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輸入ギターについて

学生時代に購入した海外ブランドのギターについて2012年に書いてるブログ。
2023年8月27日

 僕の高校時代の話。
 友達が初めて輸入ギターを手にしたとき、彼はみんなの羨望の的であった。”フェンダー”や”ギブソン””マーチン”というブランドはギターを手にしたことある人なら、誰でも一度は聞いたことがある名前だろう。その”フェンダー”を友達のW君が手にした。フェンダーのムスタング。チャーが大好きだった彼の選択に、みんなは納得した。でもムスタングがどれだけ扱いづらいギターかどうかなんて、みんな知らなかった。当時日本で買えるフェンダーで一番安いギターがムスタングだったことも付け加えておこう。
 U君はお父さんの海外出張をいいことに、お土産にフェンダーのテレキャスター・ベースを買ってきてもらった。テレキャスター・ベースって結構マニアな選択だが、お父さんは向こうの楽器屋で最初に目についたベースを買ったらしい。
 I君は夏休みの肉体労働のアルバイトでギブソンJ-45というアコースティック・ギターを手にした。
1978年製の新品。拓郎の『明日に向かって走れ』(1976)のカバージャケットに写るギターに一目ぼれしてしまったらしいが、拓郎のそれは1967年製で、いわゆる”肩落ち”と呼ばれるモデル。I君のそれはスクエアーボディのモデルなので見た目で微妙に違っていた(J-45DXというモデル)。I君はそのことをみんなに指摘されると、悲しい目でギブソンを見ていた。でもみんな、海外ブランドに憧れて、骨身を削って手に入れたのだ。
 70年代の後期は楽器メーカーが大量生産に拍車がかかった時期で、昔の楽器を知っている人から言わせると粗悪なものもかなり流通されたようだ。良質な木材の枯渇と作り手の技術低下が原因といわれ、80年代入るとどのメーカーも売上は落ち込んでいった。日本のメーカーも同様で、グレコもヤマハも独自路線を打ち出そうと必死だった。そして、フェンダーが”フェンダー・ジャパン”を設立したのも1980年代の初頭だった。
 僕はフェンダー・ジャパンに対し、非常に違和感を覚えた。“所詮グレコでしょ?”みたいな雰囲気が漂い、“まがいもん”を見る感じだった。但し、”Fender”というロゴの威光は大きいものがあり、僕の友達が昔、苦労してゲットしたフェンダーを安価で手に入れてしまう若いやつらに対し、ストレンジな気分にさせられた。だから、僕はフェンダーを買おうという気になれなかった。迷わずギブソンのビンテージに手を出した。どうせ高い金を出して買うなら、納得した良いやつが欲しかったからだ。

 ギターの人気はその時に活躍していたアーティストに左右される。70年代初頭、フェンダー・ストラトキャスターはゴミのような扱いをされていたが、クラプトンがストラトのビンテージ、ジミヘンが当時の新品を使うことにより、人気が復活した。ジミー・ペイジがギブソン・レスポール・モデルを弾いたことで、レスポール・モデルの売上が世界中で上がった。サンタナはポール・リード・スミス社との提携で、サンタナ・モデルを発表。ポール・リード・スミスの名前を世界的に一気に押し上げていった。
 僕は単純な人間なので、プロが使っているブランドだからきっといい音がするのだろう、と思っていたが、どうも違うことが最近になってわかった。特にエレキギターはアンプとの相性もあるので、一概には言えないが、アコースティック・ギターはブランド至上主義ではないということだ。但し、アコースティック・ギターは個体差が激しく、同じブランドの同じモデルでも音が違うことが多々ある。1流ブランドの良いところは、個体差があまり無く、そのブランドの音が均一に表現できることだ、と以前楽器屋の店主から聞いた。マーチンの音、ギブソンの音、ヤマハの音といった具合に。しかしただそれだけで、それ以上でもそれ以下でもないということ。そういえば、僕のマーチンもそれなりに聞こえるし、CDと合わせて弾くと、同じ音が出てくることがある。そんな時は幸せな気分になる。そんなものだ。
 そういえば、日本のアコースティック・ギタリストの第一人者の石川鷹彦は70年代の数々の名曲をマーチンD18で弾きたおしたらしい。そんな話を聴いて、D18を弾いてみると、本当に当時の音が出ている気になる。僕の高校時代の友達はマーチンD28を購入し、一生懸命かぐや姫をコピーしていたが、“音がしっくりこない”と当時嘆いていた。でもそれはD18とD28の違いであって、音の違いは歴然としており”しっくりくる”はずがなかったのである。当り前の話だ。

 さて、僕が輸入ギターを最初に手にしたのは、ギブソンのSGスタンダードだった。丁度大学1年の秋である。当時、僕はまともなエレキギターを持っていなかった。高校時代にクラスメートからもらったテレキャスターは改造しまくりでピッチが合わない状態だったし、大学の先輩から3万円で買ったヤマハのセミアコはソリッドギターではないので、音作りが難しくいつもアンプをハウリングさせていた。そしてバンド活動も激化し、しっくりくるエレキギターを探していた。
 1985年のエレキギター市場は、アクティブ・ピックアップが流通し、EMGが幅を利かせ始めた。フェンダーやギブソンはその流れについていけず、良質な木材の枯渇や販売低下により評判は最悪だった。確かフェンダーもギブソンもどこかの会社に買収されたんじゃなかったっけ。そういう意味で、僕は新品に目が行かなかったのかもしれない。
 楽器屋のガラスケースに展示されたヴィンテージギターは、燦然と光を放っていた。
 ギブソン・レスポール、フェンダー・ストラトキャスター、フェンダー・テレキャスター・・・。どれも一長一短あるが、目が飛び出るくらい高価だった。10万以上する楽器を買うことは、一大決心が要る。しかも学生の身分で、だ。
 そんな時、いろいろと雑誌を見ていく中で、あるギターの存在が僕の中にクローズアップされた。
ギブソンのSGモデルである。ブルーズ系のギタリストが好んで使っていたギターで、クワガタ虫のようなシェイプもヤマハのSGと比べ男らしく、異彩を放っていた。しかし巷の人気は高中正義の影響もあり、ヤマハSGの方が人気があった。でも僕はヤマハのSGは・・・?。
推測だが、レスポールのコピーモデルをどの国産メーカーも製造していたが、グレコのEGシリーズがダントツに売上を伸ばしていて、追随するメーカーは独自性を打ち出さなければならなかった。トーカイやナビゲーターはリアル・レスポールを追求し、価格は上がっても良質なコピーモデル(?)を製作していた。そんな中、ヤマハは中途半端な位置にあり、売上が伸びなかった。ストラトのコピーを作ってもいまいち。ヤマハはオリジナルモデルを開発せざるを得なかったのではないか。
それで、Sシリーズである。SA、SB、SE、SF、SGなど・・・。SGは乱暴な見方をすると、70年代にレスポールのコピーモデルの余剰在庫になったボディを見て製作者が、カッタウェイを両方向から施して出来た偶然の産物ではないだろうかと思わせるくらいレスポールに似ている。それまでのヤマハのオリジナルギターは驚くほど貧弱なダブルカッタウェイのソリッドモデルが存在しているくらいでコレといったオリジナルモデルは無かったからだ。でも、これが大ヒット。世の中わからんもんだ。サンタナも弁天様がレリックされたSGを弾きまくってたな。サンタナは好きだったがレスポールの出来損ないのようなヤマハSGはどうも好きになれなかった。

 ギブソンSGは当初ギブソン・レスポールモデル・SGと呼ばれていた。しかしあまりにも形状が変わりすぎていたことにレス・ポールが腹を立て、パテントの使用を禁止したとか、しないとか。ギブソンからレスポールモデルが無くなるのだ(レス・ポールが自分の名前をモデル名として改めて付けていいと承諾するには1968年まで待たなければならない)。つまり今までのレスポール・モデルの人気が根強い為、同じ名前を付けられないないだろう、ということでレスポール・モデルの言葉が消え、SGになった歴史がある。
 ギブソンSGは、薄いマホガニーボディにピックアップが乗っているだけなので軽い音という印象があるが、結構太い音も出るのでリズムもリードも取らなければならなかった僕のようなギタリストは好都合だった。しかもあまり使っている人がいないことも選択のひとつだ。
 当時良く通っていたイシバシ楽器渋谷店に、SGは3台展示されていた。60年代が2台と70年代が1台。3台全て弾いてみたら、その中で1965年製の1本が抜群のコンディションだった。デラックス・バイブローラー(板バネ式のトレモロアーム)も装着されており、見栄えも良い!但し、金額が・・・。3日悩んで購入を決めた。当時のバンドリーダーも「ギブソンのSGは目立つよ!買いだよ!」と言っていたし・・・。
 25万円の上代に金利が5万円ついて30万円のローンを30回払いで組んだ。月々1万円の支払いならば、アルバイトで何とかできると思ったからだ。20歳も過ぎていたので親の承諾も無く、ローンも組めた。親の名前は保証人欄に記入するだけだった。
 喜び勇んで学校に持って行き、バンドメンバーに見せた。みんな声を上げたが、リーダーは「薄いボディだなぁ・・・。ベニア板みたい!」と感想を漏らした。・・・そういう人だった、そういえば…。

 僕はSGをメインギターとし、活動を始めた。その後、ボディバランスの悪さや、アームの利きの問題でESP製のストラトを購入するが、今でもSGは自分のメインギターだと思っている。クラプトンもサンタナもミックもデュアンもフランクもトッドもみんなSGだった。古いギタリストばかりだけど、ガリッとしたトレブルの効いた音は、レスポールでもストラトでも出せる音ではない。また、ハイポジションでの弾きやすさは、どのモデルの追随を許さない。
 最近はめっきり手にすることが無くなってしまったギターだが、たまに鳴らしてやると枯れた音を奏でてくれる。ガリも出ずに、41年選手である。つまり僕と同い年。バースイヤーということも購入の決め手になったことは言うまでも無い。一緒に年をとっているギターである。大学を卒業する間際に、ローンの支払いは無事終了した。僕は延滞も無く払っていたので、何の気なしに過ごしていたら、オフクロが目を三角にしてやってきた。
「あなた、何の了解もなしにお父さんを保証人にしたでしょ!あんな高価なギター買っちゃって!」
「えっ?ああ、あれ全て支払ったよ・・・。」
「支払ったから完済証明が来たんじゃないの!そんなことより、他に保証人にしていることは無いでしょうね!」
「ああ、無いよ。」
実はESPのストラトもローンで購入したが、2回払いにしたので保証人欄の記入は求められなかっただけなのだ。
保証人の重大さは、今は十分わかっているが、当時は何の意識も無く使っていた。今考えると恐ろしい。まずは自分の娘に保証人のことを教えよう。親子の血は争えないというし・・・。
 今、僕が持っている輸入ギターは5本。だいぶ日本の気候にも慣れ、安定してきている。
 特にアコースティック・ギターはメンテに気を使う。日本の湿気と冬の乾燥がギターの大敵である。古いギターはウェザーチェックが直ぐ入ってしまうが、気に留めていたら所有すらできないので放っておいている。ビンテージと言われても弾いてナンボの世界。つらく当たっちゃいけないが、甘やかしてもいけないのがギターである。ま、子供みたいなものだ。 

2005年11月8日
花形

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