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泉谷しげるは歌手

75歳。
今も元気に単独弾き語りライブを日本中で行なっている。
一時は俳優業やイラストレーター、映画監督、テレビのコメンテーターなど多才な面を見せていたが、最近はライブに戻りつつある。
テレビで歌う泉谷を観たウチの娘は
「泉谷しげるって歌も歌うんだ…」と言った時、泉谷ファンの家内が烈火の如く怒ったのには笑った。
とにかく元気なジジイ。
2023年11月12日


 泉谷しげるは、RCサクセションや古井戸のファンだった。渋谷のライブハウス「青い森」で彼らを見ていた観客の一人だった。いつしか泉谷はギター片手に弾き語りを始め、破天荒なライブが話題を呼び、エレックレコードから『泉谷しげる登場』(1971)でアルバムデビューを果たす。
デビュー盤がライブ盤というのも、いかに泉谷のライブが熱狂的だったかが伺われる。
その後、エレックから4枚の名盤を残す。本当にどれも名盤だ。初期の名曲として名高い「春夏秋冬」「黒いカバン」を収録した『春・夏・秋・冬』(1972)。『地球はお祭りさわぎ』(1972)は、「初恋純情篇」「終りをつげる」といったフォーク色の強い名曲を収録。サディスティック・ミカ・バンドがバッキングを勤めた『光と影』(1973)は「春のからっ風」「おー脳!」などを収録。イエロー、ラストシーンがバックを勤めた『黄金狂時代』(1974)は「眠れない夜」「Dのロック」「国旗はためく下に」「火の鳥」などロック色が強い作品が多くなっていった。

フォーライフレコード設立

 1975年、泉谷、陽水、小室、拓郎がフォーライフレコードを設立した。ミュージシャンが既成の概念にとらわれることなく、納得のいく音楽作りを目指したレコード会社の設立だった。フォーライフの第一弾は泉谷の『ライブ!!泉谷・王様達の夜』(1975)で、泉谷はレコード会社を変えても第一弾がライブ盤だった。エレック時代の集大成といえるライブで、バックのイエローやラストショーとの息もピッタリ合い、これもまた名盤の声が高い。
 その後、サウス・トウ・サウスや拓郎の参加で話題を呼んだ『家族』(1976)、単身渡米しLAの有名なライブハウス「トルバドール」で全曲日本語で通した『イーストからの熱い風』(1976)、ポップとパンクな要素が混在した『光石の巨人』(1977)と発表していったが、作品ごとに精彩を欠く結果になっていったことは誰の目にも明らかだった。既成にとらわれること無いはずの音楽作りが、自らが役員になっていることで実は一番保守的にならざるを得ないことがわかり、泉谷は窮屈さを感じフォーライフを飛び出してしまう。
 西海岸のアーティスト(J・D・サウザー・・・)との親交もあり、ワーナーパイオニアのアサイラム・レーベルに移籍した時はみんなひっくり返った。アサイラムといったら、イーグルスやリンダ・ロンシュタットのレーベルだからだ。そしてそのレーベルから放ったアルバムが『‘80のバラッド』(1978)である。泉谷が来るべき80年代を睨んで作り上げた珠玉の名盤である。プロデューサーは加藤和彦。グアム島でレコーディング。とにかく、詞が冴えまくっている。いらいらしていた塊を吐き出すかのような詞は、当時の生ぬるいニューミュージックブームに一撃をくらわした。
何がハンド・イン・ハンドだ! 人間最後は独りだ! あーいらつくぜ! 
そんなことより とびきりの女に会いに行こう!と、叫んではみたが、販売には直接結びつかなかった。

80のバラッド

 1年前の『光石の巨人』を出した頃のツアーで尖がるだけ尖がっちゃったから、ファンがついていけなくなってしまった、というのが実情のようだ。
加えて、TVドラマや映画に俳優として出始めた頃で、歌手としての認識も薄れていってしまった。「ガロ」で漫画を描いていたり、「野生時代」の表紙も1年位描いていたんだよな、確か。
 ワーナーからポリドールに移籍し、泉谷はどんどん時勢に対する作品を残すようになる。
『NEWS』(1982)『39.8℃』(1983)『ELEVATOR』(1984)など時代を切り取る作品だ。この頃のコンサートはライブハウス中心になっていた。
 忘れられないバックメンバーは、石田長生(G)率いるヴォイス&リズム。泉谷と石やんの個性のぶつかり合いが面白かった。また、エキゾチックス(ジュリーのバックバンド)のベーシスト・吉田健が、BOOWYが売れる前の布袋寅奏と組み(1985年初頭)180センチを超える長身の2人に挟まれて、捕らえられた宇宙人状態の泉谷には笑ったが、出てくるサウンドは最高に尖がっていた。

 1988年、村上秀一や下山淳らとTHE LOSERを結成し『吠えるバラッド』(1988)を発表。表舞台に再び戻ってきた。レコード会社もビクターに移籍した。そしてその後の活躍は承知の通り。チャリティー・ライブや俳優業など「いい人キャラ」で世間に浸透している。
 泉谷は根っからのフォークソング好きで、弾き語りでよく古いフォークソングを歌う。そんな時の泉谷はエレック時代を髣髴させる歌声となる。懐かしむように優しく歌う。泉谷の音楽は日本の音楽史にダブルことがある。その時代の音を敏感に取り入れ、泉谷は作品化していくことが特徴だからだ。流行に流されると書いてしまえばそれまでだが、流行に敏感だからこそ怒っていられると思う。
 常に怒っている魅力的な泉谷だが、あの優しい歌声を知っている人だったら、素直に入ってくる気がする。


2005年7月21日
花形

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