ブラジルで聞いた「ラヴ・オブ・マイ・ライフ」
私は1991年12月に結婚し、新婚旅行はブラジルに行きました。
当時、日本ではまだJリーグも発足されておらず、ブラジルが今ほど身近な国ではありませんでした。
せいぜいF1のアイルトン・セナが有名で、一般的にはコーヒーの産地とかプロレスのアントニオ猪木が幼少の頃、移民として渡った国、という印象。また、「未来世紀ブラジル」なんてSF映画もあり、果てしなく遠く、本当に地球の裏側はあるんだね、なんて印象でありました。
では何故ブラジルを選んだのか。
それは、家内の一言です。
リオに行きたい。サンバを見たい。解放的な国に触れてみたい。という単純なもの。
そして、どうせ行くなら日本人がいない場所に行きたいと・・・。
ブラジルは日系の人も暮らす国なので日系2世の多いサンパウロは選ばず、リオ・デ・ジャネイロとアマゾン川の中域に位置する都市マナウスの2都市を選択しました。
リオは、コパカバーナビーチやコルコバードの丘(キリストの巨大な像)、サッカーの聖地マラカナンスタジアムなどがあり、どこを訪ねても日本人の若い男女が来たということで珍しがられました。
マナウスはリオから国内線で4時間ほど北上します。アマゾネス州に属し、アマゾンのジャングルの中に位置する都市で19世紀には天然ゴムやジュート、コーヒー豆で栄えました。スペインやポルトガルからの移民が多く、市街地にはコロニアル設計の建物が並びます。そして、ここがジャングルの中にあるということを忘れさせるくらい近代的な都市でした。
その中のホテル、トロピカル・マナウスでの出来事。
トロピカル・マナウスはマナウスの中で一番高級なホテルで、5つ星のホテルです。
宿泊客も欧米からのリゾート客が占めており、年齢もリタイヤした老夫婦やビジネスで成功を収めた人といった感じの方が多く、私たちのような東洋の20代のカップルがいる場所ではありませんでした。しかし、物珍しげに接してくる彼らと話しているうちに打ち解けて来て、すぐに和やかな雰囲気になりました。こういったところもラテン系の良いところかもしれません。
ディナーはプールサイドでした。
ブラジルの美味しい肉を使った料理と強力なアルコール度数のピンガというラム酒で気分も良くなります。BGMはクラッシックギターの生演奏。とても落ち着いた雰囲気でありました。
年老いたギタリストはなにやら言葉を発し、ある曲を演奏し始めました。
クイーンの「LOVE OF MY LIFE」です。
静かなイントロから徐々に盛り上がる曲の構成。いつの間にか、私は口ずさんでいました。
そして、周りを見ると他の客も歌い始めているではありませんか。歌詞カードなど配られていないのに。
そのうち給仕しているウェイターやウェイトレスも呟くように歌っているのがわかりました。
クイーンは南米で大人気のグループです。特にフレディー・マーキュリーは南米人の好みの顔だそうで、短髪に髭、姿勢が良く、マッチョな姿で歌が上手いときたら100点満点の男なわけです。
そして、その日は、フレディーが亡くなって1ヶ月後のクリスマスの日だったのです。
ギタリストは続けて「SOMEBODY TO LOVE」を情熱的に弾いています。
神に祈る人、涙声で歌う人・・・
ポルトガル語で話していたので、正確なことはわかりませんが、フレディーを亡くした悲しみと追悼の意を表現していたと思います。
とても感動的なディナーでありました。
食事を終え、私はギタリストに歩み寄り
“It’s a good performance! I love QUEEN.”と笑顔で伝えると、
ギタリストはしわくちゃの笑顔でうなずきながら、
“Another One Bites the Dust”(地獄へ道連れ)のリフを弾いてくれました。
私は笑いながら天を指し、
“Another One Bites the Heaven”と歌ったら大笑いしていました。
南十字星が光り、フレディーが亡くなったことを実感した夜でありました。
2018/12/14
花形
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