆を上げ海を
お前をだいて 渡ってゆきたい
生きることを 素晴らしいと思いたい
お前と行きたい 一人ぼっちはいやだ
悲しみやわらげ 痛み鎮める
終わることのない雨のような 愛で包みたい
雨の日も あー風の日も
俺の愛は お前のものだから
破れたハートを売り物にして
愛にうえながら 一人さまよってる
破れたハートを売り物にして
うかれた街角で さまよいうたってる
この歌を最後に甲斐バンドは活動に終止符をうった。僕はこの歌を会場で聴きながら、改めて甲斐バンドの生きざまが集約された歌であると感じ、涙でかすむステージの4人がぼやけた。
その後の再結成や再活動、大森信和の死など様々な出来事がこの34年間にあったが、あの日・・・1986年6月29日の黒澤スタジオには傷ついた翼を休める甲斐バンドの最後のシーンがあり、それは横並びのマイクで4人が歌う“破れたハートを売り物に”に集約されていた。最後のリフレインではカーテンコールのように甲斐バンドを支えたそのスタッフが舞台で歌う4人に薔薇の花を投げ入れた。
いくつもいくつも、それは薔薇の花の雨が彼らを濡らしていた。スタッフも心底パーティーを楽しんでいた。
ひとつの区切りとしての1986年のファイナル・コンサート・ツアー。そして、その後に位置付けられた<SPECIAL LAST NIGHT>-PARTY-は、本当に甲斐バンドメンバーが楽しみ、スタッフを慰労する空間であった。
人気絶頂期のロックバンドが解散することもニュースであるが、その翼のたたみ方まで提示した稀有なイベントだったのではないだろうか。
甲斐バンド
甲斐よしひろ・・・Vocals, Guitar, Harmonica
大森信和 ・・・Guitar, Vocals
松藤英男 ・・・Drums, Guitar, Vocals
田中一郎 ・・・Guitar, Vocals, Bass Guitar
サポートミュージシャン
Drums 上原ユカリ
Keyboard 上綱克彦、竹田元
Saxophones 徳広ユタカ
Percussions マック清水
Bass Guitar 岡沢茂
Guest 中島みゆき、吉川晃司
2021年6月29日
花形