『バンドワゴン』 鈴木 茂
僕の中学時代のギター仲間は、ツェッペリン派かパープル派に別れ、いかに速く弾くことが出来るかに焦点を置いていた。ゲイリー・ムーアもマイケル・シェンカーも新人だった。だから、キッスやエアロのコピーなんか出来ようものなら、新時代を掴んだやつとしてみんなから崇められた。だってクィーンやイーグルスやドゥービーのギターなんてかったるいものとして判断されていたし、ましてや日本のロックなんて話題にも上らなかった。
そんな中、僕は彼らの中で話を合わせつつ、窮屈な気分だった。そりゃ、リッチーやジミーがすごいことは認めるけど、みんなが横並びで同じ感覚になっていることに違和感を覚えてしまった。みんなの話は、ギターが速く弾くことが出来る=上手い、という図式である。じゃあ僕の好きなギタリストはみんな下手くそになってしまう。
ロビー・ロバートソン(ザ・バンド)やスティーブン・スティルス(CS&N)はどうすりゃいいんだ。ポール・コゾフ(フリー)やロリー・ギャラガーだって・・・。
でもみんなはそんなギタリストは知らないと言うし、良さも理解できないだろう。だから、僕は当時好きなギタリストはどっちだ、聞かれたときはリッチーでもジミーでもなく、アコギの帝王である石川鷹彦と答えていた。ジャンルが違うのだ。みんな目を丸くしていた。でも本当は鈴木茂だったんだけどね。
我ながら、ひねくれている。
鈴木茂のクリーンな音とメロディアスな旋律が大好きだった。はっぴいえんどもいいけど、彼のセッションワークが無性に好きだった。コンプレッサーを思いっきりかけて、ストラトから繊細な音が飛び出すと、たちまち茂ワールドになってしまう。スライドギターもローウェル・ジョージばりに突っ込んでくる。例えそれが荒井由実や吉田美奈子、アグネス・チャンだとしても茂ワールドにしてしまう。決して速く弾くわけでもなく、思い切り主張するわけでもない。アンサンブルに命をかけたギターである。
『バンドワゴン』(1975)ははっぴいえんどを解散し、キャラメル・ママやティン・パン・アレイで活動していた時に単身渡米し作り上げてきたソロアルバムである。詞は松本隆に一任し、曲は茂が書き上げた。ロスに単身で渡ったが、オーダーしていたミュージシャンは1人もブッキングできていない有様。コーディネーターのツテでサン・フランシスコに飛び、即席に組んだバンドでリハを続けた(あのデビッド・ガリバルディですよ)。何曲かレコーディングしているうちに連絡が入り、ロスに戻るとツアーから帰ってきたリトル・フィートの面々とレコーディングができることに。1975年の時点での西海岸最高のメンバーが集まった。そんな偶然が重なって完成した名盤である。
但し、難もある。茂のヴォーカルははっきり言えば弱い。線が細いし、声量があるわけでもない。雰囲気で表現する部分も大きい。歌唱法は大滝詠一からの影響が見られるが、もともと歌を歌っていたわけではないので、はっぴいえんどとは切り離せない部分があるのかもしれない。
茂のギターは運指の正確さにあると思う。間近で彼の指を見るとごまかしの指使いは無く、正確にピッキングしていることがわかる。それが出来ないと、おいそれとコンプはかけられないものだ。加えてスライドギターの妙技も彼の特徴である。その魅力が『バンドワゴン』にはたっぷり含まれている。
『バンドワゴン』発表後ハックルバックを結成し、バンド活動を行うが、歌の弱さやバンドの評価が低く、アルバムを発表することも無く解散状態になる。日本のロックが成熟していないこともひとつの要因である。ソロとしてセカンドアルバムやサードアルバムを発表していたが、アレンジに妙に凝ってみたり、中途半端に歌に専念してみたりと今一の出来であった。そんな時、アントニオ・カルロス・ジョビンに傾倒し、ボサノバに目覚めた。『テレスコープ』(1978)はそれが実を結んだ作品で、非常にレイドバックした出来になっている。
ギタリストに速弾きを求める中学時代に、茂が好きとはいえなかったが、歌を活かすギタリスとして僕は大好きだった。最近の彼のライブを見ているとまた、歌い始めているようだ。盟友の佐藤博や田中章弘と「砂の女」や「100ワットの恋人」なんかを演奏しているのを見ると、中学時代に友達に隠れて聴いていた頃を思い出す。
2005年11月11日
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