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映画 「タイム・リメンバード」 ビル・エヴァンス

 私はピアノが弾けない。これは、音楽を嗜好する私にとって長年のコンプレックスである。エレクトーンは10年以上も続け、それなりにできるようになったが、同じ鍵盤楽器でもピアノとエレクトーンは全然違う。エレクトーンを始めた7歳の頃の自分に戻れるなら、エレクトーンではなく、ピアノを・・・と今なら言うだろう。
ビル・エヴァンスのようなピアノを聴くと尚更その想いが募る。
 ビルのタッチは絶対に電子音楽では表現できないものであるし、その丁寧な旋律や奏法など彼独自の世界がピアノから満ち溢れてくる。
当然ビル・エヴァンスのように弾くことはできないが、少しでもピアノに触れていれば、彼に近づきたいという念が出てくるのは自然ではないだろうか。

 横浜の小さな映画館でビル・エヴァンスの映画「タイム・リメンバード」(2015)を観覧した。ビル・エヴァンスの日常と音楽観を多くの証言と彼自身のインタビュー(生声)を元に編集したドキュメンタリー映画である。
 演奏シーンも断片的にではあるが、数多く収録されており、時代からしても全体的にモノクロ画像が多い中、編集の妙で全然飽きることなく最後まで画面に釘付けになった。
ビル・エヴァンスのピアノプレイに全てが語りつくされている、そんな作品だ。
 映画のキャッチコピーは、

「美と真実だけを追究し、他は忘れろ」

「時間をかけた自殺」とも言われた“ジャズピアノ
の詩人”51年の人生と魂の音楽。

言葉が出ない・・・このキャッチコピーに全て言い尽くされているからだ。
この映画は、ビルの生き様そのものだ。
 私はマイルスの『カインド・オブ・ブルー』(1959)で初めてビル・エヴァンスを知った。このアルバムは、それまでのビバップのジャズから進化したモード奏法への変換点となったアルバムとして評価も高い。コード(和音)ではなくモード(旋法)による音の構築。簡単に言うと全体的に落ち着きも盛り上がりも無く、どこか浮遊している音楽がモード・ジャズを表現するに適していると思うのだが、ビル・エヴァンスのピアノがまさにそれだった。

 私はこの作品を初めて聴いたのが、アルバム発表から20年以上も経っている1980年。世の中はテクノミュージック全盛で、音の粒がどこかギスギスしており、アナログサウンドからデジタルに移行し始めた頃だったので、音楽そのものが音の洪水状態に陥っていた。
そんな時、そういう騒がしい音楽の中でもピアノの音だけは反比例するかのようにシンプルに聴こえてくることがたまにあり、そのことについてピアノを弾く友人に聞いたことがあった。
「この作品でキーボードを弾いている人はビル・エヴァンスに影響を受けたプレイヤーじゃないか?」
なるほど、坂本龍一はビル・エヴァンスをフェイバリット・プレイヤーにあげているし、ビル・エヴァンスは、ピアノプレイヤーなら意識する存在なのだな、ということをその時初めて知った次第だ。そうなるとマイルスのアルバムよりビル・エヴァンスを聴き漁る日々となり、ジャズの何たるかなどは無視し、彼の多様な音楽性、特にポール・モチアン(ドラム)とスコット・ラファロ(ベース)とのトリオアルバムは外れがないことを知ることになる。
そして突然すぎるお別れ。

 1980年9月15日に肝硬変で死去。
出会ったばかりでいきなりいなくなってしまった喪失感。ちなみにその10日後にはレッド・ツェッペリンのジョン・ボーナムも突然の鬼籍入り。
とにかくビル・エヴァンスの物悲しい旋律が妙に響く秋となった。

 映画は本当に良くできた作品だ。
インタビューに応えるミュージシャンや親族などみんなビル・エヴァンスが好きで好きでたまらないという印象。
「彼は自分の音をもっている」
「朝、目覚めたらすぐにピアノに向かって弾き始めるんだ」
「彼は兄を慕っていたし、兄も弟のビルを守っていた・・・」
「マイルスのバンドは黒人ばかりだ。そんな中に白人のビルだけが入ってジャズプレイをすることの大変さ・・・相当辛い思いをしたんじゃないか・・・客が何故白人がいるんだ!って怒る。俺たちはマイルスが選んだんだよ・・・っていうと黙ったけどな」
そしてビル・エヴァンス本人が「ジャズは人生の中心。もっとも重要なものだ」と語る。
 名曲「ワルツ・フォー・デビー」の作詞者で音楽評論家のジーン・リースは「彼の生涯は世界で最も時間をかけた自殺のようなものだった」と語った。
 病におかされ、死の5日前までライブを続けたビル・エヴァンス。指が腫れ上がっても演奏を止めず、鬼気迫るプレイだったと後年語っている。
そんな音楽に取り憑かれた天才の生き様をこの映画で体感して欲しい。

2019/5/14
花形

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