城 / ミヒャエル・ハネケ
「カフカの小説を原作にしていて、監督がハネケだ、悪かろうはずがない。」という強い確信を持て見た映画であったが、果たして結果はその通り、否、シーンによってはそれ以上と言わねばなるまい。まず1つ目はウルリッヒ・ミューエとスザンヌ・ロタールが初めて出会い寝るシーンである。2人はどこで寝るのか。薄汚い酒場のカウンターの裏の床で寝るのだ。それはカウンターの裏に隠れているミューエの胸の上に、ロタールがハイヒールを履いた足をそっと置くところから始まる。スラックスを履いた脚が軽く曲げて持ち上げられて、画面の中にスカートからのぞくふくらはぎ映し出され、ミューエが眼差しをその足に向ける。かくして彼らはが抱きしめ合い、その床、傍らにはゴミ箱さえある、土足用の汚い床の上を転がりまわるのである。またもう1つは教室で一夜を明かした後のシーンである。物音で目が覚めると小学生が教室にゾロゾロと入って来るところであり、彼らの教師がすぐ横に立って見降ろしている。ミューエとロタール、また彼の助手は半裸で、しかも教壇の上、床の上で寝ているところを数十の公の目に晒されるのである。ミューエとロタールは教室の壁際の竿に掛けられたマットの裏へ行き服を着る。その時、いや、その状況下ですら、ミューエの瞳は一向に動じない。毅然として相手を見据え、全く動じない。彼のこの眼差しは容易には演じ得ないものだと私は思う。
後者のシーンでは、ミューエたちがプライベートの空間だと思っていたところに他人が土足で踏み入ってくるのであるが、実際には逆の構図であり、ミューエたちが誤っているのである、つまり具体的言うと、彼らが学校という公の場で寝ていて、つまりプライベートな空間として振る舞っており、そこにその場の公という性質にそぐう形で振る舞う人間が入って来るのである。ここに描かれる、プライベートが一切の前触れなく公然と公の中に晒されることの苛烈な羞恥と惨めさは生々しく凄まじい。またこの手触りは、原作カフカののそれに肉迫しているように思う。
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?