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僕とおじいちゃんとスズメ

僕のおじいちゃんも変わり者だった。ある時、それは僕が小学生2年生の時。僕は鳥が好きだったので、飼いたかったのだが、両親がそれに反対し、それで泣きすがりついたのがおじいちゃんにだ。おじいちゃんは、すっと納屋の方に行き、ザルと木の棒と一掴みの米粒を持ってきた。どうするんだろう?と思っていたら、スズメを捕まえるのだという。僕は大いに興奮した。そして、ザルの端に木の棒を立て、その下に餌である米粒を置いた。そして木の棒にはビニール紐をくくりつけて、僕らは隠れながら、スズメが米粒をついばむ瞬間を待った。そしてスズメが米をつついたその時、紐を僕がヒュッと引くと、木の棒が倒れ、いとも簡単に、スズメはザルの中に収まった。こんなにもすぐ鳥を飼えることが素直に嬉しかった。納屋には昔からあった鳥籠があったし、その中にスズメを入れて、すぐ飼う準備に移った。すごく可愛かった。そして楽しかった。ただ、2.3日した頃、「スズメを飼うのは法律違反らしいよ」ということを聞いた。調べるとやはりそうらしい。僕は嫌だとごねたが、おじいちゃんは仕方ないと言って、そのスズメを逃してあげた。スズメは驚くほどに嬉しそうに大空に羽ばたいていった。その時、子供ながらに、可哀想なことをしたと思った。本来スズメは自由に空を羽ばたくべきなのだ。これでいいんだと思った。晴れ晴れとした気持ちだった。あのスズメは元気かなあ?と思ったりもした。そして数日が経ち、僕のところにニュースが舞い降りてきた。良くないニュースだ。おじいちゃんがまた新しいスズメを捕まえて、檻の中に入れたという事実だった。しかも素手で鷲掴みして捕まえたらしいのだ。素手でスズメを捕まえたということにも驚いたが、そこではない。意味が分からなかったのだ。法律違反だからという理由で、スズメを逃したのだが、その数日後に、今度は新しいスズメを捕獲したということに。いや、どういうことなんだ?籠の中に入っているスズメを見て、クエンチョンマークが絶えなかった。そして新しいスズメも可哀想に思えてきた。法律云々ではなく、生き物としての自由を奪われてだ。僕はおじいちゃんに逃してあげてと言った。おじいちゃんは「このスズメは畑で素手で捕まえたんだ!捕まえらると思ったら、案の定捕まえられた!」と高揚していた。変な癖になっているのかしらないが、理解が追いつかなかった。僕はおばあちゃんに頼んで、そのスズメを逃してもらった。その後おじいちゃんがスズメを捕まえることはなかったが、世の中のどこを探しても中々いないだろう。スズメを捕まえるのが癖になってしまったおじいちゃん。最初は孫が可愛いかったからに違いないが、どうやら途中から趣旨が変わってしまったように思う。そんな思い出が昨日のように鮮明に思い浮かぶ。

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