『明日に架ける橋』 サイモン&ガーファンクル
2人は学生時代から音楽活動を行い、「トム&ジェリー」というポップスデュオを組んだ。レコードデビューは1957年のことだった。そこそこのヒット曲に恵まれたが、所属レコード会社の倒産と大学へ進学する理由により「トム&ジェリー」を解散したが、ポール・サイモンは類希なる作曲の力で再びレコード契約を最大手のコロンビアレコードと取り付けてしまう。当然、再びアート・ガーファンクルを誘い、1964年サイモン&ガーファンクルが結成された。
全世界がビートルズやプレスリーに騒ぎ、若者はアートロックと呼ばれるサブカルチャーなサイケデリック・ロックに狂い始めた頃、サイモン&ガーファンクルは静かな音の流れの中に強い意志を持った作品を発表し、多くの支持を得た。そして、リベラルなイメージの2人だったので年配層から支持を得ていたと思われがちだが、ベトナム戦争へ向かう若者たちが戦争への恐怖からの「よりどころ」として彼らの音楽を必要としたことも事実だった。
ポール・サイモンとアート・ガーファンクルが"あ・うん"の呼吸で発する叙情的なヴォーカル&ハーモニー、ナチュラルに響く美しいメロディが溶け合い、澄み渡った音世界を創り出し『ブックエンド』(1968)では全米1位を獲得した。そして、1970年に発表されたサイモン&ガーファンクル最後のオリジナル・アルバム『明日に架ける橋』は、グラミーで3部門制覇という快挙を達成した最高傑作となった。
このアルバムは全米チャート10週連続1位、全米だけで500万枚以上の販売が記録された。
1曲目のタイトルソング「明日にかける橋」で歌う内容は、
“どんな困難に君が陥ったとしても、僕は君を助けるよ。濁流に飲み込まれることの無いように荒れ狂う川にかかる橋となって君を助けるよ”
友情や連帯について歌い上げた名曲は数多くあるが、ベトナム戦争にマッチしたタイムリーな歌として、戦場の若者の多くがこの歌を励みにしたという。
前作の『ブックエンド』で歌う「アメリカ」では、アメリカ賛歌として捉えられていたが、実は希望の歌ではなく懐疑的な内容であった。1973年のポール・サイモンのソロアルバム『ひとりごと』に収録されている「アメリカの歌」は、現地ではアメリカの第二国歌的な扱いを受けているらしいが、内容はシニカルで“かつてのように夢がすべて実現するアメリカではなく、マイナス要因を抱えたアメリカに対する、ささやかな警告”を歌っているのだ。“友に裏切られて、立ちすくむ。最後は自分が決める道であり、後悔せずに歩いていくしかない”と結ぶ。その強さがアメリカの強さなのか、と考えてしまう。
『明日に架ける橋』を今聴いて思うことは、『ブックエンド』と『ひとりごと』に挟まれて発表された形になった「明日に架ける橋」を単純にラブソングとして聴くことができるか、ということだ。
アルバム発表後ほどなくして、お互いのソロ活動が活発化していき、自然消滅のような形でデュオは解消。ポールはラブソングとも取れる「明日に架ける橋」をアート・ガーファンクルに贈った歌とも言われている。それは、ビートルズのポールが「ゲット・バック」をメンバーにあてた時と同じ様に・・・。
アルバムを聴きながらの感想は、歌の持つ役割を「絶望」とせず、「希望を持たせる」役割とし、自分への「戒めとしての忠告」の意味も備えることで「明日に架ける橋」は成立していると再認識した。それは、“アメリカ人が思う自国への希望の歌”としてポールは考えたのかもしれない。
ただし、事実として残ったことは、
“サイモン&ガーファンクルは、2人揃って70年代の橋を渡ることができなかった”ということだ。
2005年7月29日
花形
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