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『セカンド・ヘルピング』 レーナード・スキナード


 1970年代前半から中半にかけて、暑っ苦しいサザンロックが流行した。オールマン・ブラザース・バンド、レーナード・スキナード、チャーリー・ダニエルズ・バンド、アトランタリズムセクションなどを筆頭に、レオン・ラッセルやザ・バンド、グレイトフル・デッドなどもルーツ・ミュージックの掘り起こしに一役買い、アメリカ南部はホットな状況だった。その後も38スペシャルやZZトップなどが追随し、ひとつのジャンルとして形成された。
70年代の半ばには、数多くの野外コンサートが企画され、炎天下の中、延々と続くインプロビゼイションに人々は酔いしれ、泥臭いブルージーなブギーを堪能した。

 レーナード・スキナード(レーナーズ)は、1973年にアルバムデビューした。デビュー盤は話題にも上らなかったが、1974年発表の『セカンド・ヘルピング』から「スウィート・ホーム・アラバマ」がシングル・カットされ、全米8位のヒットを記録した。この曲は、ニール・ヤングの「サザン・マン」という曲に対するアンサーソングとして話題を集め、一気に彼らの知名度を上げることになった。差別や田舎者扱いされていた南部の人々は、レーナーズの歌と彼らのキャラクターにすっかりまいってしまい、“おらが村の楽団”という雰囲気だった。

 1971年にオートバイ事故で亡くなったオールマン・ブラザース・バンドのギタリスト、デュアン・オールマンを追悼して歌われたデビュー・アルバムの中の名曲「フリー・バード」がライブで歌われると、しだいにその話題が高まり、ついにシングル・カット。そしてこの曲もヒットして、いよいよ彼らはオールマン・ブラザース・バンドと並ぶサザンロックの大物バンドとなっていった。
そんな順調に見えたレーナーズだったが、悲劇が襲う。1977年、『ストリート・サヴァイバー』を発表。しかしそのアルバムの発表から3日後、彼らは飛行機の墜落事故に遭遇してしまう。
 この事故でバンドのヴォーカルでありリーダーであったロニー・ヴァン・ザントとギターのスティーブ・ゲインズが死亡、他のメンバーも大けがを負いバンドは解散へと追い込まれていった。その事故原因は燃料不足というやりきれないものだった。

なんとも不吉なアルバムジャケット

 レーナーズは、トリプルギターとダブルドラムが特徴のバンドで、重戦車のような音圧でブギーやブルーズロックを奏でるが、それが重苦しくなく、レイドバックしたサウンドにまとめられているのは、やはりロニー・ヴァン・ザントの才能ではないだろうか。

『セカンド・ヘルピング』はレーナーズの代表アルバムである。
先に述べた「スィート・ホーム・アラバマ」はもちろんのこと「スワンプ・ミュージック」「アイ・ニード・ユー」におけるアンサンブルは、大所帯にもかかわらず整理された音になっており、ブルージーなオブリガードを入れるピアノの名手、ビリー・パウエルの洗練されたサウンドがツボを押さえている。

 僕は飛行機事故がきっかけでレーナーズを聴き始めたが、このアルバムが最高傑作だと思う。ストラトの乾いたサウンドを聴いていると、南部の乾いた土と埃を感じることができる。アルバムタイトルのように“おかわり”と言いたいアルバムだ。
 でも“おかわり”しようにも“おかわり”できない・・・。
 レーナーズは残党と新メンバーを迎え入れ、再結成しているようだが、ロニーのヴォーカルじゃないと違うバンドだ。まるでジョンのいないビートルズのようなもので、オリジナルメンバーで観たかったバンドのひとつである。

2006年4月15日
花形

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