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映画?「ザ・ビートルズ ゲットバック」 ザ・ビートルズ

2年前の今頃、コロナ禍で外出にも気を使うので、1日中ザ・ビートルズの「ゲット・バック」を観ていた。小さい携帯電話の画面に格闘しながら、神経を集中させようとしていたが所詮無理な話。
 部屋を暗くし、ヘッドホンを使って音を少しでも良くし、作品としてしっかり対峙しようとしても携帯電話が鳴ってしまえば直ぐに現実に逆戻り。
ポールがスタジオワークに奮闘し、ジョンも一緒に曲作りをしている様を感動しかけた矢先、画面にメールが来た告知が入る。仕事のメールに焦り、くだらない広告に苛つく。
そんな音楽作品を観た感想。
2023年12月


「ザ・ビートルズ ゲットバック」(2021)
が話題になっている。
私は、「音楽映画」は「映画館で観るもの」という決めているのだが、この作品はディズニー+の配信というスタイルなので、仕方なくパソコンの小さな画面で鑑賞した。
3話分。合計467分。7時間超の作品。
正直な感想を述べると・・・なんという感情だろうか・・・素直に喜んでいない自分に気づく。いったい何を観せられたのだろうか、と。感情が定まらない。

 今回のこの作品。私は中学生の頃に映画館で観た「レット・イット・ビー」(1970)には収録しきれなかった映像を再編集して新たな映画作品が出来ると思っていたのだ。なぜなら、「ザ・ビートルズ ゲットバック」のトレイラーをネットで最初に観た時は、未公開シーンが満載ということを全面に打ち出していたからだ。しかし、公開日が近づくにつれ映画館では見ることが出来ないことがわかり、会員制のサブスクで しか鑑賞できないということや作品の上映時間が467分もあるということ。7時間を超える映像って何だ?という疑問符。例え3話に分けて映画館で上映といっても、いくらビートルズファンが世界中にいるとはいえ商業的に成功するものかも疑問である。
しかし、メンバー間の雰囲気がギスギスとした映画「レット・イット・ビー」しか映像情報が無かった私達にしてみると、今回の作品はトレイラーでは「意外とメンバーは仲が良かった」「ジョンもポールも笑いながらレコーディングしていた」などという言葉も聞かれ、困惑は増すばかり。
 当時はいろいろな文献や憶測でこのセッションの時、メンバー間は収拾がつかなくなってきていたという情報だけだったので、こんな三面記事のような発表でもファン心理は相当くすぐられたのである。
そして、結論からいうと、解散間際の生々しい雰囲気が伝わる映画「レット・イット・ビー」の内情は実はこんな内容、と種明かしをされたのだった。
 ディズニー+は体験型エンターテイメントと称し「あたかもあなたがビートルズのスタジオセッションの場所にいる」臨場感を・・・などという触れ込みであるが、アホ抜かせ!スタジオなんてそんな生易しい場所ではないんだ、という怒りも誘発してしまった。私はあくまでもビートルズの記録として視聴したので、ディズニー+の言うことは無視である。

 映画「レット・イット・ビー」しか知らない我々はあの映画が全てであり、加えて公開当時もビートルズはポールが解散表明をしていたこともあり、栄光のビートルズでも最後に残った映像とレコードにはバンドの終焉の寂しさしか感じ取れなかった。
そして、映画に映し出されたことだけで判断すると、ポールが仕切り屋、ジョンはヨーコとべったり、ジョージは怯えながらプレイしているし、リンゴは寂しい顔をしているという印象しかない。ただ、説明も無くルーフトップの演奏だけがぶっ飛んでいる印象。
それでもこの今回のゲットバック・セッションの後には名盤『アビーロード』(1969)の発表があるわけで、あのセッションが無駄だったかと言えば全然そんなことはなく、むしろ、あの混沌としたセッションからあの名盤をよくも作り上げたな、という驚きが出る。
そんないちいち細かいビートルズファンの私が観た「ザ・ビートルズ ゲットバック」。
これは・・・映画ではないね。これは、家族が映すホームビデオだ。

 とりあえず、撮っておく。ダラダラと撮っておく。ドキュメンタリーの特番を作るのだから、カメラは回しっぱなし。
そして、家族のホームビデオをパパが簡単に編集するかの如く、字幕でも入れておこう・・・そんな感じ。
そもそもがテレビのドキュメンタリーの企画だからそういうものと言われたら仕方がないが、あまりにもほったらかしの演出と言う気がする。
 今までの幼稚な演技ばかりのビートルズ映画ではなく(「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」「ヘルプ!4人はアイドル」「マジカル・ミステリー・ツアー」)、素顔の彼らを観ることが出来るのでファンにとって最高かもしれないが、音楽制作の真剣勝負がメインなのだから嫌な場面も当然出てくる。メンバー間で険悪になるシーンもある。映画「レット・イット・ビー」でもそんなやり取りはあった。
 音楽の製作現場なんて、レコードという成果物しか得ていない一般人からしてみたら特別な世界であり、芸術が「金」と「納期」に翻弄され魑魅魍魎の世界だ。
その生々しいシーンを見せられてもビートルズを偶像崇拝しているファンなんて何もわからないだろうし、「ポールに詰められてジョージが可哀そう」とか「ジョンはいつも皮肉めいた発言をして気分が悪い」なんてアホな感想を述べるバカも出てくるので、ドキュメンタリーの映像を観たことが無いのかと疑ってしまう。そんなこの作品の素朴な第一印象は、フィルムをセッション日程順に繋いだだけの長いフィルム・・・資料映像なのか?と思ったのは私だけではないはずだ。

<良かった点>
 彼らのスタジオワークは大変面白かった。
彼らは1流の音楽家だから、音楽のことで真剣勝負になるのは当り前。自分の作り上げる音楽に誇りを持ち、曲の印象を相手に伝えながら音を構築していくから、想いが中々伝わらないと厳しい言葉も出てくる。そんなシーンは普段は見ることが出来ないもの。そういう意味ではこのフィルムは大変貴重。そして、驚いたのは、彼らが殆ど楽譜を使わないということ。簡単なコード譜と仮の詞を付けただけで進めていくこと。そして湯水のようにそれぞれのメンバーからアイデアが出てくること。

 プロデューサーであり影のアレンジャーでもあるジョージ・マーティンは寡黙な人に映っていたが、今までのスタジオワークなどをサポートしてきた彼の力が相当大きいのだろう。
そんな名曲の誕生シーンに立ち会えたことは、この作品の一つの醍醐味である。楽譜も持たず、楽器演奏と共に口伝えで作曲者は歌う。鼻歌みたいに。
そして「新曲ができたんだ」と言いながら、ポールが発表するときも、ジョージが発表するときもみんな少し緊張しながら歌う。何万人もの前で歌うことが出来るシンガーなのにバンドメンバー相手に新曲の発表の時は表情を伺いながらオドオドとしている。
 ヨーコにべったりでいつも軽口を叩くジョンもそんな時は真剣な表情で新しい歌やリフを聴きこむ。
「こうした方がいいんじゃないか?」「このリズムの方が・・・」など動物的な感覚でヘッドアレンジを始めていく。この時間軸は、リバプールでくすぶっていても栄光の明日を夢見ていた若者の表情に戻っていた。
 こんな宝物が生まれるシーンを観ることが出来たのはこのドキュメンタリーならではだろう。ダラダラと撮っていたから観ることが出来たシーンだ。

<いまいちだった点>
 ビートルズはリバプールの不良が集まってバンド活動を始めた。リンゴを除く3人はガキの頃からの付き合いだから、それぞれの性格まで分かっている。スタジオの中ではポールの厳しい言葉がよく出てくるし、ジョンの気まぐれな発言もある。少し前までは、そんな発言もそれぞれのキャラクターとして受け入れていただろうが、30歳も近くなり、4人が金持ちになり、それぞれの成長があった中で、自尊心を傷つけられたジョージは破裂した。それを黙って見守るリンゴ。しかし、ジョンもポールも音楽を作ることを優先させるから容赦ない。ジョージは行き場を失くした。ジョージが「ビートルズを脱退する」と言って第1話が終了するシーンなんて、ドキュメンタリーだからなせる業。
 ここでふと気づく。映画「レット・イット・ビー」のシーンが何か所かカットされている。この「ザ・ビートルズ ゲットバック」という作品は、てっきり映画「レット・イット・ビー」はそのまま使い、未発表のシーンが組み込まれているのかと思っていた。しかし、そうではない。
 監督のピーター・ジャクソンは55時間に及ぶ映像を467分に編集したわけだが、この作品の立ち位置がいまいち明白でないのだ。
 同じ素材を編集したマイケル・リンゼイ=ホッグの映画「レット・イット・ビー」は何だったのか、ということにならないか。
そういえばこの「ザ・ビートルズ ゲットバック」のプロデューサーにはオノヨーコやオリヴィア・ハリスンも名を連ねている。そしてポールもリンゴも。
これが真実だった!と言うのかもしれないが、映画「レット・イット・ビー」が心に焼き付いている立場からすると、なんだか今回の作品はあまりにも無駄なシーンが多すぎる。フィルムのつなぎも雑で細かくシーンをカットしても意味のないシーンもあり散漫な印象しかない。逆にスタジオの演奏シーンは細切れで最後のルーフトップのシーンが見所なのだろうが、もう少しスタジオの練習風景でもまるまる1曲くらい演奏するシーンがあっても良かったのではないかと思う。「レット・イット・ビー」の演奏でさえカットされているくらいだから。
 彼らのスタジオワークを中心につなぎ合わせた、という意図は理解できるが、あまりにも長い、ということだ。

<解散の答え合わせ>
 どんなに素晴らしいバンドでも終息する時は寂しい。
ジョンが生きていたら、ジョージが生きていたら、このセッションフィルムは世に出ていたろうか。
 ジョンの中でビートルズは1970年で終了し、新たな時代を歩むロックンローラーになっていく。
1973年のインタビューでも「俺はI saw her standing there」歌う老人にはなりたくない!」と言っていたくらいだから、ちょうどこのセッションあたりは1970年以降の自分のことを思い描いていたかもしれない。・・・ヨーコと共に。
 ジョージもこの頃は曲を量産していて、ソロになって発表した「ALL THINGS MUST PASS」(1970)を形にしつつあったし、ビートルズの2人の天才から解き放たれた解放感からか、ソロになっても様々なヒット曲を作り出す。だから、ジョージにとってはこのゲットバック・セッションは一番つらい時期だったのではないだろうか。
そんな黒歴史は映画「レット・イット・ビー」でも露呈されていたわけなので、思い出したくもないドキュメンタリーかもしれない。
 ビートルズが解散し、その理由は様々な憶測が飛び交い、メンバー間でも訴訟が起きることとなる。
詐欺師と言われたアレン・クラインやら様々な人間がビートルズの金を狙っていくことも後々にわかること。
 ビートルズの4人は一流の音楽家であるが、経営者ではないので、素晴らしい成果物の対価は搾取されていく。自分が精魂込めて作った歌の売上が他人に流れていくことを指をくわえて見ているだけなのだ。
これも全て済んでしまった今だから言えること。
「ザ・ビートルズ ゲットバック」は、ビートルズという偉大なバンドが沈没していく予兆を全てにおいて感じさせるフィルムなのだ。なぜなら、現代ではビートルズの解散理由も本人たちの証言などから明らかにされてきているからだ。解散の本質は夫婦の離婚理由みたいなものでメンバーたちしかわからないかもしれないが、その要因は数多くあげられている。
 イギリスの富裕層に対する税金(所得税)は1965年までは95%であった。そんな重税の中、ブライアン・エプスタインが死に、かじ取り役がいなくなった!
 節税のためにアップル社を設立して組織が大きくなっていく中で、今までの音楽バカだけではやっていけなくなった!
 著作権の権利問題も税務関係も無知に等しい4人は富裕層になったにも関わらず、金食い虫のアップルの存続と金を搾取する輩のためにただただ走らされた!      
 そしてその方向は4人がバラバラと方向を違えていくのだ。このフィルムの数年後のドタバタを知っているだけに辛くなる。
だから、そんな最期を生々しく見せられて大変重い気分になった7時間であったのだ。

 ゲットバック・セッションは海賊盤として音源だけは流通し、アルバム「レット・イット・ビー」(1970)とは違うバージョンがあると喜んでいた高校生の頃が懐かしい。今回のフィルムは、全て白日に晒されて、面食らったというのが私の印象だ。
例えば、もっと軽い感じで短く編集していれば、ビートルズの終焉とはいえ1969年当時の街並みやファッション、車など、画面はつい昨日のようなきれいな画像で鮮やに蘇っているので、ブリティッシュな雰囲気がプンプンするセッション作品・・・で終われないか!

2021年12月6日
花形

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