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『Hallelujah(ハレルヤ)』 NOKKO

 一昔前の女性ロッカーのお手本は、大抵がジャニス・ジョップリンなんだよね。他にも良いシンガーはたくさんいるのに、みんなジャニスジャニスって馬鹿の一つ覚えのように唱えていたのよ。それはジャニスの生き方も含めての話なんだろうけど、シャウト系のヴォーカルがそれまでのロック界にいなかったということだけかもしれないな。その点、SHOW-YAの寺田恵子は堂々とカルメン・マキの名前をあげたよね。UAはパティ・スミスの名をあげてたっけ。もうそろそろジャニスの亡霊から解き放たれる頃なのかもね。で、レベッカのNOKKOの話なんだけど、NOKKOっていったら、マドンナでしょう。

 マドンナは1980年代のセックスシンボルといっても過言ではないよね。マドンナは音楽もさることながら、ビジュアルを強化し、MTV時代の真ん中にピンポイントでマッチしたことがブレイクの要因と言われているよね。これも時代を掴む才能なんだろうさ。女、もしくは女の子を全面に打ち出した作品とあのセクシーな踊りは、今のジェニファー・ロペスやブリトニー・スピアーズに多大な影響を与えたに違いない。
 ジェニファーらが子供の頃に日常的に流れるMTVのマドンナを見て情報が刷り込まれ、いつしかそれが憧れに変わるなんて事は容易に想像がつくわな。そんなマドンナの影響をもろに受けた日本のバンドがレベッカで、ま、これは仕掛けた部分も大いにあるんだろうけど、マドンナとシンクロしたポップさはレベッカの特長であると同時に、短所にもなったね。だってマドンナの「パパ・ドント・プリーチ」とレベッカの「ムーン」の違いを誰か説明できるやつがいるかい?

 レベッカは埼玉出身のバンド。山田のぶ子さん(のぶ子だからNOKKO)は、浦和の山田電機商会の娘で、地元のライヴハウスでデビューを夢見てバンド活動をしていた。レッド・ウォーリアーズのギタリスト小暮武彦が在籍しており、NOKKOとはステディな関係だったようだ。しかし、プロデビューの話が舞い込んだ時、NOKKOを中心に大々的に売り出すため小暮ははじき出されてしまう。ああ、哀しいプロの世界。(引き離された2人は相当後で結婚したんじゃなかったっけ。えっ?離婚した?あ、そう。)
 ブレイクしたレベッカは手がつけられないくらい売れた。日本の1980年代のガールポップを牽引し、プリンセス・プリンセスにバトンを渡すまでとにかく売れたのよ。その頃のアマチュア・バンドの女の子は歌い方がみんなNOKKOになってて、ちょっと気持ち悪かった。誰もがジャラジャラとアクセサリーを身にまとい、とにかく元気いっぱいに歌う。ハイを強調して歌えば、みんなNOKKOになれた(現在でいえば、ちょっとバカっぽくチャイルディッシュに歌うとみんなジュディマリのYUKIになるのと一緒だね)。
 レベッカが火をつけたことで一大ビートバンドブームが起き、ボウイ、バービーボーイズ、TMネットワーク、エコーズ、レピッシュ、ラフィン・ノーズなどが竹の子の様に出てきた。“イカ天”ブレイクのちょっと前の話だけど、逆にこのビートバンドブームがあの番組のきっかけになったかもしんないね。だってこの頃のバンドを見ると“イカ天”のバンドは、小粒という気がするもんな。
 NOKKOだけど、レベッカを解散してその後出したソロアルバム、これがいいのよ。

 1992年の作品だけど、クラブミュージックを先取りしているというか、打ち込みバリバリなんだけど無機質なリズムやシンセを50回位かぶせたようなバッキングの上をNOKKOの気合の入ったヴォーカルが浮遊している。これがなぜか気持ちよい。『ハレルヤ』(1992)はそんな作品だ。今聴いても古臭く感じないのは、バッキングの音よりもNOKKOのヴォーカルが強く押し出されているので、クラブミュージックにありがちな環境音楽になっていないことかもしれない。MUTE BEAT、ソウルIIソウル、シンプリー・レッド等、多くのユニットに参加してきたサウンド・クリエイターとして屋敷豪太をプロデューサーに迎えているから間違いはないよ。そういえば、学生服のロックギター小僧・鈴木賢司も参加。懐かしい!

屋敷豪太

2005年12月15日
花形

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