介護福祉士から見た2度目のコロナ
わたしがCOVID-19に罹患したのは2度目だ。
1度目は令和4年10月。
2度目は先週末。
どうにかモノを考えられるくらいには回復してきたので少しだけ考えてみることにした。
あ、夫は見事に発症なうです。
39度超えで苦しんでますが、わたしが回復したので家庭能力としてはプラマイゼロ。
不幸中の幸いだね。
1度目の罹患は恐怖が先に立った。
介護施設に勤務していたこと。
小1と2歳の子どもを抱えていたこと。
未知のウイルスで予後が不安定なこと。
夫が先に罹患してやむなくホテル療養に送り出したが、保菌しているリスクを考えて出勤や登校・登園は自粛を余儀なくされた。
COVID-19に罹患すること自体がまるで悪のような風潮で、子どもたちを守ることに必死だった。
なによりわたしたちスタッフの判断1つで多くの高齢者を死のリスクに晒す。
プロとして許されない。
しかし私人として許される分水嶺はどこだ?
多くの医療・介護領域の人が考え続けていた日々だった。
未だに答えは出ていない。
しかし情報に踊らされないことと、スタッフ本人に後ろめたい気持ちを持たない行動をすることが、最低限のラインだと今は思っている。
罹患・発症は下の子の保育園経由だったが、熱発して苦しんだのは2日くらいだったと思う。
夫を祖母のところへ避難させていたので、自分が発症しながらふたりの子どもの世話をする必要があった。
気を張っていたせいだろうか?
でもふたりの子どもたちも相次いで発症したが、隔離期間より前に回復して暇を持て余した記憶がある。
祖母が送ってくれた支援物資でお好み焼きを楽しんだし、デザート系は粗方食い尽くした。
3人がほぼ同時に罹患・発症してもどうにかなるくらいには回復が早かった。
わたしの隔離期間終了後、職場復帰初日にクラスターが出た。
正確には1人目の陽性者か。
わたしは免疫バリバリ。
しかもずっと休んでいたのでめっちゃ体力あって元気。
わたしと入れ替わりにシフトを回し続けてくれていたふたりの職員が罹患して戦列を離れた。
クラスターは戦場だった。
高齢者の大半は基礎疾患を持っている。
当然影響は大きい。
抵抗力も弱い。
糖尿病患者と週3回の透析患者が同じ数だけいた。
ほかにストマと重度精神疾患と歩き回る認知症、それに全身に浮腫が出ている腰椎骨折の超高齢者。
医療が止まったら命の灯火まで消えてしまう利用者ばかりだった。
往診、訪問看護と、電話受診、処方薬配達、隔離透析と使えるものはなんでも使った。
またひとり、またひとり、陽性者が増える。
保健所はクラスターかどうかを判断するために、施設内の利用者全員分の唾液をシャーレに寄越せと言った。
それにベテラン職員がキレた。
「うちの利用者さんはみんな年寄りだから唾液腺死にかけてんのよ! この状況でどうやって全員の唾液腺マッサージしろってのよ! あんたら何時間待てる!? 待つならやるわよ!」
シャーレが満ちるほどの唾液腺をお持ちの高齢者の方、あなたはご自分の唾液腺を誇っていいです。マジで。
結局、鼻の粘膜を綿棒で擦る方式が採られたが、保健所の職員が施設内に入れない。
施設の職員がひとりひとりの鼻の奥に綿棒を入れる。
初期は個室に隔離していたので、毎回防護服を着替えて消毒をして各個室を回る。
ものすごい手間だった……
結果あっという間にクラスター判定され、市や国からの援助も決まった。
しかし物資は乏しく、保健所に至っては電話が繋がらずに指示を仰げない。
結局、クラスターが完全に終結するまでに2ヶ月を要し、季節は秋から冬になっていた。
救急搬送者と死者を出したが、どうにかクラスターは終わった。
系列施設からの援護もなく、施設長やサ責、訪看など手札を組み合わせてこき使ってどうにか乗り切った。
お陰でその間の自分の家の記憶がほとんどない。
どんなことになっていたんだか……
一回目の罹患は夫、わたしと子どもたち、施設クラスターとほぼ連続して起きたためか、ずっと闘っていた気がする。
お陰で最後のほうには【怖い】を通り越して【楽しく】なってしまった。
もう笑うしかないし、逃げられないし、目の前の利用者を置いてはいけないし。
でも非常事態は、不謹慎だけど面白いし気合いが入る。
そういう気持ちは割と同業なら分かってもらえるのではないだろうか。
2回目の罹患は介護施設に勤務していないこと、夫が割と自由に動ける職域に転職していたこと、五類に変わって届け出や隔離の必要性がなくなっていたことから、気持ちは軽かった。
支援物資をもらえない代わりに行動も制限されない。
主治医は言った。
「弱毒化したよくわかんないウイルスになったからね」
よくわからないのは相変わらずらしい。
この場合の【弱毒化】が【即死魔法】から【グラビデ】に変わっただけだと気づいたのは、熱発した夜のことだった。
なんのこっちゃわからない方には「即死性はなくなったけど体力は削られまくる」くらいの認識でOK。
叔母がどこからか拾ってきたウイルスは強力だった。
国際色豊かな飛行機を乗り継いできたそうだから、もしかしたら日本由来ではなかったかもしれない。
痰絡みの咳
頭痛
喉の痛み
高熱
関節痛
インフルより辛かった。
なぜなら有効な特効薬がないから。
いつか治ると念じながら布団のなかで震えているしかない。
暑いと寒いに関節と頭が痛いが加わって、ずっと不快で苦痛だった。
下の子は割と軽症で、咳があまりない代わりに鼻づまりに苦しんだ。
高熱は出るが、一度解熱すると食欲が通常まで回復した。
夫はずっと咳き込んでいたが、わたしの回復を見届けて倒れた。
結果1番重たいのではないか?
ただ、わたしと違って食欲はある。
1番先に発症したわたしでさえ、まだパソコンを開く元気はない。
目の奥が痛んでスマートフォンでさえ長時間見ているのはしんどい。
食欲もまだ7割といったところか。
認めたくはないが、加齢のせいで回復が遅くなっている可能性はじゅうぶんに有り得る。
味覚障害は一度目より強く感じる。
やっと塩味を感じるようになってきたような、そうでもないような?
今のところ絶望的な後遺症は見られないので、予後はまあまあというところか。
いやぁひどかった。
同じ時期に叔母に接触した弟が1番熱発期間が長かったし、咳も止まらないらしい。
人によると言えばそれまでだが、罹患に至るまでの免疫力が症状を分けるのだろうか?
色々な菌がウヨウヨしている小学校で過ごしている上の子には罹患の気配がない。
このまま無事だったら我が家の伝説になるだろう。
介護福祉士の目線ってなんだっけ?
とりあえずいつもより専門用語が多くて読みにくいのはごめんなさい。